部室にふたり& (1)
とある日の放課後。
六限の終わりのチャイムが鳴ったばかりで、遥と二人だけの部室。
遥は換気扇の下に衝立で囲った空間に作業台を置いて作った、簡易的な作業場で薬の調合をしていた。魔術師が、材料に魔力を込めて効力を高めたり特殊な効能を持たせたりした、所謂魔法薬と呼ばれる代物。
しかしながら、遥は癒術や調合が専門ではないので、作るとしても簡単な塗布剤だけだが。
その、通称「だいたい何にでも効く傷薬」を作るには、液触媒に数種の刻んだ薬草を加えて魔力を込めるための専用の歌を紡ぎながら、ひたすらかき混ぜ煮込み続ける必要がある。
IHコンロにかけた小鍋の中で材料を湯煎をしながら、絶妙に眠気を誘う旋律を紡ぐ遥を横目に、俺はヘッドホンをしてPCに向かう。
歌調整機用の歌は、専用のソフトウェアを入れたPCや電子楽器で紡ぐ。従来の歌は、術者の判断で状況に合わせて紡ぐ。つまり、殆どが即興演奏になる。楽譜に起こせなくもないが、同じ歌を奏でても、同じ効果を得られる保証はない。
その難解さから、癒術を使いこなせるのは魔術師の中でも少数派だ。学院でも必修の歌の講義があるが、それは、今、遥が使ってる調合用の歌やその他いくつかの歌を覚えて使えるよう練習するもので、日常で直接役に立つかと言われると微妙なところだ。学校の勉強というのは結構そんな風だったりするが。
歌調整機で作る歌は、そういう術者の負担を歌調整機が計算で肩代わりする。術者の精神波のデータとシミュレート結果を正しくインストールしてあれば、歌調整機と同期することで魔術師なら誰でも歌を紡げる。
ただ、歌調整機自体まだ数に限りがあるうえに、事前に入念な演算が必要だから、やっぱり一般的ではないのだが。
PCで動かしたシミュレーターが出した演算結果である、「歌の部品」とも言えるものの音色をヘッドホンで聞いて確認しながら、取捨選択をしつつ、次の演算方法を考える。
ここまで長々と説明しておきながらなんだが、絵面としてはかなり地味だ。
一通りのチェックを終えて、次の演算を回し始める。
ふぅ、っとため息をついて、ふと横を見ると、俺のすぐ隣に遥がちょこんと膝立ちになって、PCの画面を覗き込んでいた。いつからいたんだろうか。何をやっているか、彼女は詳しく知らないはずだが、瞳をキラキラさせて画面をじっと見ている。
俺はそんな遥を見ながら、なるべく音を立てないようにヘッドホンを外す。動きで気が付いた遥がこっちを向いて、ばっちり目が合った。
彼女は慌てたように小刻みに震えだす。ずっと見つめていると、だんだん頬に色が付き、それが綺麗な桃色になったところで、微かに口が開いて、とても小さな声で囁いた。
「キスして」
俺は彼女の顎の下に手を添えて、そっとキスをする。少し唇を離して尋ねた。
「で、なんの用だ?」
「してから言うかなそれ」
遥は照れて瞼を伏せる。
それからちょっと顔を背けて、ぶつくさ言い始めた。
「ちょぉっとー、口が寂しくなったからァー」
「俺はキャンディか何かか」
「似たものではあるよね。ふわふわしてて、あまくておいしー……」
今度は遥の方からキスをしてきた。
わざとらしくチュッと音を立てて手短に離れる。
どうやら煮込んだ傷薬の粗熱を取るまで少し暇だったらしい。鍋の中を確認して瓶詰め作業に入った。
俺も再び画面に向かってからしばらくして、控えめに部室のドアを叩く音がした。