Chapter023:素直
「よーし、じゃあ今日はここまで。解散だ」
一日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り終わると、待ってましたとばかりに教室が歓声に湧く。
それもその筈で、この後には楽しい土日が待っている。
週末の放課後ならではの解放感あふれる光景だ。
「あー、玄岸は残れ。後で用が……あ? 玄岸どこいった?」
すでに教室にカルタの姿はなかった。
「カルタさん、まだホームルーム終わってなかったけど、抜け出して良いの?」
チャイムが鳴りやむ少しだけ前、ロナが不安げにカルタに念話したきた。
「大丈夫だ、問題ない」
カルタは担任教師の最後の挨拶が終わる直前、忍びの如き身軽さで教室から脱出していた。
「出井門先生がこっちをチェックしてただろ。アレはこの後で俺に何か厄介事を押し付ける時の合図だ」
逃げるなよ、という先制攻撃でもある。
だが生憎と今日はこの後でカルタにも大事な用事が控えている。
おめおめと用事を押し付けられるわけにはいかなかった。
「だったら、素直に用事があるからって言って断った方が良いんじゃないかな?」
「それは無理だ。いろいろと弱みを握られている」
「生徒と教師なのに一体どんな関係なんだよう」
とにかく気づかなかった振りをして逃げ出すのがてっとり早い。
そうしてカルタは水瓶との約束通り、図書室に向かった。
「あら、玄岸じゃない。どこへ行くのかしら?」
「げっ」
もう少しで図書室に着くという所で見知った顔が声をかけてきた。
「げっ、とは何よ。随分と無礼な振る舞いじゃない」
双葉目がムッとした表情で腕を組み、通せんぼするように立ちふさがった。
その佇まいからは「逃がさないわよ」という気持ちが滲み出まくっている。
「そんなに慌てて何をしているの? まだホームルームも終わったばかりだというのに、大事な用事でもあるのかしら?」
「……双葉目、お前こそなんで先回りしてるんだ? ホームルームにはちゃんと最後まで参加しないとダメだろう?」
カルタは最短の道順で図書室に向かって来た。
それを先回りするという事は、つまりは双葉目もホームルームを抜け出していたという事に他ならない。
ホームルーム中は双葉目が居ない事にすら気づかなかったが、そういう事のハズだ。
「え? わ、私は図書室に本を返しに来てたのよ! 偶然なんだからね!」
めちゃくちゃ怪しかった。
とても一般的な質問に、なぜか双葉目は顔を真っ赤にしてやたらと狼狽える。
双葉目は普段はポーカーフェイスなクールキャラを装っているが、見ての通り嘘が下手だ。
「別に疑ってはないだろ……」
「な、なら良いのよ! それで、玄岸は何しに図書室へ? この方向に来って事は、図書室に用があるんでしょう?」
双葉目が「ご明察でして?」と言わんばかりに顎をクイッと上げて見下ろすようなドヤ顔を決めてくる。
なんだこいつ。
図書室には普段は全くと言って良いほどに人が来ない。
週末の放課後となれば尚更だ。
先に水瓶と合流してしまえば、後は内鍵を閉めて「閉室」の札を勝手にかけるつもりだったのだが、まさか先に別の人間と出会うとは思っていなかった。
双葉絵は最近仲良くしている相手だが、この場に置いてはこれ以上にないほどに遭遇するべきではない厄介な相手である。
なにせこれから悪魔祓いの話をしようと言う所なのだ。
知られれば興味を持たれるに決まっているし、一生徒に過ぎないカルタに双葉目を公共の図書室から追い出すような権限はない。
この学校の図書室には個室のようなものもなく、作戦を進めるには別の場所に移動する必要が出てくる。
そうなっては作戦に向けたロナとの打ち合わせも台無しになる。
演出のために図書室にはすでに色々と細工を施しているのだ。
それが使えなくては打ち合わせ通りに作戦を進める事が出来ない。
「奇遇だな。俺も本を返しに来たのだよ。週末は図書室が閉まるのも早いからな。だから急いでたってワケさ……」
カルタは咄嗟にでまかせを述べた。
こうしてカルタ一人ならば言い訳もできるのだが、ここに水瓶が合流でもしたら、きっと素直に話してしまうに違いない。
「大丈夫です! 一緒に悪魔の話をしてても、きっとそれが私と関係あるとは思わないですよ! それにみんなでやったほうが楽しいですよね!」
何て事を天真爛漫な笑顔で言ってきそうだ。
それくらい水瓶は他人の害意という物を信じていない。
性善説の塊みたいな思考回路だ。
なぜ悪魔の母体に選ばれたのか信じられないくらい悪意と言うものから縁遠い。
もしかしたら、だからこそなのかも知れないが。
「あ、玄岸くん。やっほーですよ!」
なんて考えていたら、当の本人がノコノコと現れた。
やっほー、ではない。
「お、おう、水瓶……」
先に水瓶に喋らせたら終わりだった。
速攻で全てを話して即終了。
恐らくは双葉目の参加を受け入れて後は為す術なしだ。
何とか話を逸らし、自然な流れで水瓶を連れて一度この場所から離脱する必要があった。
考えろ、考えろ。
カルタは一気に脳みそをフル回転させた。
水瓶がカルタの世話役を買って出たことはクラス中に認識されている。
そしてそれから約一週間が立つ。
毎朝のお迎えが当たり前になりつつある。
つまりは仲良くなっていても全く自然。
実際に仲良くなっている。
敬語も砕けて来たし、今も「やっほー」とか言ってくれた。
むしろ逆になんで未だにその程度の中なの?
二人はどこまで進んでるの?
と思われてもおかしくないレベルだ。
もしも今から二人で出かけても「何で?」とはならない。
週末の放課後に二人でお出かけしても全く問題はないに決まっている。
そう、自然な流れでデートすれば良いのだ。
勝った。
完璧な理論だ。
そこまで一気に思考を突っ走らせ、カルタは脳内でガッツポーズを決めた。
「そうかなぁ……?」
脳内でロナが首をかしげる。
思考を加速させることに集中しすぎて念話としてこぼれ出ていたらしいが、この際なので何も気にしなかった。
まずは自然な一言目だ。
そこから一気に会話の主導権を握る。
「実は俺たち……」
「あら、水瓶じゃない。珍しいわね。アナタが図書室に来るなんて」
そんなカルタの言葉を遮って、先手を打ったのはまさかの双葉目の方だった。
「ののちゃんもやっほーですよ。あ、そうだ。これから玄岸くんと悪魔祓いの本を解読するんだけど、良かったらののちゃんも一緒に解読しちゃいます? こういうの好きですよね?」
フルコースである。
挨拶から事情の解説をこなしつつの勧誘まで、一切の淀みがない見事な一撃だった。
「あらあら、それはとても楽しそうね。うふふ……」
双葉目は当然のように快諾し、そして重たい前髪の影で怪しく笑った。
その笑顔に背筋がゾッとするのを感じながらカルタは悟った。
もしかして、こいつは初めから知ってて先回りをしていたのではないかと。
「それじゃあ、善は急げのレッツゴーですね」
水瓶が元気よく図書室への扉を開ける。
今日も蒸し暑い夏の熱気がその背中を汗ばませて透かしている。
今日は黒か。
良い仕事だ。
そんな夏の恵みを見ても今のカルタの気分は晴れないままだった。
「水臭いわよ、玄岸。素直じゃないわね。もっと私を頼りなさい」
ぐったりと疲労を感じるカルタの肩をポンと叩き、双葉目が良い笑顔を向けてきた。
違う、そうじゃない。
「カルタさん、どどうしよう? 予想外の展開だよう」
「はぁ……ほんとだな。うん、まいった……」
もう挽回の余地はない。
あとはこの後をどう乗り切るかだ。
「何とかするさ……」
カルタは気持ちと一緒にその思考を切り替えて二人の女子の後に続いた。




