神の眷属の帰還
__どれほどの間、眠っていたのだろう。
ヘンドリックは目を開いた。目の前に広がっていたのは、死後に暮らし始めた湖や森の風景。ヘンドリックは帰ってきたのだ。少し前、ほんの1年前まで暮らしていた、この天上に。
「おかえりなさい、ヘンドリック。」
優しい、全ての人を安心させる声で彼は声をかけてきた。ああ、懐かしい……ミラーナの声を聞きながらそう思った。下では、彼が逃げていた。心細い異世界生活で頼みにしていた人々からの信頼を失い、翼をもがれた彼が逃げ出していた。
「私は、結局何もできなかった。」
「いいや、君はちゃんと彼を守れていたじゃないか。何も問題ない。」
褒められた、だけど嬉しくもない。ヘンドリックは大人だった、精神年齢がどれくらいなのかは人の見方によると思うが、姿は大人だったし、少なくとも褒められて喜ぶような年齢ではなかった。__そんな事より……!
「……貴方は、シンイチロウを利用するつもりですか。あの件は、ヒロインが解決する筈でした。彼にさせるものではなかった、それなのに貴方はそれを彼にさせる……やはり貴方はゲームシナリオを壊そうと、それは結構です。もう、どうでもいいですから。でも、シンイチロウまで干渉する事によって死なせないでください……!」
「アハハ、そんな事で怒らないでくれ。
これは試練だ、彼は帰らなきゃいけなくなる時が来る。その時に未練など残されては困るからね。彼に酷な事をしたと思っているよ。」
思ってもいない事を……そう思いながらも眷属である自分に逆らう事などできないので心の中で舌打ちをした。
破壊されていた天上世界は立派に直されていた。プスプスと焼け焦げていた森や泉達も復興していた。奥に行くとそこには、オティアスとアマテラス、そして見慣れない金髪の女性。彼女は確か_
「えっと、オティアス様にアマテラス様、そして……メルヴィーナ様。」
審判者メルヴィーナ様。
天上世界、そう1括りにしているがもっと分かれている。個々の管理者によって治められる無数の世界の他に、ミラーナ様と複数の管理者が造り上げた現在は世界問わず地上に未練はないが天国か地獄へ行く勇気のない臆病な幽霊の溜まり場となっている共有地…そして、彼女の居る審判の場。
「ふん、あんたの役立たなさなら聞いたわ。そこのアマテラスの式神ごときになられたんですって。」
彼女のその言葉に誰も何も言い返せない。
当たり前だ、彼女は天上世界の中ではエリートなのだ。_審判者、それは全ての管理世界の魂を裁く者。
「申し訳ありません、まだ日が浅いもので…」
「まあ、そうみたいね。だって貴方から力の開花を感じないんだもの。まだまだこれからって感じかしら、まあ頑張りなさい。」
クール系美女、メルヴィーナ様の言葉を呆けた顔で私は聞いていた。
「ヘンドリックも帰ってきた事だし、僕が“キョウト”で買ってきた和牛のお肉でパーティでもしよう!」
「オティアス、君はまた“キョウト”に行っていたのかい?好きだね、君も……」
ミラーナ様が歓談している。その横でアマテラスがズイッと身を乗り出して
「ミラーナよ、これを機にそなたも式神を使ってみんか?隷属などせんでも逆らわんのであの牛よりも扱いやすいぞ?」
「んー、今はいいかな。遠慮しておくよ。」
肉を網においていく。バーベキューパーティをすると息巻いて、ドンドンと肉を焼いていき、皿に取り分けていった。こんなパーティをするとは聞いていなかったヘンドリックは面を喰らってただただ肉をひたすら焼いては誰かの皿へとおいていく事をした。
雑談の話題は誰某がどうしただとか人間の下世話な噂話とたいして変わらなかった。
少し違う所といえば………
「アマテラス、貴女の所から最近魂の流入がやたらと多いんだけど!」
こういう人間達の起こした行動に頭を痛めたり、嘲り笑う所だろうか。
「あー、システムの故障でしょうか?帰ったら見直してみます。」
愚痴りながら酒も飲み、皆出来上がっていた。メルヴィーナ様は先程までのクール系キャラ何処に行ったんだと思うくらい酔っ払っていた。それは『俺も大臣やってる時は酒の量増えて腰砕けるくらい飲んじゃったし、人の上に立つってストレス溜まるよね』と納得できたが、アマテラス……あのいつも尊大な彼女が敬語になっていたのは面白かった。
「だいたい、最近のあんたらの所の魂ってなんなの!皆、トラックに引かれただのいじめを機に自殺だなんてクソしょうもない理由で死んで審判する身になりなさいよ!………はぁ、転生する奴もクズばっかだけど転移者もそこそこのクズばっかね。人を貶め、罪に溺れ……仲間ですら殺すんだから、それが人殺しが当たり前な世界から来たのなら分かるけど、アイツらは平和な所から来たのに。……いくら瘴気の仕業とはいえ、疑ってしまいそう。」
「最近、2010年代に入ってから……何故だか分かりませんが人共の間では異世界転生などというモノが流行り、そのせいだと。」
「………どっちにしろ鬱陶しいわ。本来、審判者って楽できる職業よ?楽できるエリートなのよ!今なんてオーバーワーク過ぎてこのままじゃ身体壊すわ!はぁ……ちゃんと労災出してくれるかしら。」
随分とシビアな悩みがあるのだなぁ……やはり必要以上に偉くなるのはこりごりだとヘンドリックは思った。しかし、神の世界にも労災があるのか。
「シンイチロウ、彼も大丈夫かな……」
ミラーナ様とオティアス様は酔っ払い転がっていた。私が湖を眺めながら言ったその言葉はメルヴィーナ様の怒りにまた火を着けたようだ。
「それと、アマテラス!その山内信一郎……彼の事に関しては怒っているのよ?転移・転生者は私の元を通過する決まりを破って、勝手にミラーナの所に送り出して、一体どういうつもり!」
「いや、それは…その……」
しどろもどろなアマテラス、完全に彼女のキャラクターが崩れ去った。
そのまま言いたい放題言ったメルヴィーナ様は『また魂が流入を……!』と言いながらなだれ込んできた眷属達に引っ張られながら、『もういやーー!』と絶叫しながら騒がしく自らの職場へ戻っていった。
「ふん、妾はメルヴィーナごときに負けてなどおらん!奴の言葉になど言葉を貸すもんか、せいぜい苦しめばいい。」
アマテラスは先程の卑屈な態度から元のいつも通りに戻っていた。ヘンドリックは気になった事があったのでアマテラスに聞いた。
「あの、アマテラス様、1つ聞いてもよろしいか?」
「なんじゃ、妾もそろそろ帰ろうかと思っていた所だ。………言っておくが、山内信一郎には手を出しておらんぞ?」
「あ、いえ……その事ではなくて。異世界転生が流行ると転生する魂も増えるのですか?一体どういうメカニズムでそんな事が……」
「ああ、その事か。例えば、昔から日本の古事記や中国の桃花源記の中に異世界転移の元となるような考えはあっただろう?そして、それらは現代ではSFやファンタジーと呼ばれていた、そのSFやファンタジーが細分化されて異世界転生・転移などと呼ばれるようになった。つまり、多くの人間の目に触れるようになったんだ。………どこの世界にも魔法分子は漂っている、その魔法分子は人々の想いに共鳴する。普通では、異世界に過度な憧れを抱いた所でそこに行ったりは出来ん、システム制御がかかるが、数打っちゃ当たるという言葉もあるだろう?そう思う人間の人数が増える事で凝縮されて、実現できる人もいる。ただ、それだけだ。つまり、シンイチロウはレアな人間なんだ。妾直々で異世界に行けたのだから。本来なら高くても千万人に一人の確率でしか現れんものを体験できている、多分一生の運を使い果たしたな。」
「レアなどではありません!シンイチロウは、下で苦労しています。彼は大切なものを失って、傷つけられて……」
アマテラスの様子にムッとしてヘンドリックが反論するが一蹴りにされた。
「妾から見て、あの男はそちらへ行くまで苦労などしておらん。人生経験の不足の方が問題だ、あそこでの生活を日本に帰って役立ててくれるならその方が良い。……まあ、生きて帰られればそう言えるが。どうなることやら。ミラーナも善からぬ事を企んでいるようだし、妾にも奴がどうなるのかは分からんぞ。
すっかり長居しすぎたな、そろそろ帰る。ミラーナによろしくと伝えてくれ。」
アマテラスの姿が消えたのを確認してから、酔いつぶれているミラーナとオティアスに毛布をかぶせた。そして、湖の下を眺める。
「シンイチロウ………」
__済まない、もう…側に居ることはできない身となってしまった。だが、私はここでずっと祈っている……君が、君が顔が似ているだけで性質はまったく異なるショーンとは違って命を落とすことが無いように……そう祈っている。どうか、因縁に呑まれないで……また、ここで笑って会えるようにと私は願っているから、君は迷いながら、模索しながら頑張りなさい。
ヘンドリックの想いは湖の下の彼に響いたのか、それは誰にも分からない。__彼がここに来て1年と4ヶ月、もう折り返し地点はとっくに過ぎている。後、幾月、幾年の時を過ごせるのか……神の眷属は見守った。




