Chapter010:屋上
「やっぱ夜は冷えるなー」
「そうなの?」
夜の校舎の屋上は、夏とはいえ夜風が肌寒いくらいだった。
薄着のまま飛び出してきたカルタが体を抱くように身震いしたのを、ロナは不思議そうな目で見ていた。
夜の校舎には人が居ないため、今は擬態していないままの奇天烈なおっさん姿だ。
「そうだよ。お前には関係なさそうだから気にするな」
朝っぱらからロングコート着用済みだったロナやコロネルには、そもそも暑い寒いという感覚がないように見える。
魔法使いだが何だか知らないが、そういうものなのだろう。
あるいは魔法の力か何かで体温を制御してでもいるのかも知れない。
「んで、これはどういう事だ?」
戻ってきた学校の屋上に、すでに西猫の死体は存在しなかった。
血痕すら残っておらず、周辺を探してみても西猫の毛髪の一本も見つからなかった。
カルタは少なくとも九郎は嘘をついていないと思っている。
既に悪魔の存在を知っているカルタに、今更そんな嘘を吐く理由もないだろう。
裏の世界の組織。
何者かが死体を攫った。
水瓶の話だと被害は西猫が初めてではない。
既に何人の被害者が出ているのだろう。
それでも一度たりとも警察沙汰にもならないという事は、つまりはそういう事なのだろう。
あらゆる場所に手が回っているのだ。
影で大きな力が働いている。
この不可思議でバカげた静かな騒動の解決に、大人の力は期待できないようだ。
「西猫の死体はどこいった?」
「そんなの私に聞かれてもわからないよう」
「そうだよな」
ロナが知らないのなら、コロネルも知らないだろう。
知っていたとしてもロナに教えない事をカルタに教えるわけがない。
おっさんたち魔法使いに、悪魔祓いの九郎と、そして謎の組織。
現状でカルタの知る限りでも、少なくとも三つの勢力が動いている事になる。
「なぁ、悪魔はなんで人間を襲うんだ?」
「それはエネルギーが必要だからだよ。悪魔だって生き物だから、食べなきゃ死んじゃうんだよう。そのために一番効率的なエネルギー源として人間を襲うんだよう」
「へぇ、そうなのか」
また「わからないよう」なんて言われるかと思って期待していなかったが、ロナにしては珍しくハッキリとした具体的な答えが返ってきた。
「じゃあ、西猫の死体も食べられちまったのか?」
「多分、それは違うと思うよう」
ロナが珍しく真剣に考える仕草をしながら答えた。
顎に手を置いて、頭の中の知識を引っ張り出すように頭上を見上げる。
「悪魔はこんなに綺麗に食べたりしないと思うんだよう。食べるのはごく一部の臓器だから」
だから流れ出た血の一滴まで啜るような事は絶対にしないらしい。
「ごく一部?」
「悪魔は心臓や子宮を食べるんだよ」
なるほど、とカルタは納得した。
西猫の頭部を躊躇なく踏み砕いたのも、食べないから、不要だからというわけだ。
思い返してみれば、カルタが消滅させた悪魔も、確かにカルタの顏などを狙って襲って来ていたような気がする。
ただ噛みつきだけは胴体を狙っていた。
つまり、そのまま心臓を食らおうというつもりだったのだろう。
「獲物の心臓は悪魔にとって力の源なんだよう。子宮は良くわからないんだけど……」
悪魔の被害に性的な暴行が含まれる伝承は多くある。
そのイメージが水瓶の中にもあれば、水瓶が見たという被害者の夢のような惨劇が起こるというのも筋が通る。
あの少女の子宮を悪魔が喰らったかどうかはわからないが、九郎に聞けば少しは状況がわかるかも知れない。
「という事は、やっぱり誰か別の人間が死体を消したわけか」
「多分、そうだと思うんだよう」
騒ぎにならないように事件を隠蔽するつもりなのだろうか。
普通に考えるならそんなところだろうと思いながら、カルタはもっと別の何かを感じていた。
丁寧かつ厳重に保管されて施設に運び込まれるのは頭部を失った西猫の体。
解剖されてバラバラになっていくその裸体があらゆるデータに変わっていく。
「まさかな」
曖昧でバカげた想像が何度も脳裏に浮かんで来る。
「どうかした?」
吐き捨てるような呟きを聞き逃さなかったらしく、ロナがカルタの顔を覗き込んで来た。
おっさんの顔が至近距離に来たので反射的に仰け反って距離をあけた。
「いや、何でもないから。近い」
「本当?」
「本当だって。寒いから帰ろうぜ」
わざわざ夜中にここへ戻ってきたのは西猫の死体を確認したかっただけだ。
九郎が言っていた事を確かめる意味もあったが、それも確認できた。
ひび割れた地面が残っているだけの屋上にこれ以上居ても意味はない。
「わかったよう」
「めんどうだから飛び降りようぜ。少しなら浮遊できるだろ」
「うん。良いよう」
ロナが素直に頷いて屋上のフェンスに向かうのにカルタも続いた。
悪魔は人間を糧として存在する。
警察や自衛隊は動かない。
であれば、カルタの選択肢は二つしかない。
単純に関わるか関わらないかだ。
おっさん達を筆頭に、周囲の事態は異様にカルタへと関わろうとして来ている。
事の中心は水瓶聖のハズなのに、まるでカルタを中心にして知らない何かが大きく動いているような、そんな嫌な気分だった。
「そういえばさ、お前たちはなんで悪魔を倒そうとしているんだ?」
「え? なんでって?」
おっさん達の目的は聞いた。
悪魔の発生を止めるために一人の少女を殺してほしいと、それはもう分かっている。
少しでも情報が欲しいと思ったからだろうか、その理由が何となく気になった。
「悪魔祓いにでも任せれば良いだろう。悪魔から教徒を守るような宗教何て世界中にあるんだ。その中には本物だって一人や二人いるだろう。お前らには悪魔と戦う能力もないワケだしな」
ロナの反応は微妙なものだった。
「うーん、良く分からないけどそれが私たちのやるべきことだから」
「なんだよ、それ」
ロナ自身、あまりよく分かっていないように見える。
「でも良いんだよう。少なくとも私は自分の役目に納得してるもん!」
分かっていないと言うわりに、随分と自信たっぷりに答えてくる。
「だって私たちは天使なんだから」
そう言って振り返るロナの姿が、真っ白な小さな少女の姿にダブって見えた気がした。
見覚えのない白塗りの笑顔が、どこか遠くのとても近い記憶に重なるような、錯覚めいた感覚を持ってカルタの心臓を跳ねさせた。
夜風が冷たく背筋を撫でた。




