ヘンドリックside:いざ、調査へ……
朝、シンイチロウが自白剤を使われる少し前のメスリル伯爵邸ではヘンドリックが目覚めて新聞を読んでいた。マルチウス帝国の首都やその近郊では、新聞が普及している。複数の新聞社が日をずらして印刷し、毎日配られる仕組みとなっていた。そういう新聞は露店でも売られ、金銭的余裕のある豪商や貴族達の元には配達されたりもするという。メスリル伯爵家の場合は早朝に露店で買ってくる事となっている。
「新聞なんて読んで何か分かるのですか?」
『これは毎日の日課だから気にするな、死んでもこういう事は止められないようだ。……それに、読むことによって得られる成果もあるぞ?見てみろ、ここを』
白い錠剤をガリッと噛み砕いてから新聞紙をエレノアの方へと向けた。
「えっと、なになに?『アナトリアン公国砂漠地帯で大規模火事!』……砂漠地帯で火事というのも珍しいですね、これがどうしたんですか?」
『ほれ、これはエドワードの所からもらってきた“迷花草”の栽培分布予想図だ。ここ、その火事の現場もその地帯に含まれている。……砂漠に燃えるような物は少ない、今回燃やされたのは恐らく“迷花草”である可能性が高い。………しかし、困った。エドワードの目的はその麻薬の密輸の調査、栽培源が燃やされたとなると何やら掴んだのかもな。そうなると協力する意味もないからあの関係もどうなることやら。』
「………と、とにかく探しましょう!」
『そうだな……ヘンリー、そこに居るか?』
ヘンドリックは何も居ない空間へ声をかけた。何も居ないようにエレノアには見えるが、そこには幽霊という死んだ人間がうようよと居た。
『おう、いるぜ。……で、どこを調べるんだったか?』
『調べるのは、首都近郊の廃墟のような施設…そして、首都の裏通りにある酒場…と後は首都の西通りの誰も住んでいない白い壁の屋敷…この3つだな。』
『うえ……何処も憲兵達の溜まり場じゃねぇか。まあ、ヘンドリック様の頼みだしやるけど…』
『そうなのか?憲兵達の溜まり場……偵察はお前達に任せた。』
『おう、任せろ!……数日掛かると思うが。いや、たまに俺らの存在を知ってか知らずかお札をしてある所があるんだよ。……まあ、3日ほど待てば大丈夫だ。』
ヘンリーは相変わらず人を惹き付ける何かを持っている。ぞろぞろと幽霊達を連れてスーッと消えていった。何が起きているのか見えていないエレノア嬢はキョトンとして不思議そうな顔をして一点をジーッと見つめていた。
『さて、調査はヘンリー達に任せて私達は別の所から調べよう。』
「別…?どうやって?」
『憲兵の施設や状況を探る……普通に開示されている情報からな。それならば、私達にも出来るだろう。彼らに近づくだけが手段じゃない。』
__私達が向かったのは、アベルの家。
彼は、あの後考え直したのか憲兵達について調べていたようだ。ヘンリーからそれを聞いた時は驚いたが、彼にも思う所があったのだろうと思い何も問わなかった……恐らく彼の心を変えたのは私の存在ではなく“迷花草”という私達親子や彼の政治生命を縮め、今も尚悪意を撒き散らす存在のためだと察したから。
「__どうも、彼を拐った集団…彼らは善からぬ所と繋がっているようです。彼らの多くはノンキャリ組で出世コースからは離れている、そしてここ最近押収された麻薬の紛失事件が多く起こっています、紛失したそれらがどこへ流れたのかも不明………文屋にはこの情報は流れていませんが、誰もが知っていますよ。どの派閥関わらずね。
まあ、権力のお好きな方の間ではよくある事ですよ。」
『なるほど。麻薬紛失か……』
頭を掻きながらアベルは眉をハの字にして顔をしかめながら言った。ヘンドリックはそれを無視して憲兵達の方の情報について言葉を言った。
「あの、ヘンドリック様…?少しよろしいでしょうか。貴方は、もう少しで……」
『アベル、君は察しがいい。私の命は後13日…その日が来れば私は帰らなければならない。その日までに解決させてやらないとシンイチロウが悲惨な目に遭う。……私に先などないが、彼には先がある。……アベル?そんなに悲しまないでくれよ、50年前だって悲しんでくれただろう。私はそれで十分だから、笑って見送ってくれ。』
「ヘンドリック様……」
顔色が悪い、真っ青を超えて血の通っていないように白い陶器のような色をしている事に気づいていないのかとアベルは驚いた。そんな事など知らずにヘンドリックは錠剤を噛み砕く。
『ありがとう、君はやっぱり悪に成りきれない人間だね。』
「そんなことなどありませんよ……」
アベルから情報を手に入れたヘンドリックはその後も郊外の施設などについてそれとなく聞き回った。まあ、分かった事と言えば『憲兵達のマナーは驚くほどに悪く、彼らの評判は良くない』という事実だったが。……奴らは、どんな事をしでかしたのやら。近所の誰にも愛想のよい飲み屋に入り浸っているおっちゃんも彼らだけは悪く言っていた。
『はあ……一体何をしでかしたのやら。どうやったらこんなに嫌われるんだ。』
「彼らは調査の厳しさから嫌われる事もあるけれど、首都の憲兵の横柄さは折り紙つきよ!」
『そうだったな……』
猫のクリスティーヌの飼い主も彼らによって爵位を失い、家も売却に追い込まれて一家離散状態だったか……。
そして、情報を集めること3日後の夕方、日が暮れた。夕方になるとヘンリーやその他の幽霊達が戻ってきた。その集団の中には部屋で裸踊りしていた変態野郎の姿もあったが、それは無視した。
『それで、どうだった?どこにシンイチロウは居たか分かったか?』
『分かったよ、ちゃんとそれらしい所は見つけた。ヘンドリック様が言っていた首都近郊の使われていない筈の憲兵駐屯地の地下牢内だな、ちゃんと姿があった。
……どうも彼は彼で行動を始めたようだ。牢内に何か残っていないか調べていた。』
『そうか……』
そして、エレノア嬢にヘンリーから手に入れた情報を説明した。彼女は驚いた様子もなくただ一言
「シンイチロウらしいわ……」
とだけ呟いた。
そして、家へ帰った時に屋敷内が騒がしくなっていた。何やら皆が怒っている……何か考えるがまるで心当たりが出てこない。強いて言うなら、エレノア嬢と出歩いている事だろうか?マルチウスは女性の地位はそれほど高いものではない。出歩くのを嫌う者も居る、しかしヘンドリックはそうではないと思っていた。この伯爵家にそんな出歩くなという掟はない、むしろ出歩くのに寛容すぎて戸惑うくらいにオープンなのだ。……この家に限ってそれで怒られる事はない!それに、私だぞ?牛男とエレノア嬢が懇ろと見る馬鹿も居ない。美女と野獣だぞ、そんな色恋的な目で彼女を見たことはないがもしそうだとすればそんなコンビになるぞ!
「うええええん!」
エリスが白々しく泣いている、ずいぶんと上手く黒い御方と無縁なこの伯爵家の者なら騙せるけれども私は騙されんぞ。
「どうなさったの、お父様?」
「どうしたもこうしたもあるか!シンイチロウの部屋に私達が無くしたと思っていた品々が……」
『フム……それで伯爵はそれをやったのがシンイチロウと言いたいのか?』
伯爵は『そうは言わないが』と言い淀んでいるが、疑っているのは明らかだ。
「あんまりだわ!シンイチロウには大切な使命があるのよ……そんな物を盗む暇なんて無いわ!彼は異界に帰らなきゃならないのよ、その為に解決させなきゃいけない事があるの!それを怠けてそんな事をするわけないわ!」
『エレノア嬢……人のプライベートなことを話すな。シンイチロウは確かに小者だ、それは間違いない。しかし、彼は盗みを働くタイプの小者ではない!』
「ヘンドリック様……それ、全然フォローになってませんよ。」
『……だが、アイツが小判鮫タイプというか腰巾着タイプの人間であるというのは事実だ。』
ヒソヒソと話していると伯爵はイライラと貧乏ゆすりをしながら怒っている。
「………とにかく、シンイチロウはクビにする!ただでさえ怪しい者を雇っておくのは伯爵家の為にならない!」
「お父様、いくらなんでも酷いわ!」
その時にエリスが怪しい笑みを浮かべたのが見えた。醜悪でかつて見慣れていたそれを見せた彼女の姿にヘンドリックは気分が悪くなった。かの御方はそういうものを隠すのが上手かったが、この小娘は本人は上手く隠しているつもりだろうが、年の功なのか見え透いた演技だと見抜けた。
《シンイチロウはそんな事をしなくても少し待てば出ていく、彼女が要らぬ気を回す必要などないのに。ああ、おかしい!》
蛆虫が這い回るような不愉快な感覚に笑いが込み上げてきた。__ああ、頭が痛い。ピルケースから錠剤を取り出して口に放り込んだ。




