Chapter031:残滓
誰かは血の海に立ち尽くしていた。
真白に切り取られたいつもの部屋のは、床だけがいつもと違う赤色に染まっている。
「また仲間を殺したのか」
男の声がする。
誰かが振り向いた先にメガネの男がいた。
「仲間じゃない」
誰かは感情のない瞳で小さく言った。
「仲間だよ。彼らは君の仲間に」
「違う。ただのクローンだ。人形だろ」
メガネの男の言葉を遮って誰かは歩き出した。
真っ赤な血の足跡を残しながら、男には一瞥もくれずに横を素通りする。
「待ちなさい。このまま外に出すわけにあっ」
男が誰かを引き留めようとその肩を掴んだ瞬間、男の首が音もなく捩じ切れた。
「人形くさいんだ。触らせないでよ、パパ」
背後で男が血の海に沈む音を聞きながら、誰かはガラスの奥を見据える。
そこにはたった今、自分が首を捩じり殺した男と全く同じ顔がいた。
誰かはそれにもすぐに興味を失ったように視線を逸らし、実験室を出て行った。
後には頭部と胴体の別れた男の死骸だけが残された。
「やはり、処分するしかないのか」
その光景に頭を抱えながら、メガネの男は絞り出すようにそう呟いた。
「もう限界ですよ、博士。これ以上続けるのは危険です」
誰かの姿が見えなくなったのを確認し、周囲で計測器の数値を観測していた白衣たちが男に詰めかける。
「もう制御できません。我々もいつあの様な目にあうか……」
ガラスの向こう側の景色を見やりながら、恐怖に震える声を上げる。
男も理解していた。
誰かの成長は著しい。
能力はその異常性を増し続け、知能指数も同年代の子供とは比べ物にならないほどに高くなっている。
それに比例するように、誰かの感情はどす黒く濁っていった。
最初はもっと無邪気な印象だった。
年相応の明るさで、だからこそ男は教育が可能だと考えた。
だが、違った。
誰かは、能力の強さに飲み込まれている。
能力を使う事に躊躇がなく、むしろそれを使いたがっている印象を受けた。
そうさせないための教育計画だったはずなのに。
「わかっている。私が一番、良く分かっている」
男は自分自身に言い聞かせるように、もう一度言葉を絞り出した。
「053番は、部屋に戻ったか?」
「はい。いつものように部屋の真ん中に座り込んでいます」
できるなら、こうならないようにとは願っていた。
「そうか」
男は小さくため息を吐いた。
もう時間はない。
このまま教育を続けていても成果は上がらないだろう。
そしていつか、誰かの周囲に張り巡らされた予防線は全て看過されるだろう。
そうなる前に、この実験は終わらせなければならない。
「今を持って、第一教育実験は終了する」
白衣の集団にひろがるどよめきの中に、明らかな安堵の色が聞こえた。
「破壊装置の起動を承認する」
男は座ったまま動かなかった。
すぐ横に、緊急停止装置の役割を兼ねたそのボタンがある。
真っ赤で、小さなボタン。
手を伸ばせば座ったままでも触れられる。
「誰でもいい。押してくれ」
男には押せなかった。
組んだ腕に額を落とし、目を瞑る。
静けさを割るように、カチリと小さな音がした。
誰かの心臓が破裂する。
「――ッ!!」
声に成らない悲鳴と共にカルタは目覚めた。
飛び起きるようにして上体を起こしすと、空っぽの肺に冷たい空気が飛び込んでくるようだった。
思わず咳き込む。
「よぉ、お目覚めか」
見覚えのあるファンシーな部屋の入口に九郎が背を預ける様に立っていた。
「九郎……」
九郎は静かにタバコの煙をくゆらせている。
「無事か?」
そう聞かれて、一瞬何の事だかわからなくなる。
考えようと回り出した脳内に、意識を失う直前までの記憶が沸騰する水の気泡みたいに沸き上がってきた。
双葉目が悪魔に襲われて、それを助けて、今度はカルタがやられかけて、そこでロゼと、新しい自称妹が現れて、そして思いっきりぶっ潰された。
「……無事、みたいだ」
肋骨どころか背骨まで砕ける感覚が残っていた。
それなのに、今のカルタにはその跡はまるでない。
元気だ。
薬の反動すらほとんど抜けている。
いつもの筋肉痛がない。
「なんで、ここに?」
「俺が運んだ。教会まではな。後は聖だ」
九郎があごをしゃくる先に、水瓶が寝ていた。
ベッドに上半身だけを持たれさせた格好で、すやすやと寝息を立てている。
ずっとカルタを見ていてくれたのだろう。
また水瓶に介抱されたらしい。
これで二度目だ。
なんか良い匂いがすると思った。
「俺、どうなってた?」
ロゼに大槌で吹っ飛ばされてからの記憶がない。
記憶の限りでは、とても無事ではいられたとは思えなかったが、現に、カルタはこうして無事でいる。
「どうもこうもねぇよ。バカでかいハンマーで吹っ飛ばされて死にかけてたから、こうして介護されてんだろ」
「……見てたのかよ」
「見てたも何も、助けてやったんだ。感謝してくれてもいいんだぜ?」
「助けた? アンタまさか、あの二人とヤリあったのか?」
想像しただけでゾッとする。
少なくともロゼは、普通の人間の相手になるような存在ではない。
シャムと名乗ったもう一人の少女も、植物を操るような特殊な力を持っているようだった。
二人一緒に相手にするなど、それこそ化け物じみた戦闘能力が必要になるだろう。
「仕方ないだろ。妹らしいけどよ、ちょっと手荒になっちまったぜ?」
「手荒って……まさか殺したりとか」
「そのつもりだったが、逃げられた」
九郎は平然と言ってのける。
化け物を二人相手に、九郎は一人、しかもカルタを片手に抱えたまま、それを圧倒して退けたらしい。
一体どんな強さだよと、驚きの言葉すらすぐには出でこない。
「さすがに手加減する余裕はなかったからな。殺す気でやらねぇと俺が死んでた。聖を残して死ぬわけにはいかないからな」
九郎はとんだ化け物だった。
悪魔祓いとはみんなこうなのだろうか。
「……ったく、それにしても随分とヤンチャな妹ちゃんじゃねぇか。いったいどんな教育してんだ?」
大きく煙を吐き出しながら、九郎がしみじみと言う。
ロゼとの初対面を思い出せば、誰だってそう思うだろうと納得しかでてこない。
そんな事、カルタの方が聞きたいくらいだった。
「知らねーよ。つーか、本当に愛しの妹ちゃんならハグの一つでもして宥めるところだが、生憎と俺には面識がなくってね」
「ケッ。どんな状況だよアレ。兄妹喧嘩にしちゃあ笑えないぜ。あ、おいガキ。お前もしかして聖にもそんな歯の浮くような台詞いってんのか? だったら冗談でも許さんぞ? 今すぐ詫びて次から言わないと神に誓え」
「言ってねぇよ! 俺をなんだと思ってるんだよ!?」
急に九郎のお父さんスイッチがオンになったらしい。
サングラス越しに強烈な殺意を放ちながらカルタににじり寄ってくる。
怒気を含んだ声はしかし、寝ている水瓶を気遣って小さくなる。
そうして男二人の顔は自然と近づいていく。
「あ? 聖は別にウチでお前の話とかしてねぇからな? 自分に気があるとか思ってんじゃねーぞ? おん?」
「は? その話ちょっと詳しく聞かせろよ? おい?」
「嫌ですー。話すことないですー」
「子供かよ!」
「ん……んぅ……?」
ゴリゴリと額をぶつけ合う男二人の間で、水瓶がもぞもぞをと起き上がった。
「あっ! 玄岸くん! 大丈夫ですか!?」
寝ぼけ眼がカルタの姿を見つけるや否や、ズビシと背筋を伸ばして水瓶が覚醒する。
「お、おう。おはよう水瓶」
そのテンションの上がり具合に圧倒され、カルタは思わず意味もなく朝の挨拶を口走った。
「おはようございます! 無事ですか!? 無事なんですか!? なんかこう、背骨とかすごい柔らかい感じになってましたけど!?」
「えっ!? なにそれヤバイ!? どう? 治ってる? 俺の背中なんかおかしくない!?」
水瓶のびっくり発現にカルタも驚愕し、背中を確認しようと布団から飛び出した。
「きゃ、きゃああああ!? 玄岸くん!? 前、前! 隠してくださいー!」
「おいガキ、人様の家で寝起き早々ナニやってんだコラ?」
カルタは全裸だった。
なんかデジャヴュだった。




