Chapter022:書物
「カルタさん、朝だよう」
ロナに体を揺すられて、カルタは目覚めた。
「ん……おはよう……」
ロゼという少女と出会ってから、寝覚めが悪くなった。
良く夢を見るようになったようだ。
相変わらずその中身は目覚めるとともに忘れてしまうが、それでも夢を見ていた事は覚えている。
ずっと薬の反動が残っているような、カルタにとってはあまり良い感触ではなかったが、最近ではそれも慣れてきた。
「おはようだよう」
「カルタさん、おはようございます」
ぼんやりと重たい頭を起こすと、コロネルがちゃぶ台の上には朝食を用意している所だった。
「じゃあ私は隠れてるからね」
そう言って十字架に変わるロナが、器用に浮遊を使ってカルタの首に一人でにかかる。
「おう」
眠たげに短く返事をして、顔を洗う。
先に着替えようかというタイミングで、玄関の扉が開いた。
「おはようございまーす」
元気な声は水瓶だ。
「あ、玄岸くん。おはようございまーす」
目が合うと、もう一度挨拶してくる。
毎回こうだ。
一度目の挨拶は部屋に向けてのものらしい。
水瓶は誰にでも挨拶を欠かさない。
いつも律儀で、誰にでもわけ隔てない。
それがクラスでも人気のある理由の一つだろうと勝手にカルタは思っている。
「おはよう。飯、食うか?」
「わぁ! いいんですかー!?」
これもいつの間にか定着してしまった毎朝のやり取りだ。
水瓶は目をキラキラさせている。
「おう。着替えてくるから先に食べてろよ」
「はーい!」
ここのところ水瓶が毎朝カルタを迎えに来る。
校内では何かと問題行動の多いカルタだが、遅刻はほとんどしてこなかった。
朝はちゃんと起きるからだ。
それが朝起きれなくなったせいで数日遅刻が続いた結果、担任の教師からは「何とかしろと上から言われてる。何とかしろ」とお達しが出た。
いつもならカルタの世話と言えば西猫だったが、不在となったため水瓶がその役割を買って出たというワケらしい。
西猫の死については九郎には話したが、水瓶には話していない。
自分のせいでクラスメイトが死んだなんて、水瓶は知りたくないに決まっているし、カルタも言う必要はないと感じていた。
「あ、コロネルさん。おはようございまーす」
「水瓶さん、おはようございます」
「今日も頂いちゃっていいんですか!?」
「えぇ、どうぞ。もう水瓶さんの分も作っちゃいましたから」
「なんと! それは食べざるを得ません!」
脱衣所で制服に着替える間に、ちゃぶ台あたりで水瓶がコロネルとキャッキャウフフしているのが聞こえる。
コロネルは水瓶と接触するためか、最近は朝はいつも居るようになった。
ロナが姿を隠す必要があるため、代わりに朝の家事は手伝ってくれている。
ロナが言っていた通り、ロナの師にあたるコロネルも家事スキルは高水準だった。
料理も上手いようで、水瓶の胃袋をすっかり掴んでいる。
カルタに協力を依頼せずとも、毒でも盛れば一発で暗殺できそうなものだ。
実際はそうはいかないらしいが、カルタにはとてもそうには見えなかった。
水瓶はカルタの家にすっかり馴染み、カルタでなくてもいつでも殺せるくらいには隙だらけだ。
もともと水瓶は隙の多いタイプだ。
ただでさえ巨乳だというのに日頃からパンチラや、夏場はブラ透けを欠かさないクラスに咲いた男子のオアシスである。
学内でもトップクラスの人気の割に未だに彼氏が出来ないのは、水瓶と親密になった男子や告白した男子は呪われると言われているせいらしいが、たぶん深くは考えてはいけないやつだろう。
夜中にスキンヘッドの筋肉お化けに襲われたなどの伝説をカルタは聞く度に忘れる事にしている。
多分、いや絶対に九郎だ。
関わらない方が良い。
「うわぁ~、やっぱり美味しいです。コロネルさんってお料理が上手なんですね」
「ホームレスとして当然の嗜みですよ。外界ではこれくらいは出来ないと生きていけませんから」
「ふむふむ、ホームレスって凄いんですね!」
「ハッハッハ。それほどでもありませんよ」
来るたびにコロネルから謎のホームレスネタを仕込まれている水瓶だが、大丈夫だろうか。
素直すぎる水瓶の将来が心配だった。
「カルタさんってば、毎日こんなご飯を食べられるなんてうらやましいですよ!」
その台詞も毎朝聞いている。
儀式か何かだろうか。
「私もコロネルのお料理たべたいなぁ……」
「また夜な」
「夜は私が作るよう!」
めんどくさい。
用意を終えて家を出ると、水瓶と一緒にそのまま学校に向かう。
水瓶は道すがら色んな人に声をかけられ、その度に律儀に笑顔で挨拶を返している。
カルタはそれを黙って見ているだけだ。
「もう、玄岸くんも一緒に挨拶しましょうよ! お友達の輪が広がりませんよ?」
「俺の輪は小さくて良いんだよ。量より質だから」
カルタがさり気なく水瓶から距離を取ろうとすると、水瓶は敏感にそれを察知してグイグイくる。
「量も質も、ですよ! ほら、笑顔笑顔です」
水瓶がそう言って笑いながらカルタの頬をつまみ上げる。
顔と顔が急接近して、微かにバラの香りがする。
胸も近い。
あたってる。
水瓶はたまに意外と大胆だ。
カルタとしても年頃の巨乳とのスキンシップには悪い気はしない。
水瓶は可愛いし、巨乳だ。
だが、水瓶は特別なのだ。
なぜならこうしている今も、その背後からスキンヘッドの筋肉お化けが見ているのだから。
距離が近づくたびにサングラスの奥で眼光が鋭くなっている気がする。
いつ銀の弾丸が飛んで来てもおかしくないほどの殺気を感じる。
水瓶が毎朝お迎えに来るようになって、一緒に九郎にセットでついてきた。
九郎本人は隠れているつもりなのだろうが、殺気が強すぎて隠れようがない。
水瓶はそれを知ってか知らずか、引き気味なカルタに強気なスキンシップを挑んでくる。
拒絶されると逆に燃えるタイプなのかも知れない。
助けて。
学校に着いてからは今まで通りだ。
水瓶の周りにはいつもたくさんの友人がいて、たまに遠くに九郎の気配を感じる。
カルタはいつも通り、わりと真面目に授業を受けている。
最近は悪魔に関する事に時間を割いているためか、妙な友人が出来た。
「あら、玄岸。まだその書物を解読していたの?」
授業と授業の間の小さな休憩時間、その友人が良く声をかけてくる。
双葉目というクラスメイトだ。
重たい前髪で病的に色白な肌の、病弱そうな女の子。
カルタとはこれまでほとんど付き合いがなかったが、今では中々親しい交友関係にまで発展している。
事の発端はカルタお手製の「悪魔祓いの書」で、解読している様子を水瓶の見える範囲で日頃から行う事によって刷り込み作戦の成功率アップを図っていた時に声をかけられた。
双葉目はラテン語が読めるらしく、カルタが適当に調べて書いた本のタイトルを読み取って興味を持ったと言う。
曰く「オカルトを嗜むのならラテン語なんて必須科目のような物」らしい。
カルタが本につけていたタイトルは「初心者でもできる悪魔祓いのやり方」だった。
まさか読めるヤツが居るとは思わずバカにしたタイトルをつけていたが、双葉目はそれを見て同じ趣味の仲間だと思ったらしかった。
「あなた、黒魔術に興味があるのかしら?」
夕焼けに染まる放課後の教室で、わりとインパクトのあるファーストコンタクトだった。
正確には教室で何度も顔は合わせているのだが、ちゃんと面と向かって話したのは初めて、という所でその台詞だ。
いろいろと妙な出来事には耐性があると思っていたカルタだが、さすがに一瞬意味がわからなかった。
「その書物、悪魔に関係するものでしょう?」
どうやら悪魔祓いから悪魔召喚へ、そしてそこから黒魔術へと双葉目の中で勝手に思考が跳躍していたらしい。
「いや、俺は悪魔に興味があるだけだ……」
カルタは直感で何かやっかいな人に目を着けられたと察知し、クールにそう返した。
双葉目には何故かそれがウケたらしい。
そこから基本的には双葉目からの一方通行だが交流が始まって、何気に仲良しになってしまった。
それ以来、双葉目はカルタお手製の悪魔祓い書に興味津々で、何かと解読の手伝いを申し出て来る。
「まだ解読が終わっていなかったのかしら?」
「いや、ちょっと気になる箇所があってな……なに、大した事じゃないさ」
本の中身はタイトル以上にさらに適当だ。
ラテン語スキルを持つ双葉目に一緒に解読されてしまうとその信憑性が皆無だとバレる違いない。
そうなると、水瓶にもそれが伝わってしまう可能性があった。
それではわざわざ教室内でこの本を読む意味がなくなるどころか逆効果になってしまう。
カルタは「自力で解かなければ意味がないからな……」「この程度、双葉目の力を借りるまでもないさ……」と言いながらなんとか断り続け、それからは別の悪魔雑誌などを持ち込んだりして興味を逸らしてきた。
今日は放課後に水瓶への刷り込み作戦を決行する日である。
カルタはその用意をしていただけだった。
「行き詰っているのなら、いつでも手を貸すわよ?」
「フッ、心配には及ばないさ。これくらい、一人で解読できる……」
双葉目は少し独特な話し方をする。
例えば「本」を必ず「書物」と言ったりする感じだ。
カルタもそれに影響されるのか、なぜか双葉目と会話するときはクールな感じになってしまうのだった。




