冬の空
『明日の放課後、付き合ってくれない?』
送信した後に気づく違和感。――なんだかぶっきらぼうだ。
まるで付き合ったばかりの男子みたいじゃないか、と柄にもなく思ってしまう。
無視されたらどうしようか――なんて思っていた刹那。
『うん、いいよ』
短いけども、私の張り詰めた緊張を解してくれるには十分な返事が返ってきた。
思わずホッと胸をなで下ろす。
私は間を開けず、その言葉に返事をする。
『じゃあ、放課後にいつもの場所で』
いつもの場所――彼女は覚えてくれているだろうか?
少し不安になりながらも、あえて場所をぼやかして指定する。
いつも、一緒にいたんだから解ると思ったけど――
『いつもの場所?』
伝わらなくって。
そりゃそうか、いくら何でも曖昧すぎるよね。
『あぁ、ごめん。ほら、前によく行ってた屋上前の階段……でわかるかな?』
『あぁ! 思い出した! ごめんごめん』
『いいよ、気にしないで。だいぶ行ってなかったからね(笑) じゃあ、待ってる』
『りょーかい』
必要最低限の本当に事務的な、短い短い文字だけのやりとり。
こんなやりとりが続くのはいつからだろう?
ふとそんなことを思った私は、何気なしに彼女との会話の履歴を確認する。
いつの日からか、ぱたりと彼女との会話の回数が少なくなっている。
――前は寝不足になるほど話していたのに。
それを示すかのように、時間を遡ると長文短文が交互に入った履歴が顔を覗かせる。
この頃は本当に毎日ウンザリするほど一緒だったけど、今の様子じゃ――
対面で会ったらちゃんと話せるかな? 伝えられるかな?
ちょっと不安になってくる。
「まぁ、大丈夫でしょ」
変な不安を払拭するように、私はわざと気にしていないフリをする。
内心じゃ心臓ドキドキさせながら戦々恐々としているのに。
気持ちを紛らわすため寝転びながら弄っていたスマホを枕元に置き、目を瞑る。
そして、ふと聞こえてくる彼女の声――
「燈花ちゃん、か……」
私の名前を呼ぶ彼女――雫の声が耳に入ってくる。
対面でもなく電話越しでもない、私の記憶の中の雫。
あの頃の雫に――戻ってきてくれるよね?
微睡む意識の中、くすぐったい声を聞きながら私は深い眠りの中へと入っていった。
…………
………
……
…
翌日の放課後。
二月も中旬の、まだまだ冬将軍が元気な一日。
教室もあまり暖房が効いて無かったせいか寒かったが、今じゃそれもまだましだったと思えてくる。
その証拠に、重ね着した上にコートを羽織っていても、なお冷気が容赦なく肌を刺してくる。
まぁ、この方が都合が良いことだってある。――なんて、余計なお世話だよ。
「まだかな……」
私は手をすりあわせ、息を掛けて寒さを少しでも和らげる。
ジッと待っているのも辛く感じ、何か無いかと周りを見渡す。
すると、屋上へと繋がるドアが私の視界に入ってくる。何の変哲も無い屋上へと出るためのドア。
暇つぶしにはなるだろうと踏んだ私は、もう一段階段を上ってドアの窓についた霧をコートで拭き取る。
キュッキュッ、という音がなんだか情けなくも懐かしい感じがした。
覗ける程度の小さな楕円の形を窓に描き、そこからコソッと外を覗く。
「わぁ……」
そこには鉛色をした重苦しい感じの雲が空一杯に広がっていた。
雪は積もっていないものの、パラパラと粉雪が舞っていて――地面に落ちるたびには溶けてなくなっている。
降り始めだろうなのか一向に積もる様子もなく、ねずみ色のコンクリートに吸い込まれていく雪がどこか切なく感じた。
ふわふわと舞い踊り、それを十分に楽しんだ後、静かに消えてなくなる雪の結晶たち。
そんな雪と私たちの関係がなんだかダブって見える。
あの日々は、雪みたいに気まぐれに生まれて、楽しんで、いつの間にか消えちゃって――
しんみりとした思いに浸っていた、その時だった。
不意に入ったスマホのバイブレーションが、私を現実へと引き戻す。
慌てて鞄からスマホを取り出し、相手を確認すると――
「雫……」
なんだか彼女が気遣って声をかけてくれているようで、ちょっと嬉しかった。
私は気持ちを切り替えるため、一呼吸置いてから通話開始のボタンをゆっくりと押した。
「も、もしもし?」
『あ、もしもし、燈花ちゃん?』
ちょっと緊張している。
リラックスして、と自分に言い聞かせる。
「う、うん。どうしたの急に?」
遅くなるのかな。別に気にしなくて良いのに。
『あのね、ごめん、今日ちょっと急な用事が出来ちゃって……行けそうになくなっちゃって』
「……え」
そんな
『燈花ちゃん?』
どうして
「あ、え、そうなんだ~……用事あるんならしかたないね」
『ゴメンね、今度絶対埋め合わせするからさ』
埋め合わせ?
私との約束なんてその程度?
「いや、気にしないでいいよ。私の方こそゴメンね。急なこと言っちゃって」
『そんなことないよ~いや、なんかアイツがね? 急にさ……』
もうやめて
「それじゃあね……また、今度」
聞きたくないよ
『え……あ、うん! また今度ね』
プツリ。
ツーツーツ――
無機質な電子音が静寂の中を覆う。
普段なら気にならないほどの小さい音なのに、このときばかりはやけに大きく聞こえた。
電子音の音と比例して、視界が徐々に滲んでいく。涙――なのかな。
それを誤魔化すように、ひときわ光彩を放つスマホの画面へと目を向けた。
雫――立花 雫
090-xxxx-xxxx
私と一緒に映っている写真。
――私と一緒に。
結び目を解いた風船のように、体中から力が抜けていく。
いつの間にかレンガのように重くなったスマホが、するりと手から抜け落ちて地面へと吸い込まれていく。
転げ落ちたスマホに目を向ける。
おそらく画面が割れているのだろう。
それが恥ずかしいのか、背を向けて顔を隠している姿をみて私は――
「はは……」
力なく笑った。
立っていることも辛くなってきた私は、崩れるように床へとへたり込んだ。
「そう、だよね。そうだと、思ったよ……」
ウソだ。
そんなこと思っていない。
今日の出来事がきっかけで、あの日々に少しでも戻れば、なんて思ってた。
不意に鞄を開け、教科書をかき分けて出てきた一つの箱を取り出す。
綺麗な紐に結ばれてラッピングされた、小さな箱。
その紐に印刷されていた英字には――
「"St.Valentine's Day"……」
バレンタインデー。好きな人に贈り物をして二人の絆を確認する日。
それだけじゃない――人によっては、二人の新しい関係が始まる日。
でも、私と彼女には関係なかったな。
だって彼女は――私が知らない、大好きな人の元に行ったから。
「……さようなら」
誰もいない、静寂に包まれた中で私はポツリとつぶやいた。
寒さが纏う冬のある日――溶けて無くなる雪のように、私の恋は静かに終わった。