Chapter026:儀式
怖い話というものには妙な感染力がある。
幽霊だの何だのと言われても、すぐに完全に信じる人は少ない。
それでも、なぜか記憶に残る。
記憶の奥底にへばりつくように、忘れようとすればするほど考えてしまう。
そうやってついつい誰かに話をしてしまう。
それが次々に感染する。
人から人へ次々に感染し、その中で変化を経てさらに広がる。
より恐怖心を煽る出来事になり、さらに感染力を増す。
例えばこんな経験がある人は多いのではないか。
みんなで怪談話をしあうような時だ。
盛り上がっている間は全く気にならなかったのに、いざ解散して一人きりになった部屋で、ふとした瞬間に背中に視線を感じてしまう。
これはもちろん錯覚だ。
あるいは視界の隅に何かの影が見えたように感じる事もあるだろう。
これも錯覚に過ぎない。
だが、そう錯覚させるだけの力が恐怖心にはある。
なんでもない感覚を、恐怖が捉えて離さなくなる。
恐怖は五感を敏感にするという。
これは脳の防衛本能のようなものらしいが、そのせいで今まで気にならなかったものに過敏になってしまう。
それが錯覚に繋がる。
要は考えすぎなだけだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言ったもの。
ありもしない出来事が脳内にチラついて、トイレに行くのやシャンプーするのが怖くなる。
考えないようにすればするほど考えすぎる。
恐怖が先行すると、全てがそれらしい物に見えてくる。
そうした勘違いから新しい怪談話が生まれ、また感染する。
刷り込み作戦もそれと同じだ。
悪魔の弱点を水瓶に錯覚させる。
それには恐怖心が都合の良い感情だとカルタは考えた。
もしかしたらという小さな疑念すら、大きな恐怖の糧となる。
まずはその小さな恐怖をこの本に抱いてもらう事だ。
そのための準備がもうすぐ完了しようとしていた。
「カーテンよし! 魔法陣よし!」
カルタの書いた説明書きを見直しながら、双葉目が儀式の準備に問題が無いかを確認していた。
「うん。これで良いみたいね。準備完了よ」
「なんだかワクワクしますね!」
儀式の条件として設定したのは外から中が見えない密室である事と、魔法陣を描くことだけだ。
用意していた遮光カーテンで密室は簡単に完成し、魔法陣を描くための大きめの紙とペンも図書室の受付に事前に用意しておいた。
さりげなく「受付とかにあるんじゃないか?」と水瓶を誘導し、限りなく自然な流れで準備は整った。
「どうせ何も起きないと思うけどな……」
ここでカルタはあえて否定的な言葉をこぼした。
本来は水瓶が怖がらせないように儀式へ誘導するための台詞だ。
そのためのシミュレーションを事前にしてきたのだが、水瓶はむしろノリノリだった。
テンションが高すぎるのも雰囲気が台無しなので仕方なくカルタがバランスを取っている。
水瓶は悪魔が実在することをすでに知っているハズなのに、儀式をまったく恐れていない。
つまりは、カルタお手製のこの本を信じていないのだ。
この本がカルタの手作りだからではない。
まだバレてはいないだろう。
恐らく、悪魔の存在を知ってから水瓶もその対処方法を独自に調べたはずだ。
そうして専門書や雑誌を見てきて、きっと通用しなかったのだろう。
多くが偽物なのだと諦めている。
世の中には紛い物の方が多いし、そもそも悪魔が本当に実在してると思っている人間がどれくらいいるのかもわからない。
そこまでの水瓶の思考の過程が目に浮かぶようだった。
水瓶は、自分が周囲の人間に迷惑をかける事を平気なままでいられるような性格はしていない。
カルタと水瓶の距離が縮まったのはつい最近の事だが、それでも十分に良く分かる。
逆に、困っている人を見ればそのために手を差し伸べずにはいられないくらいだろう。
悪魔を生み出さなくなる方法を探しているハズだ。
だからこそ、作戦には今この過程が必要になる。
まずはこの本自体を信用させる。
内容についての刷り込みはそれからだ。
あるいは水瓶がただただ素直すぎるだけなのかも知れないが、それならそれで刷り込みには丁度良い。
一つだけカルタが考えている問題は、飛び入り参加の双葉目の肝が据わっていそうな所だった。
水瓶が仕掛けに驚いてくれる姿は想像できるが、こと双葉目が怯える姿は想像できなかった。
できるなら水瓶と一緒に驚いて欲しい所だ。
その方が水瓶の印象には恐怖が強く残るだろう。
頼れる姉御感を出されると困るのだが、双葉目は本当に動じなさそうで怖い。
「明かりはつけたままで良いみたいね。あとは、参加者みんなで一緒に呪文を唱えれば完了ね」
図書室のど真ん中に陣取った机の上には小さな魔法陣が描かれた用紙が置かれている。
大きな丸の中に三角形が不規則に並んでいるが、特に意味はない。
ロナのセンスだ。
「どんな呪文です?」
「えーと、こういう呪文は元の言語のまま読み上げるのが正しいのだけれど、この書物によれば、大事なのは気持ちだから意味さえ合っていればどんな呪文でも良い、と記されているわ」
「なんだか日本的ですね」
「まさかの精神論だな。人間の精神に影響を受けるなら筋は通っているけど」
実際にはラテン語の正しい発音が難しかったからである。
そのため日本語でも良いという事にした。
「呪文の内容としては、そうね……要約すると、悪魔さん悪魔さんこんにちは、って所かしら? このフレーズを二回繰り返すのよ」
なんとも可愛らしい要約が出てきた。
カルタとしては「小さき悪魔よ現世に出でよ」を崩して書いていたつもりなのだが、双葉目の中で何がどうなったのだろうか。
意外と可愛いセンスの持ち主らしい。
ギャップ萌えという奴かもしれない。
「なんだかおまじないみたいですね」
「幼稚園のお遊戯会とかでありそうだな」
「う、うるさいわね! 意味はあってるから良いのよ! 悪魔よ来なさいって気持ちがあれば良いの!」
双葉目が顔を真っ赤に染めてからかいがいのあるリアクションを取ってくれた。
クールぶってるわりに意外な一面を見せてくれる。
「じゃ、じゃあ、全員で一緒に唱えるわよ? ゆっくり、気持ちを込めてね」
「はい! 悪魔さん悪魔さん、こんにちは……を二回ですね」
「おう、いつでも良いぜ。悪魔さん悪魔さんな」
「もう、しつこいっ!」
バッチリ良いリアクションだった。
からかうのクセになりそう。
「い、行くわよ……!」
双葉目がコホンと小さく咳ばらいをして、本を机に置く。
目線で「ほんとにやるからね?」と訴えてきたので、カルタと水瓶は「どうぞ」と頷き返した。
「じゃあ、せーの……」
双葉目の合図に合わせて小さく息を吸う音が三つ、他に誰もないない静かな図書室の中で重なる。
次いで、呪文も三つ、重なった。
「悪魔さん、悪魔さん、こんにちは。悪魔さん、悪魔さん、こんにちは」
ゆっくりと、三人で呼吸を合わせる様に言葉を紡ぎ終えた後に、再び誰も居ない静けさが戻ってくる。
「……失敗、ですか?」
何の変化もない様子に、水瓶が躊躇いがちにそう呟いた。
それが合図だった。
その瞬間に蛍光灯の明かりがプツリと消える。
「うわぁ!?」
カルタが脅かすように大げさに驚いて見せる。
人間の感情を動かすのは刺激だ。
その驚きが感情のスイッチを入れる後を押す。
「な、なんですか!? まさか、本当に悪魔が……?」
まだ外は日が昇っている時間帯だが、唯一の窓を遮光カーテンで覆われた図書室は暗闇に包まれる。
実際には、扉側の隙間から微かに入り込む廊下の明かりで、暗闇に慣れさえすればぼんやりと周囲が見えるようになる程度の明るさは残るように調整済みだ。
しかし、驚くと思っていたハズの水瓶は至って冷静だった。
「玄岸君、ののちゃん、無事ですか!?」
「お、おう。大丈夫だ。明かりが消えただけだろう」
「良かった……。ののちゃん?」
「……いや、双葉目も無事だ。横に居る。大丈夫そうだぞ」
双葉目はぎゅっとカルタの腕を抱いてくっついている。
小声で何か言っているのが、カルタにはなんとか聞き取れた。
「うぅ、ウソぉ、もも、もしかして、ホ、ホントに成功しちゃったの……?」
双葉目はめちゃくちゃビビッていた。




