Chapter020:金杖
真夜中の冷たい風が、背の高いビルの間の狭い裏路地を吹き抜けて、ヒュウとかすれた口笛のように音を立てる。
街は寝静まり、明かりも消えて薄暗さを増す夜の細道の奥に、真っ赤なトレンチコートを翻して一人の少女、ロゼは静かに降り立った。
「もう、シャム。アナタったら、またこんな所にいたのですのね」
薄暗い裏路地の中、さらに影になった暗闇の中に声を落とすと、微熱を湛えたおっとりとした返事が返ってきた。
「あらぁ、ロゼちゃん」
声の主はロゼと同じ背丈の一人の少女だ。
シャムと呼ばれた半裸のその少女は、影の中で熱っぽく荒い呼吸を繰り返している。
「ごめんなさぁい、私お腹が減っちゃってぇ」
シャムの下には植物の蔦のようなもので、ミイラのようにグルグル巻きに縛り付けられた男の姿があった。
抵抗しようとしたあとなのか、蔦が激しく食い込んで出血している場所もある。
顔には布のようなものが巻き付けられていて、口の部分が凹んだり膨らんだりしているのが見える。
とても元気なようには見えないが、死んではいないようだ。
瀕死といった所だろうか。
シャムはそんな瀕死の男に上に跨って一心不乱に腰を振っていた。
ロゼはその様子を一瞥し、小さく溜息を吐いた。
「それは良いんですの。だけど一言くらいは伝えてくれないと……」
ロゼはシャムに歩み寄ると、シャムの顎を引き、その口元にこぼれる涎を優しく拭った。
「アナタが急に居なくなったら、私、心配してしまいますのよ?」
「ん、わかってるぅ。ごめんねぇ、我慢できなくってぇ」
どちらともなく二人は唇を合わせ、自然と舌を絡めあった。
小さな舌を通じてお互いの熱を感じ合う。
「もう良いですのよ、こうしてちゃんと無事で居てくれたから」
布にくるまれた男の顔はわからないが、きっとシャムの好みの顔なのだろう。
背丈や筋肉の付き具合もシャムの好きそうなものだ。
大方、街で見かけて我慢できなくなり、そのままここへ連れ込んだのだろうと予想はつく。
こんな時に自分たちの容姿が便利な事を、シャムは特に良く理解している。
唾液の糸を引きながらシャムがゆっくりと唇を離し、蕩けるような表情の頬をよりいっそう赤らめた。
「あん、ロゼちゃんからお兄様の匂いがするよぉ」
シャムがロゼの右手首を見つめる。
一度はカルタに砕かれた手首は、すでに何の怪我も残っていない正常その物だ。
やっぱり気づいた、とロゼも悪戯をする子供のように笑みを浮かべた。
「もぉ、ロゼちゃんったら、ずるいよぉ。お会いする時は一緒に、って言ったのにぃ」
小さく頬を膨らませながら、シャムがカルタが触れたそこに舌を這わせる。
シャムの不意打ちにピクンとロゼの体が跳ねた。
「ん、ごめんなさいなの。でも、ワザとではないのよ? 偶然居合わせてしまったんですもの」
「それはわかってるけどぉ。んっ……これがお兄様の味なんだねぇ」
シャムの腰の動きが激しさを増す。
「ねぇ、ロゼちゃん。お兄様、どうだったぁ?」
上目遣いに聞いてくるシャムに、ロゼは興奮した様子で答えた。
「えぇ、それはもう、とっても素敵でしたのよ♪」
会うのは初めてだったが、一目見た瞬間に彼だと分かった。
消えたはずの記憶なのか、それとも本能か遺伝子か。
どちらでも良かった。
ただ間違いなく、彼だと分かった事が嬉しかった。
「一目見ただけで分かりましたの♪ この方が私たちのお兄様なのだと♪」
そしてロゼは、自分達と同じか、あるいはそれ以上の戦闘機能を持ちながら、それを自覚していないカルタのその深淵を覗いて来た。
そしてその姿に、自分達の兄として相応しい存在だと認めるに値するものを見た。
まだ目覚めには程遠い。
本質は隠れたまま、ロゼが見たのは深淵の上澄みに過ぎない程度の代物。
それでもなお素敵な力だと思った。
今はまだ枷に囚われているが、それもすぐに外れるだろう。
その時は、きっと自分たちの願いを叶えてくれるに違いないと、そう確信できるほどに。
「さすがは私たちのお兄様ですのよ♪」
ロゼは手首の砕ける感触を思い出し、それだけで体が火照ってくるのを感じた。
その火照りを共有するように、シャムの唇を荒々しく奪う。
シャムも素直にそれを受け入れた。
「それに、お姉様の匂いを思い出しましたの」
「あぁ、それは素敵ねぇ」
兄と、姉。
ロゼとシャムにとって、願いを叶える力を持った数少ない存在だ。
姉の行方はわからないままだが、出来る事なら兄であるカルタと共に再会したいと願っていた。
それが叶わずとも、カルタ一人の力でも十分に願いは叶うと知りながらも。
「早く私も会いたいよぉ」
シャムがおねだりするようにロゼを見上げる。
ロゼはその頭を優しく撫でた。
「焦ることはないのよ。でも、もう私も我慢できないの♪」
もうその匂いは覚えた。
いつでも会える。
何より、出会ってしまった。
枷が外れてしまったのは、きっと自分の方だ。
「だから、次は二人で」
「うん。一緒にねぇ」
二人はそのまま絡み合い、暗闇の中に倒れて消えた。




