Chapter001:遭遇
おっぱいが必要だと言われた。
どことなくこぶしの効いた低音で、年季と深みを感じさせる渋くて良い声だった。
急にそんなことを言われても普通、意味がわからないと思う。
少年もそうだった。
「何言ってんだコイツ。死ね」
そう思った。そして思った時には言葉にしていた。
少年は口が悪かった。
「え、死ねはちょっとひどくない? ひどくない?」
真っ赤なパーマの頭が大げさなリアクションと取って驚いたり肩を落としたりした。
渋い声の主が彼だった。
リアクションが大げさで感情表現が豊かなおっさんらしい。
少年が自宅のベッドでくつろいでいると突然、この男に声をかけられた。
読んでいた漫画から顔を上げると部屋の真ん中におっさんが立っていた。
夏だというのにロングコートという「さぁ今すぐ私を怪しんでください! さぁ!」と言わんばかりの格好だった。
真っ黄色というそのコートの派手な色も怪しさの演出に一役買っている。
色々と言いたい事や問題はあったが、まずはこの場所が少年の部屋である事が一番の問題だった。
一人暮らしの一人部屋である。
つまりは完全な不法侵入だ。
「おっさん、どこから入ってきたんだ?」
「どこからって、玄関からだよ?」
おっさんは当たり前のように言うが、三重にロックされた厳重な扉だ。
そんなに普通に入って来られてると少年が困る。
「そうか。とりあえず通報して良い?」
「できれば止めてほしいな」
「そうか、わかった。あっ、もしもし? 警察の方ですか?」
「ナチュラルに嘘つくのやめてよう」
「静かにしろ。電話中だぞ」
「ふえぇ……」
渋い声のわりに喋り方が妙に幼くてキモかった。
ふえぇが許されるのは二次元世界の幼女だけだ。
これ法的に罰されたりしないかな。
「あの、ちょっと部屋に不審者が侵入してまして……えーと、もしもし? ん? もしもーし? 切れた……」
絶妙なタイミングで急に電波が悪くなり電話が切れた。
通報できなかった。
何度か警察に電話をかけ直しながら玄関の方を確認するが、玄関はしっかりとロックされていた。
チェーンも南京錠もしっかり掛かっている。
警察への電話はつながらなかった。
「どうやって?」
「こうやって!」
おっさんがドアをすり抜けた。
オバケか何かの類なのだろうか。
これだけのロックを解除されればその時は物音でわかるハズだろうと思っていたが、さすがにこれだけナチュラルに透過されては気付かないと少年も納得する。
「すごいでしょ?」
おっさんが白塗りの顔だけドアから突き出してきた。
キモさが倍増する。
「オバケか何か?」
「ちがうよ。私は魔法使いだよ!」
なんで女の子っぽい喋り方をするのだろうか。
なんでクルリと回ってドヤ顔でウインクを決めるのだろうか。
もっとおっさんらしく振る舞ってほしいと願う。
吐きそうだった。
「というかリアクション薄くないかな? もう少し驚くところじゃない?」
「うわーすげーおばけだーやべーころすかー」
「だからオバケじゃないよう。少しは人の話を聞いてよう。あとすごく自然な流れで殺意向けるのも止めてよう」
少年はおっさんを無視して部屋に戻ると、そのまま無駄のない動きでベッドに向かい布団に入った。
「悪い。俺は少し疲れているようだから朝になったら起こしてくれ」
「そっか、疲れてるなら仕方ないね。添い寝しようか?」
「殺すぞ。死ね」
「ふえぇ……」
「よし死ね」
少年はオバケも魔法使いも信じていない。
幽霊なんてものがいるわけがない。
魔法なんてあるわけがない。
少年の世界の現実はもっと、単純で、淡泊で、そして残酷だ。
ファンタジーな世界は夢の中だけで良いし、夢の中にしか存在しないと思っている。
きっと疲れているのだろう。
朝起きれば、こんなおっさんの幻覚は消えている。
いつもの自分。
いつもの世界。
つまらない日常に戻るだけだ。
そう思いながら少年は眠りについた。
どこか遠くで時計の針が時間を刻む音が聞こえてくる。
おっさんの影だけが明るい部屋に落ちている。
そんな気配だけを引きずりながら、意識は暗い場所へと落ちていった。
そして朝が来て、部屋のおっさんは二人に増えていた。
少年は決めていた時間ピッタリに目を覚ますと、その光景を見て深いため息をゆっくりと吐いた。
「はぁ……」
少しでも気分を変えようと、朝日を透かすカーテンを開いて体を伸ばす。
ダメだ。
目の前には綺麗な朝の空が広がっているが、気持ちは全然スッキリしない。
スマホを手に取る。
なぜかまだ警察には電話がつながらない。
少年は仕方なく部屋の中へと視線を戻した。
増えたのは白髪が印象的なメガネをかけたおっさんだった。
色は違うがもう一人のおっさんと同じようなロングコートを着ている事から、なんとなく似たような存在なのだとは感じとれた。
鼻先と頭を真っ赤に染めたパーマ頭の白塗りお化けに比べるならば、こちらは数十倍はまともな格好に思える。
もちろん不審者である事には変わりがないのだが。
「あ、おはよー」
「おはようございます」
当たり前のようにおっさん二人から挨拶をされた。
新しいおっさんも昨日からいるおっさんに負けず劣らずの渋い良い声だった。
「あ、紹介するね。この人は私のせ――わぷふっ!?」
赤パーマのおっさんに枕を投げつけてみると、枕がその顔面にぶつかり、床に落ちた。
「ちょ、ちょっと! いきなり何するん……」
「よし、わかった!」
「最後まで言わせてすらもらえない!?」
どうやら幻覚の類ではないらしい。
この部屋に、物理的に、確かにこのおっさん達は存在しているらしい。
少年は素直にそれを受け入れる事にした。
「わかった。良いだろう。正直に言おう。俺も男だ。おっぱいは好きだ」
昨晩の話を思い出し、少年は投げ捨てた枕を拾い直してベッドに戻りながら言う。
白塗りは化粧ではないのだろうか。
不思議と枕は全く汚れていない。
「だよね! うん。良かったよう」
今しがたまで怒っていたかと思えば、少年のその言葉を聞いて今度はすぐに笑顔を見せる。
相変わらず感情表現が豊かで、表情がコロコロと変わるおっさんだった。
「だがお前らのような非常識な変態は嫌いだ。だから出ていけ。もしくは死ね」
許すとは言っていない。
おっぱいと言えば許されるならこの世に警察など要らない。
少年からすれば、そもそもが不法侵入者だ。
魔法だが何だか知らないが、勝手に入って来た事には変わりない。
しかもさり気なく増えてんじゃねぇ。
逆だ。減れ。
「ふ、ふぇぇ!?」
「まぁまぁ、カルタさん。落ち着いてください」
白髪のおっさんがお茶をすすりながらにこやかな笑みを少年に向けてきた。
赤パーマとは対照的に、こちらは随分と余裕のある様子だ。
カルタと呼ばれた少年はその言葉に反応して、眉をピクリと小さく跳ねさせた。
「……わかった。良いだろう。落ち着いて話を聞いてやろうじゃないか。聞いてやるから聞かせてくれよ」
カルタは不機嫌そうにベッドに座りなおした。
「俺から聞きたいことは山ほどあるが、まずはなぜ俺のその名前を知っているのか、そこから答えてもらおうか。返答次第ではもれなく二人ともぶっ殺すから安心して、正直に、な?」
時間にまだ余裕がある事を確認し、じんわりと殺意を孕んだ視線でおっさん二人を睨みつけるように見据えた。
なんでおっさんが増えているのか。
部屋の真ん中になぜちゃぶ台が用意されているのか。
なぜ二人はカルタの部屋で朝っぱらからお茶菓子を食べながらくつろいでいるのか。
色々ある。
色々と聞きたいことはある。
納得できる説明ができるのか、この際だから時間までじっくりと聞いてやろうではないか。
「ふぇぇ……コロネル、この人あたまおかしいよう。平和ボケした国の住人なのに殺意が高すぎだよう」
「ハッハッハ。大丈夫ですよ、ロナ。正直にお話すればちゃあんと理解して頂けますとも」
「そ、そうかなぁ……?」
「えぇ、えぇ。さぁ、ご説明して差し上げましょう」
白髪のおっさんはコロネルという名前らしい。
赤パーマはロナだ。
会話の内容から察するに、コロネルの方が先輩という立場になるのだろう。
立ち振る舞いも落ち着いているが、先輩なのだったらこれから頼み事をしようという相手に「頭おかしい」とか言うその辺りのロナの言動を注意した方が良いのではないのだろうか。
「おっぱいが必要なんです。私に協力して下さい!」
「お前は説明ヘタクソか!」
「ふぇぇ……」
「ハッハッハ」
カルタは思わず立ち上がって突っ込んでいた。
なぜか笑っているコロネルに「何が可笑しい」と殺意を込めた視線を向けたが、コロネルの方は平然と茶をすする。
カルタは「やるじゃねぇかこのおっさん」と内心で謎のツッコミを入れた。
「それは昨日聞いた。もっとわかりやすく詳細を話せ。できないなら……」
「え、えっと……えっとぉ……」
涙目であたふたするおっさん。
見ていて楽しいものではない。
吐きそうだ。
「というか、まずは最初に俺の質問に答えてくれよ」
「えっとぉ~……えっとぉぉ~……」
「まぁまぁカルタさん、物事には順序と言うものがあります」
あまりの狼狽えぶりにコロネルがフォローしだした。
慌てまくるロナと、まったく余裕を崩さないコロネル。
どちらも極端すぎてやりづらい。
「だったらその順序とやらをさっさと進めてくれ」
「ロナ、それは我々の目的であってカルタさんへの依頼内容とは少々異なります。アレをお見せしなさい」
コロネルが落ち着いた様子で助言を挟むと、半泣きだったロナがパァっと笑顔を見せた。
「あ、うん!」
ロナが一枚のカードを何もなかったはずの掌から取り出して見せた。
手品師か。
「おい、これは何だ」
ちゃぶ台に置かれたトランプ程度の大きさのカードには、カルタが見知った顔が写っていた。
「お願いします。この少女を殺して下さい」
赤いパーマ頭を下げながら、ロナは真面目な顔でそう言い放った。