野生のシンイチロウが現れた!
秋から冬へ季節が移ろうある11月半ば……真っ青な月がちょうど空の真上に昇っていた。1人の中年が山の中の洞窟へ帰ろうとしていた、彼の名前はシンイチロウ……現在、住所不定無職の異世界人である。
矢筒を背負い、手には弓を持ち、歩いていった。この国は銃刀法違反などない、武器を持っていても別に違反になるわけではないのだ。首都などは彼にとっても因縁の憲兵達が居るので、フランス料理のマナーの中に暗殺する気がない事をアピールする為に手をテーブルにおいておくかのように護身用の短剣を持つ者は少ないが、首都から少し外れると狩人やそういう人もいるので武器など持たない方が変わり者であろう。
彼は少し前までメスリル伯爵家の使用人をしていて、衣食住に不自由にせず生活していたがそこに戻る気はなかった。__あれだ、喧嘩した時に『もうあんたなんて知らん!』とは言ったが引っ込みがつかず仲直りの機会を逃してしまったのと同じような感じで戻る気力がなかった。
「………はぁ、夜か。」
獣道に接した森の奥からフクロウの声が聞こえてくる。行く手に道はなく、虫や動物の声しかしない。目視ではそれがどの程度居るのか判別できないが、構わずに進んでいく。この辺りの森は人里に近いので夜行性の危険な獣は少ない。人に手を出す恐ろしさを彼らも知っているのだ。その森を少し入った所には、ポッカリと穴が空いた洞窟があり、シンイチロウはそこを住みかにしていた。
「一体何が正しくて、何が間違っているんだろうか………分からんな。」
ここに居ると俺は向こうに帰った時に順応できなくなる、ここ数ヶ月でそう思うようになった。
パチパチと火が燃える音、肉を焼いている。この焼いている肉は自分が弓矢でウサギを射殺し、捌いたものだ。__向こうならば考えられないだろう。肉などスーパーで買うものなのだから。それに弓矢を持っている時点で銃刀法違反、ウサギを殺すのは動物愛護法違反……俺がそんな事をしたと知れた日には人々は喧しく声高に野蛮な奴だと叫ぶだろう。
最初は胃液ごと吐いてしまったが、食べなければ死んでしまうと割り切る事でまだ手際よくは出来ないが、ある程度慣れてしまった。慣れると、ここでは大丈夫だが向こうでは……と頭の中では分かっているのだがそういう当たり前な事の境界が曖昧になっている。
「んん、おいしい……」
肉にかぶりつきながらこれまでの苦労を思い返した。弓の経験などなかった俺、ヘンドリックから座学としては教わっていたが、彼から受けた手解きのメインは剣術や体術がほとんどで弓の実技は教わっておらず、そこでまず困った。つまりは、こうすべきだと“脳内の現実”はちゃんと出来ていたが、いかんせん“未経験の現実”はそれに追い付いていなかった……。
それでも、調子に乗っていた俺は銃を買ってきて試したのだが何しろ反動がスゴい、1発、1発を撃つのに時間が掛かる!そう気づいて今は住みか内の厳めしい飾りとなっている。次に、“テイムモドキ”で猫に動物を捕らえるように命じてみた。彼女らは鳩をくわえて持ってきてくれたのだが、焼いてみると筋肉が多くてパッサパサで口内の水分を持っていかれたあげくに調味料の味しかしなかった。そして、魚を捕らえようと釣りをするも餌は喰われてまったく捕れない……しばらくは木の実生活を送ったものだった。
肌寒く、田舎の露店から勝手に拝借した毛布にくるまり寝た。
「ヘンドリックのノートのお陰だな……」
そう、俺が普通に生活していたなら間違いなく野垂れ死んでいた。そうならずに済んだのはヘンドリックの置土産の1つである数冊のノート内に書かれていた“もしもの時のサバイバル術”を参考にしていたからである。
いつまでこの生活をする事となるのだろうか、指令は後2つ残っている。1つは“王の集い”と決着をつけさせるものだろう、もう1つは予想できないけど碌でもないものしか来ないだろう。
火に暖まり、毛布にくるまり寒さをしのいでいるが凍るような寒さを考えるとそれもそろそろ限界か。川で水浴びをして体を洗っているときには強くそう思う。
「しかし、野営とは苦しいものだな……寝るか、明日も早いんだし」
物語の主人公達は容易くしているが、あんなすぐ単純に身に付くものでもない。動物を捕らえるようになれたのは本当にここ最近、これでも早い方だと思う。飾ってある銃を眺めながらシンイチロウは今までの事を考えて、眠るのだった。
朝6時半過ぎ、12月に近く息も白くなり体が自然と縮こまり、背を丸めて歩く。森の中、弓矢片手に俺はまた狩りへと行く。__今日こそは、あの主人公達のように1発で動物を捕らえられるように。
「うう、寒……」
頭の中はイライラとする気持ちが出てくる。ジレンマというかモヤモヤとした何かがあるのだ、俺がまだ脳内の現実に囚われているからだろうか?サクサクと歩いていく先に小さな動物を見た気がした。サッと矢を構えて、射つ体勢になる。ガタガタと体が震えて手元が狂う。そのせいで俺はまた獲物を逃してしまった。
「俺ってダメだな、ホントにイヤになっちゃう」
そう舌打ちしながら別の獲物を探そうと振り返った時、ツルリと滑って尻餅をついてしまった。
「いてて……」
自分のポンコツさに嫌気が差しながら起き上がると目の前に少女の姿。不思議だ、見覚えのない筈なのに何処かで見たような覚えがある。いや、まさかそんな筈はないと自分の考えを否定した。彼女は行方不明の筈……。
「えっと、貴女はまさかとは思いますがクライム侯爵令嬢………?」
「貴方はシンイチロウね、でもなんで……まさか役立たず過ぎてクビにされちゃった?」
「失礼な……俺は、エリスに嵌められて……じゃなくて、どうして貴女がここに……」
謎だ。目の前に居た少女は確かにクライム侯爵令嬢のアング様だ、顔にあった吹き出物はなくなり、少し陽に焼けて黒くなっていたが、このハプスブルク家の肖像画みたいな特徴的な顔は間違いなく彼女だ。
「近くの農家に助けられてそこで暮らしているの。侯爵令嬢であった事はナイショにしておいてくれない?お父様が生存を知るとどんな目に遭わされるか分からないから。」
「まあ、あのクライム侯爵だからなぁ…分かりました。」
彼女も彼女で苦労が合ったのだろう、そう思い納得した。なんといってもクライム侯爵は“王の集い”の会員、黒幕までは行かないが俺のように思いっきり数合わせのための小者という訳でもない……。(俺自身の非常に勝手なイメージだが)彼は期待できる方の中堅所、中堅とは案外内に力を秘めているか見かけは立派なだけの小者かなのでこれからがどうなるのか楽しみな段階……そんな彼が娘の生存を知ってどのような扱いをするか俺には見当もつかない。
「お父様の事はどうでもいいの。シンイチロウ、貴方に聞きたい事があるの……貴方は、日本人なの?それならば、何故貴方はここに居るの?」
困惑ぎみに発せられた彼女の言葉に、俺の中の時がシーンと止まった。




