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 夏の終わりのぐずついた天気は分厚い雲とともに暗い影を街中に落としていた。その一方で、新学期スタートから来る文化祭のために学生たちは天気なぞお構いなしに準備に勤しんでいた。


「石田君」

ガンッガンッ

「・・・石田君!」

ガガガ!ガンッ

「ちょっと石田お前聞いてんの?!」


気の強そうな女子の怒号とともに段ボールの箱を投げつけられる。思いのほか段ボールは真の頭に命中し、いて!という声とともに投げつけてきた張本人を睨んだ。


「んだよ、佐々。木材切ってんだから聞こえなかったんだよ」

「何回園美がお前のこと呼んだと思ってんの?ちゃんと聞いてなさいよ」


佐々の横にはクラス委員をしているクラスメイトの女子がいた。佐々と真は中学時代からの知り合いだが、彼女は中学時代から気が強く男子と力ずくの喧嘩になっても物怖じしないような女で、真は彼女に言い返すことは得策ではないととうの昔に心得ているので、不満げに黙りこくった。


「あ、石田君ごめんね。ちょっと頼みたいことあって」

「ああ、別に大丈夫。なにやればいいの?」


文化祭で行うクラスの出し物はクラス委員が中心となって準備する。真は部活に入っているわけではないから参加しようと思えば頻繁に準備に参加できるが、あいにくそういうことに熱心になれるような性格ではなかった。それでも準備の時間くらいは貢献しようとは思っているため、頼まれる仕事はたいていこなしていた。


「山岸くんと石田くん、仲いいよね?彼、アメフト部であんまり参加できないから買い出しだけお願いしようと思ってるんだけど、石田くんも一緒にお願いしてもいい?たぶん、山岸くんうちのクラスどんなのやるかとかわかってない気がするから」

眉を困ったように寄せ、力なく笑うクラス委員を見てこりゃ気の毒に、と真は同情し二つ返事で了承した。


「あ、でも彼の事責めてるわけでもなんでもないからね!そこは伝えてね」

「わかってるよ。今日中にあいつには言っとくよ」


司の所属するアメフト部は高校の部活動としては珍しく、おまけに真たちの高校で一、二を争うほどの厳しさを誇っていた。そのこともあって大体の部員が文化祭は当日お手伝いというポジションであった。昼休み終了5分前を告げるチャイムが鳴り、いそいそと皆作業を中断し片づけを始めた。木材の粉まみれになった手を洗おうと廊下に出ればちょうど探していた司を発見した。


「あ、ちょうどいいとこに。おつかれ」

「おーおつかれ!」

快活に笑う司からは昼練の後のせいか汗と男物の制汗剤のにおいが真のところまで漂ってきた。


「汗くせえなー。あんさ、お前部活の後でもいいんだけど放課後空いてる日あるか?直近で」

「うるせえうるせえ。今日なら放課後は自主練だから早めに抜けられるぞ。なんかあんのか?」

「お前全然クラスの準備参加してねえだろ?せめて買い出しくらいやれって佐々から言われたから行こうぜ」

「あー!佐々、ごめんなー!分かったわ、六時までには切り上げるから待っててくれよ」


りょーかい、と言いながら真は佐々ほどじゃじゃ馬な女子に対しても分け隔てなく接することのできる司はやっぱりできた男だ、と一人思っていた。階段を上る教員の声が聞こえ、司は教室、真は水道へ駆け込んだ。横目に映した空は依然と不気味な雲を携えて雨を降らせていた。


(静かだ)


蛇口から勢いよく押し出される水流は彼の手の汚れを洗い流していく。


(肝心なことはなにも綺麗になっちゃいない)


移動教室の廊下、湯船で一息ついた時、帰りの電車で夕焼けを眺めた瞬間。どんな瞬間も彼は「ホトリ」の彼女のことを、あの始業式の日から忘れてなんていなかった。



 「俺たちのクラスってなんの出し物すんだ?」

ペンキや絵の具、筆、糊といった備品を買い揃えすっかり日の暮れてしまった大通りを真と司は歩いていた。部活用のエナメルバッグにはちきれんばかりの絵の具を詰め、軽やかな足取りで並んで歩く司を真は恨めし気に見た。


「お好み焼き屋」

「え!最高だなそりゃ!」


結局、朝から降り続けている雨は未だ止まずに静かにその雨粒を落としていた。雨に濡れた繁華街は、ネオンを反射していつも以上に眩しく輝いていた。怪しげな人工の光が二人の横顔を照らす。


「なあなあ、マック寄ろうぜ」

「おー、駅前まで戻ったとこでいいか?」


あまり遅くに制服姿でこの大通りを歩いていると巡回している警察に補導されてしまう。この周辺に住む真たちのような学生たちの中では早々に駅の方に退散することが暗黙の了解となっていた。ただ、真にとってこの場所から離れたい理由はそれだけではなかった。


(あんまりにも眩しくてここにいたくない)


光があるから闇がある、とはよく言ったものだ。陽が落ちて本当は光一つない闇のはずなのに、欲望と資本主義のネオンが照らすここは照らされていない闇を一層濃く深くしている。


(その闇の中に見えなければならないものも、見えなくていいものも隠されてしまってる気がする)


恐らく違法滞在の中国人がやっていると噂されているぼったくり中華料理屋を二人は素通りしようとした。その時、裏手のビルにつながる路地から突然人影が飛び出してきた。


「あぶな!」

「いいいいでえっ」


咄嗟に司が前を歩いていた真の肩を掴み、人影との衝突を避けようとした。アメフト部の本気の力で肩を引っ張られ、真は脱臼したんじゃないかとその痛みに悶絶していた。生理的な涙を必死で堪えながら飛び出してきた人影を見据えると、まず見えたのは丸いつむじだった。そして、そのまま次に見えたのは路地から現れた手によって闇の中に吸い込まれていく制服姿の少女の姿だった。諦めたように閉じる少女の瞼の動き、人形のように力なく引きずられる肢体、一瞬の出来事のはずが、すべてスローモーションになって見えていた。



「おい!」

司の怒号に近い叫び声で、ようやく真の視界は正常に流れ始めた。司はすでに路地裏の闇に飛び込もうとしていた。


「追いかけんのかよ」

「は!?当たり前だろ、あんなんただの痴話げんかじゃないだろ」


正義感が強く、情に厚い彼には目の前で拉致まがいの出来事を目撃してそのままスルーなんてことはできないようだった。傘を投げ捨て走り出した司を真はとりあえずといった調子で追いかけた。


「警察に言った方がいんじゃねーの?」

「捕まえてから突き出した方が早いだろ!」


腐敗したゴミの臭いと油と調理場の香しい香りが雨の匂いに混じりあいながら暗い路地に澱んでいる。靄がかった空気を切り裂く疾走。飲食店の裏口や妖しいラブホテルの戸口に忙しなく視線を滑らせる。


「どこだ!」


一旦立ち止まり、その周囲を見渡すがそこにあるのは油のこびりついた換気扇とひび割れた青いゴミバケツと二人の荒い息だけだった。上がった息のまま外から得られる情報に神経を集中させる。顔に当たる冷たい雨粒、耳の奥で大袈裟に響く鼓動、ビル一つ隔てた通りの喧騒、そのもっと奥。塗りつぶされた闇の向こうに必ずあるはずだ。


パシャッ、ガチャかちゃ


(・・・水たまりを踏む音か?)


目を閉じ、耳をそばだてる。違和感の正体を瞼の裏から探る。


ヴッ、ぐぐ、ア


(これだ)


微かに聞こえる獣のうめき声のような音。真は勢いよく振り返ると、大通りからさらに奥へと進む路地に目を付けた。


「真?!」

「こっちだ!」

そのまま目を付けた路地に走ると、そこには半分廃墟と化したビルのゴミ捨て場があり、ご丁寧に銀のスチール製のしきりと扉が設けられている。何者かが蠢く音とうめき声は少しだけはっきりと二人の耳に聞こえるようになった。


「司」

「おう」

「すぐ逃げるからな。無駄に殴ったりすんなよ」

「もちろん。俺たちはただのクソガキだからな」


二人はにやっと不敵な笑みを浮かべ、互いを見やった。そう、彼らはスーパーマンでもなければ物語のヒーローでもない。司は有り余る正義感と情、真は半ば巻き込まれた義務感と好奇心、それと罪悪感、ただそれだけだ。「それだけ」の理由しかないけれど、彼らは震え逃げ出そうとする足を地に縫い付け確実にそこにある悪に立ち向かおうとしている。真は静かに打ち付ける雨粒を降らせ続ける空を見上げた。そして、息を大きく一回吸いこんで前方の暗く立たずむ銀の扉に向かって突進した。ほぼ同時に司もスチール製の扉にタックルをかましていた。ほぼ成人男性二人分の負荷がかかり、扉はガツンッと一つ金属同士がぶつかる音を放って鍵ごと破壊された。


「なんだ!」


ほとんど光の届かないゴミ置き場で動揺する数人の気配を感じた。真は、すぐに連れ去られていった少女を見つけた。彼女はすすけて黒ずんだ地面に力なく横たわっていた。腹部に一人の男が馬乗りになっていて、細く白いその首に両手をかけているのがわかった。


「この野郎っ」


馬乗りになっていた男は真の視線が自分に向いていることに気づき、彼女の上に乗ったまま何かを振り回して真を攻撃しようとした。幸運なのか相手が間抜けなのか知らないが、真の体勢の方が有利であるため、彼は夜目が効かないままやみくもにその男に向かって蹴りを繰り出した。


「おらっ、数うちゃ当たれ!」


とりあえず彼女を連れて逃げ出せればいいと思っている二人は毛頭戦う気などないわけだが、気配の数から自分たちよりも人数が多いはずなのにどっちかを集中攻撃する様子もなければ挟み撃ちにしようという魂胆も見えない。決定的な一打を出せないまま蹴りを出しながら真は考えた。


(なんか、もしかしてこいつらケンカ慣れしてない?)


そう考えていると、いい加減男は立ち上がり真に応戦しようとした。これはまずいな、と司の状況を確認しようとしたその時、壊れてしまった人形のように力なく倒れていた少女が音もなく素早く立ち上がったのを真は見た。


(えっ)


思わず声が出そうになったが、次の瞬間彼女は男の後ろに回り込み、真に掴みかかろうとする奴の足と足の間に細い足を滑り込ませ、そのまま固い革靴のつま先で男の股を思いっきり蹴り上げた。


「ファッ。~~~~!!!!!」

「ひいっ」


真は反射的に両手で自分の股を抑えた。男は言葉も発することが出来ないのか、ゆっくりと膝から崩れ落ちそのまま動かなくなった。周りの数人の男たちは一瞬の惨劇に気づかず、司と攻防を続けていた。まさかあの蹂躙されるまでであった少女が世界中の男が慄く猟奇的な行動にでるとは思わず、真はそのまま動けずにいた。


「こっち来て!」


少女は動かなくなった男を踏み越え、真の手を掴み走り出した。その力は思っていたより力強く、迷いがなかった。ハッとして真は、走りながら後方にいる司を呼んだ。

「司、逃げるぞ!」


少女に先導されるまま、迷路のように入り組んだ路地をひたすら走り抜ける。司が自分たちに着いてきているかはわからなかったが、彼なら一人でも逃げおおせると真は心配していなかった。


「ハアッ、ハア」

「おま、どこ、向かってんのこれ!」

「いいからっ、走って!」


何度目かわからない曲がり角を曲がったとき、引っ張り続ける手が離れ、解放されたかと思った。しかし、少女はさび付いた鉄の扉をこじ開け、その中に真を押し倒すように飛び込んだ。


「うげ」


中は切れかかった蛍光灯が灯っていて、どこかの飲食店で使われている洗濯機や雑巾があった。真は慣れない眩しさに目を細め、上に倒れこんでいる少女に身振り手振りで降りるように示した。

「あ、あ、ごめんなさい」

しおらしく上からどく彼女は、まさか先ほど人類の半分が持つ急所を叩きのめした女には見えなかった。明るさに慣れ、目をしっかり開けば彼女の両手や首には布のような紐のようなものが巻き付いているのが見えた。真は焦ってその両手を縛る布をほどこうとした。


「あ、ありがとう、ございます」

「え、いや、はは」


走っている間は気づかなかったが、彼女の着ている制服は皺や汚れがついて乱れているし、その手首や首には手や紐で圧迫されただろう痣がくっきりと浮かんでいた。どこを見ても見てはいけないものの気がして、真は忙しなく視線を泳がせるばかりであった。両手を自由にしてやれば、それまでうつむくばかりであった彼女は顔を上げ真の顔をしっかりと見た。


「ありがとうございます、首は自分でできます」


お互いの視線が初めて合った瞬間であった。少女の瞳はみるみるうちに驚愕と希望の色を帯びていき、真はその様子を見てまさか、と思った。


「真ちゃん・・・?」


自分の名前を呼ぶ少女の顔に張り付く髪をはらい、その横顔を覗き込んだ。そこには、こめかみから縦に直線を描くように三つ並んだほくろがあった。彼はその時、どうしようもない脱力感と諦めを感じた。疑

惑は確信に変わってしまった。


「渚」


「お願い、真ちゃん。わたしのこと、殺してほしいの」



最近妙な噂が流れている。大通りのラブホ街で援助交際を口実に近づいてくる女がいるらしい。名前は「ホトリ」、チャームポイントはこめかみから耳たぶにかけて三つ並んだほくろ。「ホトリ」が決まって言うことがある。


「お金はいらないから、わたしのこと殺してほしいの」と。


生まれたときから知らず知らずのうちに隣にいた幼馴染がいた。名前は渚、チャームポイントはこめかみから耳たぶにかけて三つ並んだほくろ。いつもそれを自慢げに言っていた。



真が闇の中から助け出した少女の正体は、渚であり「ホトリ」であった。


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