貧乏令嬢と男の出会い
『ああ、私はただのモブ。』と一応リンクしています。
___大陸暦1831年5月、新緑が爽やかな風を吹かす季節がやって来た夜の日に舞踏会は開かれる。そう、今は社交シーズン真っ只中でマルチウス帝国の首都ランディマーク内にあるタウンハウスでは、毎夜毎夜どこかの貴族のお屋敷でパーティが開かれている。
私、エレノア=アリス=チェリー=ラ=メスリルは伯爵家の令嬢であり、舞踏会に招待された1人である。
「今年こそは良い相手を見つけなさい。」
母はやる気なさげにそう言う。私もそんな相手が見つかるとは思えない……いや、思わない。私は“行き遅れの壁の花”なのだ、そんな相手を望むなんて夢のまた夢、この舞踏会での私の役目は他ならぬ引き立て役だ。
__エレノア=アリス=チェリー=ラ=メスリル伯爵令嬢は“引き立て役のプロ”だ。
ランディマークの高貴なる住人達は口々にこう言うのだ。つまり私はこの舞踏会では会場にポツンと1人居ることだけが役目なのだと陰口を囁かれている事も理解している。女性が行き遅れるのは珍しい事だ。だけど、私は陰口を叩かれている。私がまだ相手を望めるお年頃であるにも関わらず。
___家が貧乏で持参金を望めない、ドレスもいつの時代って程の型崩れした物を着て、容姿が特別よろしい訳ではない。
そう、引き立て役になるべくして生まれた女だと我ながら思う…。
「あらエレノアさん、今日も召使が居ないの?」
「いつも1人よねぇ……」
着飾った令嬢達は嫌味を言ってくる、貧乏なのでそんなの雇う余裕もうちにはない、働けど働けど豊かにはならない……。だからこうやって私は、惨めに引き立て役という“短期就労”をしているのだ。行き遅れを笑おうとする雲上人から招待状を貰い、壁の花となりながらただ飯を食べる……そして余裕があればこっそりと残り物を持って帰るという笑われる社交シーズンを送るのだ。
(ツマラナイ……早く帰りたい。)
だけれども、いくらただ飯の為とはいえ私にはもう耐えがたい苦痛だった。早く帰りたい、結婚なんて期待しないけどせめて侍女や従僕の1人を連れてくる事が出来たら……バルコニーの方に逃げて、そんな願いをしながら月夜を見上げる。これが美女ならば物思いに耽っている姿として大層絵になるのだろうけど、たいして特徴もない黒髪に紺色の瞳、骨みたいにガリガリな私なのだから絵になるどころじゃない、ホラーにしかならない。
苦い表情をしながら、硝子戸に映った自分の姿を見た。そこには、時代遅れなドレスを着て血色の良くない女が映っているだけだった。
「はぁ……戻るか。」
いつまでも外に居ると怪しまれる。そして庭園は密会スポットと言われている、見たくない不快な物を見るのは勘弁だ。
夜も深くなると熱狂的なほどに人々を酔わせる。普段はおとなしい人すらをも変えるほどに酒を飲むのだ。私はそんな人を無視しながら、引き立て役のプロと貶められる私に唯一普通に話しかけてくれるマリア=ドレリアン男爵夫人とチェスをする。
「本当にどうしていつもこうなるんだろうね、男どもはすぐにどんちゃん騒ぎよね。」
「そうですね……私達もそろそろ帰った方が良いでしょうかね?」
相手をしてくれているマリア=ドレリアン男爵夫人と冷めた眼で見据えて、黙々と駒を動かすのだけれど、ふと突き刺すような視線を感じて振り返った。そこには、社交室で談笑していた貴族達がこちらを見てひそひそと何かを話していた。眉間に深い皺を刻んで不快さを隠そうともせずにこちらをチラチラと見ながら、陰口をたたく。
「まあ、奥様ご覧遊ばせ。あそこにいるのは、メスリル伯爵令嬢とドレリアン男爵夫人でなくて?」
深いワインレッドのドレスを身に纏った貴婦人が扇で口元を隠しながら囁く。
「ドレリアン男爵家は余所者、そしてメスリル伯爵家は貧乏人、卑しい者同士気が合うのでしょう。」
夜会服に身を包んだ紳士も貴婦人に向かって言うのだ。
彼らは古くから存在する家の出身で、私達新しい家の貴族をよく思っていない方々である。気が悪くなって、マリア=ドレリアン男爵夫人に言う。
「もう帰りません?私達、目立ってますし居心地が悪い。」
「そうねぇ、これ以上目立つのは厭ね。」
仕方ないとマリアは言った。
マリアも難癖をつけられて、彼らを敵に回すのは嫌だったようで帰る準備を始める。
そして、玄関に止めてある馬車の所に向かおうとするがやけにダンスホールが眩しくて騒がしい気がして、何事かと思いながら見に行くとそこには私よりもみすぼらしいスーツを着た若い男が光に包まれながらキョロキョロと所在なさげに周りを見回して、とても驚いた顔をしていた。品の良い柄のネクタイをしている何処か憎めないタヌキみたいな顔をした目付きの悪い垂れ目気味な男だ、歳は20代後半くらいに見える。
「※#%$¥℃!?」
男の言葉はこの国のモノではなく聞いた事がない言葉だった、隣のマリア=ドレリアン男爵夫人は少女時代を我がマルチウス帝国よりも東の東のさらに東にあるレミゼ王国出身である事を思い出して、チラリと横を見るのだが苦笑しながら分からないと首を振られた。
「¥%#※&*……!」
何かむすっとしながら威張ったように言うのだが、理解出来ない。会場の夫人達、令嬢達、貴族の子弟達がその場から動けずに居ると男は近づいてきて、多分助けてくれというような事を言ったのだと思う。
「……申し訳ありません、この者はウチの従僕です。新人なので迷ってしまったようです。」
見ていられなくなってつい私は男を助けてしまう。その顔が叱られてしょんぼりとしていたウチで昔可愛がっていた犬に似ていたからだろうか?
「なんだ、メスリル伯爵家の従僕か……」
「従僕を雇う金くらいは出来たんだな。」
会場の客人達はなんだそうだったのかと安堵する顔をしてからそれぞれまたワイワイと騒ぎ始める。
私は、戸惑う男を連れて玄関に止めてあるおんぼろな馬車の所に向かう。
「なんかどっかで似たような人を見た事あるのよね………何処だったかしら?」
マリア=ドレリアン男爵夫人は首をひねって、男の顔をマジマジと見つめる。
「何処で?誰なのか分かればそこまで送って行けるんだけど……ただし首都のランディマーク内だけの話だけど。」
「いや、多分人違いよ。その人はもうとっくの昔に死んだ筈だから。」
マリアは少し悲しそうな顔をしてから言った。
とにかく、私は男と馬車に乗ってから話を聞くことにしたのだが、話は通じなかった。
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我が家の輝かしい時代を象徴する煉瓦造りの屋敷に着いた頃には、もう日付も変わった頃であった。1つ言っておくと我が家にも輝かしい時代はあった、曾祖父の代まではお金も有って御貴族様をやっていたらしいのだが、祖父がどう見ても怪しい投資家の儲け話に騙されて我が家は一気に没落ルート直行という状態なのだ。
我が家の栄光から転落した負の歴史はともあれ、お父様もお母様も驚いていた、そりゃそうだろうただ飯を食いに行った娘が見知らぬ男と馬車を降りたのだから。
「えっと……その人は一体どちら様?」
「えっと、ごめん。私にも分からない。」
娘の言葉にお父様は『なんで連れてきちゃったの……ウチ、ご飯とか出せないよ?』というなんとも言えない表情をして私を見てきた。
男が慌てた様子で判断に迷う様子を見せてから言った。
「僕は、山内信一郎……えっとシンイチロウ=ヤマウチと言います。」
男は先程まで意味の分からない言葉を話していた筈なのだ、なのに今はちゃんと私達の国の言葉を話している。
「シンイチロウ……変な名前だな。それでどうして娘と一緒に居るんだ?」
「特に深い意味は無いわよ、ねえ彼をウチで雇えない?だって私、舞踏会で皆の前で彼がウチの従僕だって宣言しちゃったのよ!?」
やけにけんか腰で彼を険しい眼差しを向けるのだが、私の言った事を聞いてから今度は唸って首をひねりながら書斎に逃げていった。
でも、こうとしか言えないわ。だっていきなりダンスホールに光輝いた彼が現れたなんて言っても信じてもらえそうにない。
書斎まで着いていって、中に入って頼み込む。
「だが、ウチに人1人雇う余裕があると思うのか!」
いや、無いのは知ってますよ?だってウチ、この間(と言っても5年ほど前に)執事のじいやと侍女のばあや夫妻が引退して使用人0ですもん、正直ほぼほぼボランティアみたいな金額で働いてもらっていたあの2人を雇うのもしんどかったくらいなんですよ?余裕が無いのは重々承知の上です。
「あのう……ちゃんと生活出来れば贅沢は言いません。私、この国……いやこの世界の人間じゃないんでとにかく行くところが無いんです!」
__“この世界の人間じゃない”そのなんとも妙な言い回しに何か引っ掛かるモノを感じる。
「そうは言われても給料雀の涙だよ?部屋とか服はまぁ……なんとか用意出来そうだけど金とか食べ物には困ることになるんだぞ?それでも君は良いのか?」
「私が生活出来れば文句は言いません。」
彼はとても低姿勢でお父様の言うことに敬礼しそうな勢いでブンブンと頷いた。
___この時、私は知らなかった。このシンイチロウ=ヤマウチとの出会いが後に私に大きな影響をもたらすという事を、この出会いが私を数奇なる運命に巻き込むという事をまだ知らなかった。




