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切り札はスペードの幼女ですか?  作者: じばうるふ
Episode3/転:Revenge of the Diamond
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Chapter028:静寂

「じゃあ、また来週な。あ、今日の魔法陣で勝手に悪魔よんだりするなよ?」

「絶対しないわよっ!!」


 帰っていく彼の背中が見えなくなるまで、玄関の前に立ち尽くしていた。

 また来週、と返せば良かったなんて、少しだけ後悔する。


 まだ、胸がドキドキしている。


 最近は良く話すようになったが、体に触れたのも、触れられたのも初めてだった。

 というより、この歳になって異性に背負って送ってもらう事になるなんて思ってもいなかった。


「ただいまー」

「あらあら、埜乃。遅かったわねぇ。うふふ」


 玄関を潜ると、ママが満面の笑みを隠そうともせずにキッチンから顔を出した。


「な、なによ……気持ち悪いわね」


 なんだか嫌な予感がして、とっさに悪態をついてしまう。


「あら、ヒドイ言いぐさね! うふふ。埜乃、あんたもしかしてあの彼氏さんにもそんな態度取ってるの? ダメよ~? あ、それともそういうのが好きなタイプの男の子なのかしら? うふふふ」

「っ!? ち、ちがっ……アレはただのクラスメイトで……!」

「あら~? あらあら~? ただのクラスメイトにおんぶなんかされちゃって~? 彼の背中でぐっすりだったのかしら~? うふふふふふ」

「~~~~っ!」


 バッチリ見られていたらしい。

 確かにキッチンの窓から玄関の正面は良く見える。


 イチャつきながら帰ってきたのだと思い込んでいるようだ。

 何がそんなに面白いのか、気味が悪いほどの笑みがこぼれまくっている。


「と、とにかくそんなんじゃないからねっ! もう、ママったら!」


 口論すればするほど余計な勘違いを招きそうで、着替えもせずに二階の自室に逃げ込んだ。


 きっかけは彼が面白そうな本を読んでいた事だ。

 それから良く話すようになって、気づいたら彼の事ばかりが気になっていた。


 彼はユーモアがあって、ノリも良い。

 しっかりしているようでちょっと抜けていたり、少し天然な所や意地っ張りな所もある。

 そういう所はちょっと可愛いと思うかもしれない。


「じゃあ金曜、放課後に図書室でな」

「了解ですよ!」


 偶然、彼がクラスメイトの水瓶とそんな話をしているのが聞こえた。

 本当に偶然だ。別に聞き耳を立てていたわけじゃない。

 本当だ。


 隠し事のようにこっそりと小声で約束を交わしているのを見て、なんだか気持ちがモヤモヤした。


 水瓶とは同じ中学でクラスメイトだった。

 お互いに顔見知りだ。


 水瓶は転入生だったが、その頃からすぐに男子生徒の憧れの的であり、クラスの中心になっていた。


 そんな水瓶は今のクラスでも人気者だが、彼と親しくしているのはあまり見かけなかった。

 頻繁に学校から抜け出す彼の世話役はむしろ隣の席の西猫の役目だったのだが、彼女が突然転校してしまってから、かわりに水瓶がその役目を引き継いだらしい。


 水瓶と同じく最近までは彼の事なんてクラスの問題児Aくらいにしか思っていなかった。


 そんなわけで、彼の交友関係に口を出すような親密な間柄にはなれていないと弁えている。

 彼と水瓶が何をしているかなんて、気にしても仕方がない。


 仕方がないのだが、やっぱり気になる。


 二人は何をしているのだろう。

 というかどういう関係なのだろう。


 やっぱり親しいのだろうか。


 友達?

 それともそれ以上?


 一度気になると止まらなかった。


 図書室、という単語から何となく連想したのは、彼が解読に挑んでいるという古文書だった。


 彼は良く教室からいなくなるが、荷物は置きっぱなしの場合が多い。

 彼が居ない間にこっそりとその本を開き、数ページを写真に収めて、家で独自に解読してみる事にした。


 解読には予想以上に手間取った。


 まず同じタイトルの本の記録がネット上には見つからなかった。

 もしかしたらかなり貴重な本なのかも知れない。


 そうなると自力で翻訳するしかないが、オカルト好きがたたってラテン語は少しくらいなら読める。


 喋ることは出来ないが、読み取る程度ならそう難しくない。

 わからない単語くらいはすぐに調べる事が出来る便利な時代だ。


 それでも一筋縄ではいかなかった。


 そもそも文法がラテン語のそれとは違う。

 単純な翻訳ではまるで意味不明になる。


 まるで暗号解読のようだ。


 週末までという限られた時間で解読するため、寝る間を惜しんで解読にあたった。

 寝不足にはなったが、おかげでなんとなくは解読できた。


 授業中に居眠りなんてしたのは久しぶりだ。


 解読してみれば何てことはない。

 日本語の文法をラテン語に置き換えてられているのだ。


 今は使われていない慣用句などのせいでおかしな翻訳になるが、一個一個の単語をしっかり確認していけば意味は通じる。


 初めて見る形式だったが、異国間の交流は開国後の日本では活発に行われていた。

 特にラテン語を主に使うカトリックは海外への布教活動にも熱心だったようだし、こんな異種混合の古文書が存在していてもおかしくはない。


 その甲斐があって、今日はバッチリその成果を披露できたと思う。


 私の解読結果を聞いた彼の驚いた顔は今もハッキリと思い出せる。

 これで少しは私に興味を持ってくれただろうか。


 それか当然、儀式の事は知っていたし、もしかしたら実践するつもりなのかも知れないとは思っていたが、まさか本当にポルターガイスト現象を体験することになるとは予想外だった。


 おかげで彼の前で無様な姿を晒してしまった。

 しかも思いっきり抱きついてしまった!


 それにあんなことになっても水瓶は全然平気そうにしているし、彼もいたって冷静な様子だった。

 おかげで余計に恥ずかしくなる。


 思い出しただけで顔から火が出そうだ。

 穴があったら入りたい思いだった。


「はぁ~……」


 あの古文書は間違いなく本物なのだろう。

 彼はいったいどこであんな物を手に入れたのだろう。


 知れば知るほど不思議な人だった。


「失望、されたかな……?」


 儀式の後、泣きつかれて机に突っ伏してしまったせいで、彼が家まで背負って送ってくれた。

 正直、その優しさはすごく嬉しかった。


 だけど、あんな手間をかけさせてしまって申し訳ない。

 しかも自分から半ば強引に乱入しておいてこのザマだ。


「もしかして、嫌われた?」


 間違いなく迷惑をかけてしまった。

 もしかしたら嫌われてしまったかもしれないと考えると、胸がキューっと苦しくなる。

 それに、彼に迷惑をかけたクセに、こんな自分勝手な事ばかり気にしている自分にも腹がたった。


「あー、もうっ!」


 きっと彼は何にも気にしていないんだと思う。

 別れ際の彼の様子は怒ってるようでもなくいつも通りだった。


 いつも通りに、また来週だ。


 自分ばっかりこんなに気にしてしまって、なんだかバカみたい思える。

 なんだか、とってもズルい。


「ごはん、まだかな」


 一通り感情を整理し終えると、急に空腹感を感じてきた。

 ママがキッチンで何か作っていたから、すぐに呼ばれると思っていたのだけれど、キッチンからは中々声がかからない。


「なに作ってるんだろ」


 手間のかかる料理と言えば何だろう。

 料理は苦手なため、あまり思い浮かばない。


 煮込んだり、じっくり焼く必要があるものだろうか。

 たとえば、シチューとか、ローストビーフとか。


 考えると、余計にお腹が減ってきた。


 目を閉じて階下に聞き耳を立ててみる。


 やけに静かだ。

 物音一つしない。


 気になったのでキッチンを覗いてみる事にした。


 制服を脱ぎ、ブラを外してゆるい部屋着に着替える。

 ブラジャーは息苦しいので嫌いだ。

 さすがにノーブラで学校へは行けないが、家の中なら気にする必要もない。


 階段を下りる途中、どこかでゴトンと何かが倒れる音がした。

 何だろう。


「ママー?」


 呼びかけるが返事はない。


 キッチンへ続く扉の下に、小さな影が見えた。

 ボールのような何か。


「ママ?」


 すりガラスの扉に、小さな赤い斑点があった。


 ゾッと、背筋に冷たい物を感じた。

 氷の粘膜のような何かが背中を這い落ちるような、不快で不快で仕方がない感覚だった。


 それは脳の錯覚だ。

 とんでもなく不吉な物を連想してしまったから、そんな変な感覚を感じてしまったのだ。


 きっと、非日常的な光景を目の当たりにしたばかりだから、そんな突拍子もない事を考えてしまうのだ。


 勘違いに違いない。

 そうに決まっていると言い聞かせるように扉を開けた。


 ママが、床からこちらを見上げていた。


「……ぁっ――!」


 キッチンの端で、何かがママの体を漁っていた。

 巨大な山羊の顔が、こちらを向く。


「――――っぅ」


 ヒュ、と口から掠れるような風の音が絞り出た。


 ママの悲鳴も何も聞えなかったわけだ。

 人間、本当の恐怖を目の当たりにすると呼吸すらできなくなるらしい。


 悲鳴すら上げる事ができない。


 学校で、あれだけ泣き喚いていた自分が馬鹿らしく思い出された。

 ポルターガイストなんて、何てことない些細な事だったんだ。


 巨大な山羊が立ち上がると、ゴツンとその捩じれた角が天井を叩いた。


 真っ赤な血に濡れた尻尾の様なものが、ヒュンと風を斬る。

 その血は、きっとママの血だ。


「ヴェエェ~……」


 山羊が大きな口を開けた。

 血みどろの牙が雑然と並んでいた。


 あぁ、こんなことなら、ちゃんと彼に返事を返していれば良かった。


 また、来週。

 学校で、って。









 双葉目埜乃の意識はそこで途絶えた。

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