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「なあなあなあ」


あんなに降り続けていた雨が嘘のように上がり、朝から真夏のような晴天が広がっていた。リュックを背負ったまま真は登校するやいなや自分のクラスには行かず、隣のA組に直行し悠斗を探した。


「なんだよ、聞こえてるわ」


一時間目の英単語のテストのために単語帳を開いておとなしく席についていた悠斗は真が鼻息荒く教室に入ってきたのを冷めた目で見た。真は真でそんなことはお構いなしに悠斗に詰め寄った。


「昨日、『ホトリ』に会った。そんで『ホトリ』が渚だった。助けてくれ」

「はっ?え?どういうことだよ」

「だから、そのままだよ!渚が援助交際しては相手の男に殺してくれって頼んで回ってるんだよ」


悠斗は、いやいや展開早すぎかよ・・・と小さく漏らして黙ってしまった。真もまたこれが全て夢であればよかったのに、と内心思っていた。


「お前、どうやって青山渚に会ったんだよ。エンコーか?」


平然と誤解を生む言葉を言ってのける悠斗に真は顔を引きつらせ、そのまま悠斗の肩に腕を回して、耳元で言った。


「んなわけあるか!たまたま昨日司と遊んでたら絡まれてて助けてやったんだよ。」

あーはいはい、と気のない返事をしながら悠斗は無理やり真の腕から離れた。


「それで、逆にどうやって帰ってきたんだよ。殺してくれって頼まれてないわけないよな?」

その疑問はごもっともだ。真は気が進まないながらも昨日のあらましを話すために徐々に重くなる口を無理やりこじ開け、話し始めた。



胸元のワイシャツを握りしめる彼女の手には土とにじんだ血。頭一つ分低い位置にあるその美しい顔は、小学生の時から変わらない。ただ、その瞳は充血し零れ落ちんばかりの涙、かさつき皮がめくれている唇からは「殺してくれ」と。


「なんでそんなこと言うんだよ。俺はお前の事殺したくなんてねえよ」


それは渚を思っての発言というよりは、自らの保身のためとこの状況をなんとかして切り抜けるための方便に近かった。話しながらもずっと食い下がられた時のことを考え、どう返答しようかと考えていた。


「そっか、そうだよね。ごめんね、真ちゃん。」

「いや、お前のこと大切に思ってる人も・・・って、ん?」


渚は聞き分けの良い子供のようにあっさりと引き下がった。杞憂に終わったことは喜ばしいことではあったが、余計になぜ渚がこんなことをしているのか気になってしまった。


「いいのかよ?お前、なんで死にたいなんて言ってるんだよ」

「真ちゃんを傷つけたくないから、いい」


なんでだろうね、そう言って自嘲的な笑みを浮かべ渚は真に背を向けようとした。そのまま何もなかったように見送ればよかったのかもしれない。自分とは関係ない、と割り切ればよかったのかもしれない。


「渚」


それでもその背中に声をかけてしまったのはどうしてだろうか。


「本当に死にたいのか?」


殺してくれ、と言うその口も涙がこぼれそうな瞳も血と土で汚れた手足も自分に向けた背も、必死で「生きたい」と叫んでいるように見えたから、かもしれない。



「自殺の手助けはしないけど、生きてほしいから連絡をくれって言って別れた。」

「おいおいおいおい」


真の返事を半分も聞かずに悠斗は頭を抱え始めた。真はこの時点でとんでもないミスを犯しているような気分になったが、そもそも昨日渚に出会ってしまったことがすでにミスであることには変わりない。


「なんだよ、じゃあイエスって言えばよかったのかよ。手伝ったらどうなるかわかんねえじゃねえかよ」

「俺は一言も自殺を手伝えなんて言ってねえ。手伝わないけど生きてほしいなんて伝えたら、お前がこの問題解決しなきゃならねーんだぞ。大体、殺してくださいなんて言ってるやつ本当に死ぬ気なんかねえよ。連絡先まで教えちまうなんて、お前ほんとに何してんだよ。」


悠斗の言ってることは確かに間違ってない。真も彼とおおむねおんなじ考えを持っていた。でも、疎遠になってたからと言って昔馴染みが半狂乱になって殺してくれと頼んでいる状態を真は見過ごすことは出来ない気がしていた。そのままそのことを悠斗に伝えれば、大きなため息をついてから鬼の形相で反論してきた。


「お前のそれ、ただの偽善だからな。だいたい、あの家は問題が常に山積みなんだよ。家庭内の中で隠されちまうような部分だから他人も介入しづらいしおまけに母親もうつ状態。お前が首突っ込んでどうにかできるとでも思ったのか?見過ごすことが出来ないとか出来るとかそういうことじゃないんだよ、見過ごす以外に選択肢はないんだよ。」


悠斗の鋭い語気ではっきりと偽善と言われ、真は腹の底が冷えるような感覚がした。でも、彼の中ではそれよりも悠斗の発言の中で気がかりなことがあった。


「問題が常に山積みってなんだ?てか、あそこの母親うつなのか?なんでそんなに知ってんだよ」

悠斗は渚と真と同じ小学校出身で、当時から互いに顔見知り程度では互いのことを知っていた。真と渚が幼馴染であることは有名な話で、悠斗が他人から見聞きしたり、自分が直接見てきた小学校時代の渚を知っていることには違和感ないが、真より明らかに事情を知っているようであった。


「あの学校であいつの家の事ろくに知らないのなんてお前ぐらいだよ。渚の家はいつも噂が立ってた。まあ、噂とは名ばかりでほとんどホントの話だけどな」

「回りくどいから早く言えよ」

自分だけが知らないことに真は苛立ち始めた。


「駆け落ちしたはいいけど、離婚させられていいとこの医者と再婚したとか。弟は障がい者だから家に閉じ込められてる、とか。渚は虐待されてて母親も気が触れちまってるとか。」


真は自分の過去の記憶から渚や渚の家庭について必死に思い出そうとした。


(母親は確かに見たことあるけど、父親は見たことない気がする・・・。再婚してたのか?弟がいるって話もしてない気がするし、虐待なんてされてたのか?髪は長かったけど、世話されてない印象はないし・・・)


そもそも渚とは幼馴染ではあるが、真は幼い頃から彼女に特別に興味を持って接していたわけではない。物心つく前の本当に幼い時分にはよく遊んでいたのかもしれないが、小学校に上がってからは同い年の男子と普通に遊んでいた。なにより真はいつもどこか冷めていて子どもらしさがない彼女のことを苦手に感じていた。


(噂が本当だったとしたら、そうなるのも自然っちゃ自然か)


そんな噂を一つも知らずにいたから過去の彼女に引っかかりを感じていた。ここにきてやっと真は納得したが、同時にそこまで興味も特別な気持ちもない渚を助けたいと言い出してしまったことは間違いなく偽善だと気付いてしまった。


「なんか、俺全然あいつに興味なかったみたい。そんなんで助けるとか偽善かな、やっぱ」

「偽善でしかないし、むしろほかになんかあるなら言ってみろよ」


にべもなく言われてしまい、真は唸った。偽善と気づいてしまったからと言ってこのまま引き下がれるか、と聞かれれば否。しかし、このまま進むか、と聞かれても否。


「・・・進退窮まるってこういうこと?」

やばい、ちょっと泣けてきたと言って真は顔を覆った。悠斗はその様子を見て、大袈裟に肩をすくませた。

「よくそんな言葉知ってたな、バカだと思ってた」

「うるせーな、どうせバカだよ、バーカ」

「なにも助けるって言っても亡命するとか脱獄するとかじゃないんだろ?」

「あ、おう。そうだよ」


辛辣な言葉をシャワーのごとく浴びせられるものだと思い、覚悟していたところに思わぬ言葉を言われ真は顔をあげた。


「目標をどこに設定するか、が重要だろ。低い位置かつ目的を達成できる目標なら現実的にできないことないだろ」


「え、なにもしかして」

「その希望に輝いた目で見るなキモイ」

「スミマセン・・・」

悠斗は鞄からペンケースと教科書を取り出しながら呟いた。


「まあ、知ってるやつが死ぬか生きるかなら誰だって生きてほしいだろ」


そのまま真が発言するのを許さないとばかりの勢いで、今日放課後駅前のマックに渚呼べよ、と言って真を教室から追い出した。



一人の女の子を助けるため、と言えば聞こえはいい。でも、彼らがやろうとしてることなんてたかが知れてる。度胸と態度は一人前、知識は半人前。スケールは教科書の入るリュックくらい。彼女の背負う闇の大きさに比べれば裸電球一つ分ほどの希望かもしれない。それでも、光を照らそうと彼らは走り始めた。


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