2.プロローグⅡ
息を吐きだす。
体内に籠った熱と一緒に。
木の陰に隠れ、気配を隠してはいるが、さして意味はないだろう。
せいぜい気休め程度だ。それでも、こうやってたとえ僅かでも時間を稼げた、というのは大きい。
遠くで木が折れる音がする。
十中八九、奴がこっちに向かって前進している証拠だろう。
もう少し息を整えたら移動しよう、と行動指針を決めたところで、不気味なまでに森が静かなことに気が付いた。
(────ッッ、いつの間にこんなに近くまで)
禍々しい赫色の目にぼくの姿が映っているのが見えた。
そこに感情の色はなくて────
牛頭の怪物が大きく息を吸い込み始めため、慌てて防音の支援魔を自分に掛ける。
至近距離で奴の咆哮なんて食らってしまったら、鼓膜が破れるどころの騒ぎじゃすまない。一時的な失明、眩暈、難聴、耳鳴り、それに伴うパニック、|見当識障害《今居る場が分からなくなる》になったり、最悪ショック死する可能性さえある。
(──ッ、くる!)
「GuruooOOOooOOooooOOOoo!!!!」
正直、正面からやりあうのは分が悪い。
ま、そうじゃなきゃ逃げ回ったりしてないよな。
とは言え、まったくどうしようもないというわけでもない。
ゲーム内でもミノタウロスの倒し方自体は確立されていた。
先ずは、囲んでタコ殴り、というものだ。奴は魔法攻撃をある一定値まで無効化する。
しかし、その一定値を超えさえすれば面白いくらいにダメージが入る。
その際にバインド系かノックバックさせるスキルが必須である。(ダメージのみ無効化するが、その攻撃に付随する特殊効果は通る可能性があるため。)
ぼくが置かれている状況で、この手法は意味をなさない。
なぜなら、ここが魔王城前の森だから。
魔法障壁がもつ耐久値はばか高いし、もたもたしていたらすぐに耐久値は回復してしまう。
そして奴はレベル的に高い状態異常耐性を持ち、耐性を更に上げる武具を付けている。
ここが魔王城付近じゃなければ、ミノタウロスなんか敵ではない。
一人で完封できる魔法技能を持っていると自負しているし、師匠も認めている。
まあ、それ故にこの状況に放り込まれたとも言えるのだが。
バフを最大まで掛けて、今持ちうる最も高い位階の魔法をぶっ放しても足止めさえできないとか、なんなんだよ。まじ、やってらんない。
もちろん、すぐ逃げ出しましたよ。そこらに特大の落とし穴を仕掛けながらだけど。
もう二度と通用しないだろうなぁ。ここらの魔物って無駄に学習能力高いから。狙ったら確実に仕留めないと、後が怖い。
それはさておき。
それではどうするか。
このゲームでは何故か、ある特定の魔物を確殺する植物が設定されている。
とある有名な動画配信サイトで実際に特効植物を使った様子が公開され、反響よんだ。
というのも、特殊植物を摂取させられた魔物が薬物を乱用して急性中毒に陥っているようにしか見えなっかったからだ。
瞳孔の拡大、異常発汗、痙攣、しばらくしたら胸を抑えながら苦しみだし、やがて死に至る。
人間が急性中毒になる様子を見た事があるわけでも、ましてや薬物の専門家でもないでもないため、本当にこんな症状になるのかは知らないが、当時動画を閲覧したとき計り知れない衝撃を受けた。
だがしかし、植物を食べさせるだけで確殺できるというお手軽さとは裏腹に、その特効植物の特定、採取が鬼めんどくさく、使うプレイヤーは余程のもの好きに限られていた。
つまり、ふつうに倒したほうが手っ取り早い、ということである。
……らしい。そこらへんの記憶がやっぱり曖昧だ。
というわけで、Let'S ヤクハメ。
ぼくもただ逃げ回っていたわけではないのだ。
生前(?)ヤクハメをしたことはない(と思われる)がぼくも一端のプレイヤー。
プレイヤーにとって特効植物を覚えておくのは嗜みと言っていい。
問題となる採取だが、ここは幸か不幸か魔王城前の森である。
その手の危険植物はそこらにわんさか生えている。
その分、ぼくも死なないように立ち回る必要があるのだけれど。
さてさて、次のフェーズ、つまりブツをやつの口の中に突っ込むことに移る必要がある。
これはそんなに難しいことではない。もともとこちらの方が俊敏性に優れており、なんなら支援魔法で俊敏重視のバフをかけてもいい。
もう逃げなくてもいい!
一方的に追われ続けることの辛さよ。さらばだ。
相手がもつ得物の振り下ろしを右にサイドステップで避ける。
いくら攻撃に底が見えるからと言って紙一重で避けてはならない。
風圧を始めとする不確定要素が存在するからだ。
地面に奴の鈍器がぶつかり盛大に礫が飛び散る。
物理障壁をはればことたりるため特にアクションは起こさない。
次にスイング。これはあえて上に飛び上がり、空中に躍り出ることで回避する。
続けて、再びの振り下ろし。地に着地する前に足元に傾斜をつけた物理障壁を張る。
それを、思いっきり踏み込み、奴の顔面付近まで跳躍する。
また視線が交わる。
そこにはやはり感情の色はなく──。
喜悦も驚愕もなにも感じていないのか、そもそも感情を持ち合わせていないのか
そんなことをつらつら考えながら、どうしても射程距離が50㎝から伸びない魔力の手でブツを奴の口の中へ突っ込んだ。
せめて最期を見届けようと距離をあけて佇む。
────ザンッ
銀線が煌めく。
遅れて鮮血が舞う。
ゴトリと音を立てて首が転がる。
「殺すなら殺すでスマートにことをなしなさい。」
母上だ。相変わらずほれぼれとするほど美しい剣戟である。
まだまだ敵わないなぁ。
物理攻撃がほぼ効かないミノタウロスを一撃で仕留めるってどうなってんだよ。
七歳の夏の日であった。