Chapter033:手合
揃いの黒いブーメランパンツが二つ、夜の教会で小さな明かりに照らされては向かい合っていた。
一人は片膝をつき、息も荒い。
もう一人はそれを静かに見下ろしていた。
「少し付き合ってくれよ」
そう言って立ち合いを求めたのはカルタの方だった。
九郎は短い言葉ながらに意図を汲み取り「別に構わない」とそれを受けた。
夜、水瓶が双葉目と一緒に寝静まったのを確認して二人は地下から教会に出た。
「はじめるか」
九郎が指を鳴らすのに合わせて教会の燭台に火が灯り、二人を囲むように光の輪が伸びた。
「結界を張った。これで音や衝撃が漏れる事はない」
カルタはもはやその程度の事では驚かない。
九郎が普通ではない事は、とっくに分かっていたからだ。
遠慮はいらないとばかりに小さく手招きする九郎に、カルタは本当に一切の遠慮もしなかった。
顎を砕くつもりで殴りかかり、骨をへし折るつもりで蹴りかかった。
その結果として、九郎にかすり傷一つ負わせる事すらできずに膝をついている。
かすり傷どころか、まともに攻撃できていない。
砕きはしないまでも飴は使い、カルタは本気だった。
これまでの出現日を考えれば、悪魔は数週間は出てこないだろうと見積もって、その後の反動も気にはしなかった。
そうでなければ立ち合いの意味がない。
互いに素手同士。
体躯の差でリーチは確かに九郎が有利かも知れないが、実力の差にはそれ以上に開きがあった。
カルタは自分の体は普通ではない事くらい理解している。
記憶の奥底で誰かが言う。
だからこそ「人を助けよ」と。
言葉の真意を理解しているわけではないと分かっている。
何時、誰に聞いたかもわからない言葉だ。
それでも、カルタは困っている人間を助けずにはいられない。
そうしなければいずれ、自分の心が重い後悔の念に押しつぶされるという確信があった。
そうして生きてきた。
時には、尋常ならざる己の力を解放しながら、それが人の域を超えた物だと知りながら。
その力を、目の前の男、九郎も持っている。
全く同質のものではないが、その力が意味する結果は一緒だろう。
妹を名乗る少女、ロゼも、そしておそらくは双子のようなもう一人の少女、シャムもそうなのだろう。
「アンタ、何者だ……?」
「こっちの台詞だぜ。悪魔を倒した何て言いだした時からわかってはいたけどな」
九郎がパチンを指を鳴らすと、二人を囲んでいた光の輪が煙のようにゆらりと溶けて闇に消える。
元の燭台の小さな明かりだけ教会に残った。
「聖はお前の力をどこまで知ってる?」
九郎は教会に並んだ長椅子に腰かけて足を組む。
カルタも同じ長椅子の端に腰を下ろした。
「まだ目の前で力を使ったことはない。でも、なんとなくは察してるだろ」
初めてこの教会に訪れたあの時、水瓶は悪魔の返り血に塗れたカルタの姿を見ている。
九郎と言う存在を知っている水瓶なら、それが意味する事を想像できるだろう。
「俺も同じだ。聖の前で本気で戦った事はない。何が原因かは分からんが、なぜか聖の悪魔は聖本人の周りに現れないらしいからな」
「じゃあ、ここは安全ってワケか」
「そういう事だ。あの嬢ちゃんの事も、ここにいる間は安全だろうよ」
九郎が言う「あの嬢ちゃん」とは双葉目の事だ。
カルタは半狂乱で怯える双葉目を部屋から連れ出し、この教会に連れ込んだ。
ひどい怯えようだったが、水瓶が寝かしつけてくれた。
その水瓶も今は双葉目と一緒に眠りについている。
詳しい話は双葉目が起きてから聞くつもりだが、その前に九郎にも聞いておきたい事があった。
「悪魔に殺された死体を回収する謎の組織の事……アンタはどこまで知ってる?」
「なんだ。余計な詮索はしないんじゃなかったのか?」
「……そのつもりだったが、クラスメイトが巻き込まれたんじゃ話が別だ」
双葉目はカルタに「助けて」と言った。
そして「ここから連れ出して」とも。
説明を求めると「死んだハズのお母さんが知らない人にすり変わった」と言う。
とにかくこの家から離れたいと涙ながらに訴えてきて、それ以上は詳しい話を聞ける状態ではなかった。
「損な性格してるぜ、お前さん」
「知ってる。良いから、何か知ってたら教えてくれよ」
「悪いが、何も知らねー」
「何も?」
「あぁ。会ったことすらねぇからな」
九郎は死体に興味がない。
九郎は悪魔の残り香を訓練された猟犬ようにかぎ分ける事ができるらしい。
最初に匂いを察知するまでに悪魔の出現から時間がかかってしまうため、出現してすぐに駆け付けるような事はできないが、一度その匂いに気付いたなら決して見逃すことはなく追い詰める事ができるという。
故に、悪魔を追跡するヒントを死体から得るような必要ない。
「そもそも噂だぜ。どこで聞いたんだったか……まぁ、事件にならないのはそういう存在が居るからだっていう、そんだけの話だ」
九郎はまるで興味がなさそうに言うが、カルタはそうはいかない。
「俺は実際にクラスメイトの死体が消えたのを見た。そいつは、次の日には家族ぐるみで別の場所に転校したって話になってたんだ」
突然の転校。
その後の連絡先すら誰も知らない。
完全な隠蔽。
西猫始という少女の死はこの社会ではなかったことにされている。
「そりゃ、また手の混んだ隠蔽だな。死体を隠すだけじゃなく、騒ぎにならないようできるだけ自然にって事だろうけどよ。俺は死体のその後なんて知らないからな」
噂話でもなんでもなく、悪魔の存在を隠蔽するために何者かが動いているのは間違いない。
問題は、そのやり方だった。
「転校したっていうその家族はどうなったと思う?」
「そりゃ消されてるだろ。何人家族か知らないが、全員、一人残らずな。そうしなきゃ隠蔽にならねぇ」
九郎は当然のようにキッパリと答えを出した。
それはカルタが予感しながらも考えないようにしていた事だ。
年の離れた弟の話を西猫から聞いた事があった。
共働きの両親が土日に家を空ける時には西猫が世話に追われているなんて話も聞いた。
西猫だけじゃない。
悪魔に巻き込まれたせいで、幸せそうな家庭が一つ、まるごと消されてしまった。
考えたくもない話だった。
「だから、この話は絶対に聖にはするな」
ギラリとサングラス越しの視線がカルタを射抜く。
言われなくても分かっていた。
そもそも口にしたくもない話題だった。
「だったら、双葉目はどうなる?」
そんな西猫の出来事があるからこそ、気になるのは今度は双葉目の事だ。
「どうって?」
「アイツは悪魔を見た。でもまだちゃんと生きてる」
「誰かさんに消されるかも知れないって事を心配してんのか?」
「……あぁ、そうだ」
カルタはそれが気がかりだった。
隠蔽するつもりなら、生き残ってしまった目撃者はどうなるのか。
「アイツの母親は別人になってるらしいんだ。それであんなに怯えてた。知らない母親に見張られてるって言ってたし……」
「なんだ、そりゃ妙だろ。別に見張りなんかしなくても、さっさと殺した方がてっとり速いに決まってる」
確かにそうだった。
西猫の時のように「転校」させてしまえば良いだけの話だ。
「出来ない理由があるのか、それとも生かしておいた方が都合は良いのか……とにかく用心したいんだ。それでここに連れて来た」
「そんな事だろうと思ったよ。まぁ、ここにいる間は安心して良いぜ。外に出る時は聖と一緒にいるように言っておけ。アイツの友達が消えるなんて事にはなってほしくない。俺も出来る範囲で見張る」
「あぁ、助かるよ」
九郎の実力を身を持って知った今、尋常じゃなく頼りになる言葉だった。
「あ、最後にもう一つだけ」
「なんだ、まだなんか問題あんのか? 聖からクラスの問題児だとは聞いてたが、本当に問題の塊みたいなヤツだな……」
「え? 俺、そんな風に思われてんの……?」
わりと真面目に生活しているつもりのカルタにそんな自覚は無く、わりとショックだった。
「んで、なんだ?」
急かすように長椅子から立ち上がる九郎の背中に、カルタは気を取り直して不意に思い立った質問を投げかけた。
「死んだ人間が生き返るなんて事、ありえるのか?」
カルタは真面目に聞いたが、九郎はその問いかけに呆れる様に小さく笑った。
「この世界にありえないなんて事柄はねぇ。悪魔が平気で人食い漁ってる世界だ。それくらいわかるだろ」
茶化すように言いながら、一変して真面目に続ける。
「それでも一度死んだ人間は蘇らない。これだけは絶対だぜ」




