思わぬ助けと新たな罪
うええ……もうここに入れられて1週間以上が経った。毎日、水を浴びて身体を拭いているけれども臭いは隠せないと思う。鼻が慣れていてもう気にならないが、外から来る人にとっては臭いと思う。
「はぁ………マジでそろそろ風呂入らないと不味いな。髪とかネチョネチョする、心なしか自分からフラミンゴみたいな臭いがしてる気がしてくる……」
シンイチロウはちゃんとした風呂に入りたい、そう思うようになっていた。水浴びはしていたし身体は拭いているので最悪な絵にはなっていないが、生乾きで服から雑巾みたいな臭いがする。
そして、地下牢で出てくる薄味のほとんど具の無いスープや硬いパンももう飽きた。肉や野菜が恋しく感じる。
「あれから何も見つけられてないし……結局タイムリミットだけが近づいている。」
結局発見できたのはトイレと地べたの溶接部分に入り込んでいた純金のイヤリングだけ。
たいした成果を上げられていない。俺はここで無力に時間を過ごしている。朝食を摂ってから何か変化がないかなるべく外の檻に近寄って様子を伺う……も、異常は見当たらないようだ。彼らは呑気にカードゲームをしていた。中には、隠れてエロ本を読んだりタバコを吸ったり人質を捕らえている割には呑気なものだ。
(舐められたもんだな……あそこまで舐められると逆に清々しいくらいだな。)
そう思うが、そう思われても仕方ない。人智を越えた紛い物の魔法を手に入れたが、それを護身用以外に活かすという術を持っていない。正規の訓練を受けた彼らとは違い、シンイチロウが身につけているのは“剣術(?)”のみで歯が立たない。
「このまま終わって堪るもんか。」
ヘンドリックを救う、そして指令を解決しなければ俺は帰れない。今までと違い、今回は時限付きの指令なのでこんな所で過ごしている暇など本来なら無いのだ。外では、救うべき筈のヘンドリックが多分不甲斐ない俺のために策を練ってくれているだろう……そして、憲兵達だって緩みきっている。いざという時に動けるために鋭気を養わなければならない。
「クッ………」
悔しさのあまりシンイチロウは声を漏らした。
地下牢は寒い、夏なのに冷々としていて季節感が分からない。
鋭気を養わなければとは思うものの具体的に何をすればいいのかシンイチロウにはイマイチ分からない。瞑想をして精神統一していればと思い、ベッドを檻の近くへと運んでからその上で寝そべって目を瞑った。
「……寝れない。」
環境に慣れて調子のって寝溜めのし過ぎで眠気が吹っ飛んで一睡も出来ない。目を閉じて、視界が真っ暗になってもそこから意識が夢の世界へ沈んでいく事はなかった。夢見る時間はやってこない。
そして、むくりと起きるとやはり自分の体臭が気になる。頭が痒い、本当に風呂に入りたい!出来れば温かい風呂………!
(俺、そういうの気にするタイプじゃなかったんだけどな。)
選挙期間になると風呂に入れない事なんて当たり前とは言わないが珍しい事でもなかった。俺は選挙区中回らなくても当選できるタイプの議員ではなかったので俺にしては一生懸命回っていた……風呂に入れない日もあった。それに俺は元から無頓着な部分があるようで、しょっちゅう怒られていた……その無頓着な俺でも気づくほどにヤバイのだ。
「これじゃ感動の再会とか出来ないよ……」
感動どころかドン引きの再会だ。
地下牢の檻はいわく付きの屋敷とは違って錆び付いてなどいない、艶々に銀色の輝きを見せており蹴破る事も出来そうにない。
「時間はもう無いのに……」
シンイチロウが悔しさで唇を噛むと血が一筋、ツーッと流れ落ちた。
外を睨み付けていると変化に気づいた。騒がしい、いつも静かで水の音や自分の動く音でさえハッキリと聞こえる地下牢で憲兵達の声が反響して幾重にも響いてくる。
「何が……?」
そのうち何が起きているのか理解できた。怒号と金属のぶつかり合う音……これは、戦いの音だ!ここに誰かが攻めて彼らと交戦している状況が起きている、シンイチロウにはすぐにそれが分かった。
「誰…まさか、ヘンドリックがこの事態を……!」
そうなればシンイチロウもただの無力な人質として大人しくしているつもりはない。ただ、その喧騒は聞こえるが、遠く離れた所からわずかに聞こえるだけだ。
見張りの彼が不安げにこちらを覗き見てくる。俺が逃げないように剣まで手にしている。
__まだだ。もう少し引き付けてから、まだ大人しくしている振りを……。
そうやって機会を待っているうちに攻めた方が優勢になったのか音が段々と近づいてきて、鉄の臭いが鼻孔を突っつく。
「………ック!」
久々に嗅いだ蒸せ返るような血の臭いは吐き気がした。胃酸が逆流してくる。
見張りの彼が、人質として俺を使おうと腕を掴んで剣の切っ先をこちらに向けてきた、俺は身体強化で彼の隙を狙おうと構えたが、そこに思わぬ乱入者達が姿を現した。
「な、これは何なんだ……!」
見張りの彼も困惑していた。突然の事態に頭の処理が追いついていないようだ。俺だってそうだ、助けに来てくれているのはヘンドリック達だと思っていた。しかし……乱入してきたのは何百匹もいる猫達の姿だったのだ!
「どういう事だ?」
「ニャーン♪(危機だって聞いたので助けに来ました♪)」
「お、おう…そうなのか。」
面を喰らっている彼から剣を奪って、冷たい石の通路を駆け抜けた。
「はぁはぁ……」
アイツら何処に居るんだ……!
あてもなく歩き回ると交戦している憲兵達に出くわした。彼らはこちらを見ると襲いかかってきた、大事な人質を失いたくないのか俺への利用価値が無くなったのか突然の強襲で錯乱状態だからかは俺には判断がつかない。
「俺は、俺はもう強くなったんだ!」
剣を奮って、敵を殺していく。二度目だからか一度目ほど酷い罪悪感に苛まれる事はなくなった。しかし、後味の悪さは感じる……。今回は2人を殺し、5人に負傷を負わせた。
「グッ……ハアハア、早く、早く上に…」
気持ち悪さと恐怖に脇腹を押え、震える足がもつれないようになんとか自分を鼓舞しながら歩く。すると光は見えてきて、段々と希望が見えてくる。しかし、その間に何体もの死体を見た。
「何処に居るんだ、ヘンドリック……」
死体があるという事は誰かが殺して、そこを通った証であるはずなのだが、すれ違った人は居ない。おかしい、行き違ったのか?それとも……そう思って用心しながら剣を握る手に力を籠めてゆっくりと歩いていく。
「………しかし、ここはどうやって出ればいいんだ?出口が見えてこない。」
さっきから同じところを通っているような気分になる、目隠しをされていて通路を見たことはなかったので入口と出口が分からない上に随分複雑な造りになっているのか、先程から自分がどこを歩いているのか分からなくなる。
「……あ、身体強化が切れた。」
身体に湧いていたボーッとした温かい力が薄まり、ブルリと寒くなる。もう一度力を籠めようとするが限界が近いのか身体が言うことを聞かない。仕方なくフラフラと歩いていると、人影が見えた。
「だ、誰………!」
震えを押さえて剣を構えるとその先に居たのは……
「ヘンドリック!それにエレノアも…」
剣を引っ込めて近づく。
そこに居たのはヘンドリックとエレノア、その後ろにはエドワードの姿もある。
『済まないな、シンイチロウ……遅くなってしまって。だが、犯人ならばもう捕まえた。あのリーダーの男が全てゲロッた。』
「救うべきお前に犯人逮捕をさせるなんて、俺は一体何の役に立つんだろうな……」
『そんな事はどうでもいい、早く風呂に入れ。ここにも風呂はあるから。さすがに臭う。』
やっぱり臭っていたかと思って分かっていた事だが急に恥ずかしくなった。
「そう、だろうな。」
シンイチロウはようやく心の底から笑えた。
でも同時に、この指令は何のために俺に課されているのか……分からなくなった。その気持ちを隠して、シンイチロウは脱衣室へと向かった。




