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いまひとつシリアスさに欠ける決戦

 

 八日が過ぎた。まだアルがカードを使ったというメールは来ない。梨央はじりじりと落ち着かない日々を過ごしていた。

 過去の明細書を見るとまれに十日以上間が空くことはあったのだが、罠を仕掛けたとたんに買い物をしなくなってしまうと、見破られたのではないかと不安になってしまう。

 今日は日曜日。父は用事があって外出しており、梨央は一人で昼食をとったところだ。

 洗い物をすませて、リビングのソファに座り、テレビをつける。若いお笑い芸人が大げさな身振りで何か喋っているが、全然頭に入ってこないのですぐに消した。

「う~……」

 じれったさが滲むうめき声を上げ、ごろんとソファに寝転がる。

「……落ち着かないなあ……ったく、アルのやつ……捕まえたらあたしが知ってる限りのプロレス技かけてやる」

 七月中旬。暑い日が続き、来週末には夏休みも控えている。

 何時メールが来てもすぐに飛び出せるように、梨央は家の中でも人前に出れるような服を着ている。そうはいっても彼女のことだから、ホットパンツにキャミソールと露出の多い格好ではあるのだが。夏は好きだが暑いのは苦手だ。

 寝返りを打って仰向けになる。天井は板張りなので節穴でもないかと探してみたが、そんな安普請ではない。

「……天井に暇つぶしを求めるなんて、あたしは病人か」

 ソファの肘掛けに乗せた足をバタバタさせる。家で退屈している子供のようだった。

「……あーもー! 煮詰まっちゃう! 小春ん家遊びに行こ!」

 小春は自分の携帯を持っていない。そのため作戦中はいつでも連絡が取れるように、レンタルの携帯を持たせている(費用は麗子持ち)。

 梨央は頭から電波を飛ばして小春に電話を掛けた。呼び出し音一回で相手が出た。

「梨央! メール来たの!?」

 電話に出たのは麗子だった。大声が頭の中で反響する。

「な、何でレーコが出るのよ!? 小春は!?」

「ここにいるわよ! メール来たの!?」

 耳に指を突っ込んで塞ぐ梨央。別に耳で聞いているわけではないのだが、習慣である。

「うっさいわね……まだ来ないわよ、小春の声が聞きたくなっただけ。あんたのがなり声聞かされるとは思わなかったわ……で、何してんのよ二人で?」

「……え?」

「何してたのか聞いてるの。どこにいるの?」

「……小春の家。小春がクラスメイトからたくさん服をもらったんだけど、コーディネートが分かんないって言うから、小春をモデルに着せ替えごっこを……」

「呼べよあたしも! そんな楽しそうなイベント! あたし寝転がって天井眺めてたのよ!」

「あんたがいたら服脱げないじゃない」

「やっぱり目の前で着替えてるのね! あたしも行く!」

「ちょ、ちょっと待って! 小春いま下着姿だから……」

 ソファから立ち上がり、飛ぼうとしたその時――空中に溢れる電波に混ざって、待ち望んでいたそれが、梨央の頭に届いた。クレジットカード会社からのメールだった。


   カード番号 ****‐****‐****‐****

   金額    8702円

   店舗    ウィオンショッピングセンター岡山店食品館


 すぐさまネットにアクセスし、店舗名を検索する。あった。地図で場所を確認し、視界を飛ばす。

 関東、近畿地方が一望できるほどの高度まで一気に上昇する。

 ――岡山って四国の上よね、あの辺りか――

 ネットの地図情報と照らし合わせながら、視界を急降下させる。

 海辺の市街地――幹線道路――交差点――あった!

 見慣れたワインレッドの看板。駐車場まで合わせると五階建ての大型ショッピングセンターだ。すぐに視界を店の中に飛び込ませる。素早く一階を巡り、食品売り場を探し出す。ズラリと並ぶレジ。しかし、アルの姿はすでになかった。

「梨央!? どうしたの?」

 麗子の声でハッと通話中だったことを思い出す。

「レーコ! 来たメール! 岡山のウィオンよ!」

「本当!? どうする!? 私たちも……」

「ど、どうしよう、あ~! と、取りあえずあたし先に行く!」

 梨央はウィオン食品館店内に飛んだ。一応人目を避けて柱の陰に飛んだのだが、スタッと着地して顔を上げるとカートを押しているおばさんと目が合った。

 ニコッと愛想笑いを返し、目を丸くしているおばさんに構わず駆け出す。ぐるりと店内を見渡すが、見当がつかない。

 頬を冷たい汗が伝った。気が焦る。梨央は闇雲に出入り口の自動ドアに向かって駆け出した。

「ママ、アンパンマンみたいだったね、あのおにいちゃん」

 連れだって歩く親子。すれ違う瞬間、三歳くらいの女の子がそう母親に話しかけるのが耳に入った。

 急ブレーキをかけて止まり、反転して女の子に駆け寄る。

「お、お譲ちゃん! 頭でっかちの男の子見た!?」

 興奮してすごい形相になっている梨央に、女の子はビビリつつ頷いた。

「どこへ行ったの!? 教えて!」

 女の子は怯えながら、梨央が走ってきたのとは逆の方向を指差した。よく見るとそっちの方にも遠くに小さな自動ドアがある。

「ありがと!」

 梨央はまた駆け出した。出入り口までの距離は約百メートル。

 左手にゲームコーナーがある。梨央は急角度で進路を左に変え、ゲームコーナーのプリクラに飛び込み、即座に飛んだ。

 目標を正確に定める余裕がないので、店外の地上1・5メートルくらいの高さに出現する。膝を深く折って着地し、素早く辺りを見回す。遠くの方に中年の男性がいて、梨央が現れるのを見たのか、不思議そうな顔で目をこすっている。

 三階の駐車場へ続くスロープ、その下へ歩いて行く人影が、一瞬目に入った。

 人影はすぐに商品搬入用の幌付きトラックの陰に消えた。だが、チラッと見えた真っ黄色の上着。

 黄色はアルの好きな色だ。性格が幼児退行しているためか、アルは幼稚園児のような黄色の服を好んで着る。

 梨央は確信した。人影に向かい、走りながら飛ぶ。その勢いのまま着地し、スピードを殺さずに駆ける。

 両手に買い物袋を提げた、黄色いTシャツの後姿――頭でっかちで寸足らずなその姿は、紛れもなく弟のアルだった。

「アル!」

 名を呼ぶ声に振り向いた目が、驚きに見開かれる。

「ね!? 姉ちゃん!?」

 三メートル手前で梨央はジャンプした。着地のことは考えず、両手を広げタックルするようにアルに飛びつく。

「わあ!」

 テレポーテーションで逃げようとしたアルは、飛ぶ寸前に抱きつかれた。アルは、梨央を引き連れて飛んだ。


        ☆


 闘牛のような勢いで梨央に飛びつかれたアルは、買い物袋を持ったまま砂の上に背中から転倒した。その上に梨央が覆いかぶさるように倒れこむ。

「ぐえっ!!」

 押しつぶされたアルがうめき声をあげた。梨央が手を突いて身体を起こす。

「や、やっと捕まえたわよ! このバカ! ママはどこ!?」

 マリアを探そうとして顔を上げる。辺りを見回し、梨央は思わず呆然とした。

「どこよ、ここ……?」

 都会ではあり得ない白さの砂浜。美しいエメラルドグリーンの海が、キラキラと陽の光を反射している。

 陸の方に目をやると、そこは手付かずの緑に覆われ、電柱ほどもあるヤシの木が幾本も空に向かって伸びている。

 日本のとは別物かと思うほどエネルギッシュな太陽が強烈な陽射しで照り付け、景色を鮮やかな原色に輝かせていた。

 海岸線が急なカーブを描いていることと、山も丘も見えないことから、小さい島なのではないかと思われた。それも無人島だろう。人工物が全く見られないのだ――ただ一つを除いて。

 茂みの中、梨央たちから十メートルほど離れたところに、プレハブ小屋が建っていた。

 コンテナ車くらいの大きさで、空から降ってきたように無造作に鎮座している。窓の格子に蔦が這っているところを見ると、設置されてからそれなりの時が経っているらしい。

 不意にプレハブの引き戸がカラカラと開かれた。中からエプロン姿のマリアが顔を出す。

「マ、ママ!!」

「あら、梨央。来てくれたのね、ありがとう」

 唐突に、新聞を取りに来たような何気なさで、マリアは姿を現した。梨央ににっこりと微笑みかける。

 予知能力者なのだから梨央が来ることはお見通しのはずだが、全くそういう素振りは見せない。

「ママ! 一緒に帰ろう! パパも待ってるよ!」

 アルの上に馬乗りになったまま梨央が言う。マリアは困った顔をした。

「私もそろそろ戻らなくちゃと思うんだけど、アルが帰してくれないの。梨央からも言ってくれる?」

 分かった! と元気よく言って、梨央はアルの髪の毛をひっつかまえようとした。しかし、下敷きになった衝撃から復活したアルは、髪をつかまれる寸前で姿を消した。

 五メートルほど先の砂の上に着地する。両手の拳を握って気合をいれるポーズをとる。

「い、痛かったのだ! ら、乱暴で全然女らしくないのだ! 姉ちゃんのアホ!」

 語尾が「のだ」だった。いろいろと痛い弟だ。

「うっせえ! バカ! どこに隠れてるのかと思えばこんなとこで一年もキャンプ生活!? もう十分でしょ! 帰るわよ!」

 梨央も立ち上がりながら悪態を返したとき、頭の中に電波が届いた。克彦が作ったビーコンの電波だった。きっと麗子たちから連絡があって、スイッチを入れたのだろう。

 それで梨央はショートパンツのポケットに入っている自分のビーコンを思い出した。

 ポケットからビーコンを取り出し、茂みの中に飛ぶ。スイッチを入れて草むらに放り投げ、再びアルの眼前に飛んだ。

「食らえっ!」

 右フックをアルの頬にお見舞いする――つもりだったが、顔に拳が到達する前にすごい抵抗がかかり、頬まで三センチのところで手は止まった。サイコキネシスだ。

「貧弱! 貧弱なのだ!」

 ジョジョの名台詞もアルが言うと台無しだった。

「ぐっ……くそお!」

 拳を突くことも引くこともできずに悔しがる梨央。その手首をアルがガッとつかむ。

「バイバイなのだ!」

 梨央の姿がフッと消えた。アルは、自分は飛ばずに、手に触れたものだけを飛ばすこともできるらしい。



「……どこ? ここ?」



 雑多な人種の観光客がごった返す公園に、梨央はポツンと立っていた。空を見上げる。ビーコンの発する電波が弱々しく飛んでいるのが見えた。

「……あの弱さだと相当遠くまで飛ばされたようね。ビーコンなかったら危なかったな。よし、みんなを連れてから戻ろう。えーと、あれが克彦の方ね」

 外国だから構わないと思ったのか、観光客たちの目の前で梨央は消えた。間近で目撃してしまった女性が驚いて悲鳴を上げる。


 克彦は自分の部屋で梨央を待っていた。その部屋の真ん中に、梨央が着地する。

「おっ! 梨央! 来たか! アルのやつどこにいた!?」

 克彦は勢い込んで聞いたが、梨央はふらふらしていた。

「ちょ、ちょっと待って。今すごい距離飛んで目が回ってるから」

「すごい距離って、どっからだよ?」

「アルにどっか外国に飛ばされたの。ど忘れしたんだけど、大理石のライオンが水吐いてるやつってなんだっけ?」

「マーライオンだよ、シンガポールまで飛ばされたのか」

 梨央はパンパンと両手で頬を叩いた。顔がシャンとする。

「よし、復活。小春ん家飛んで、それから戦場に戻るわよ」

 克彦の手をとると、梨央は小春の家めがけ飛んだ。


 四人連れで再び砂浜に現れた梨央を見て、アルは驚きを隠せないようだった。

「ふん、外国まで飛ばされて帰って来るとは、なかなかやるのだ。しかも助っ人まで連れてくるなんて。大勢で卑怯なのだ!」

「この子らは超能力ないからね、攻撃したら反則よ。手を出したらあたしが許さないからね。この子らはあんたに攻撃するけど」

「ず、ずるいのだ! やっぱり卑怯なのだ!」

「勝負にハンデは付きものよ!」

 梨央の姿がフッと消えた。アルは身構えたが、すぐには攻撃してこない。

「あ、マリア先生、お久し振りです」

 プレハブの傍らに立つマリアに気付き、麗子がぺこりと頭を下げた。克彦と小春も習って挨拶する。

「みんなも来てくれたのね、ありがとう。梨央と仲良くしてあげてね」

 バトルの最中なのだが、マリアはいつも通り聖母の微笑を振りまいた。

「……レーちゃんレーちゃん、写真で見るよりずっときれいね、マリア先生」

 肘で麗子の脇腹をつついて小春が言った。その声が聞こえたのか、アルが自慢げな笑みを浮かべる。

「その通りなのだ! ママは世界一美人なのだ!」

 言い終わらないうちに、アルの足元にドスッとヤシの実が落下した。ハッとして頭上を見上げると、幾つものヤシの実が次々と落下してくる。

「わあっ!」

 アルは身を屈めた。身体の周囲に力場を作る。ヤシの実は頭上数メートルで斜めにカーブし、アルを避けてドスドスと落ちた。

 梨央が砂浜に着地する。ヤシの実を持ってアルの頭の上に飛んだらしい。

「くそー、ダメか。じゃあこれはどうよ?」

 アルの背後にテレポートし、背中に手を置いて空中百メートルの高さにジャンプする。

 アルを残し、自分だけ砂浜に戻る。空中に取り残されたアルは、重力に引かれて自由落下を始めた。

「わっ! わわっ!」

 重心が高いためか頭を下にして落ち始めたアルだが、地面に激突する前にサイコキネシスで減速し、くるんと一回転して砂浜に降り立った。

 やはりサイコキネシスが使えると、肉弾戦には圧倒的に有利である。

「あ、危ないのだ! 死んだらどうするのだ!  ……む? 何なのだそれは?」

 克彦と茂みの方へ、交互に視線を向ける。ビーコンがばれたか。梨央は動揺を隠そうとしたが、顔に出てしまった。

「ははーん、長距離を飛んで帰ってこれたのは、それを目印にしたのだな。ぶっ壊して今度はエジプトに飛ばしてやるのだ」

 茂みの中からビーコンがふわりと浮かび上がった。と思ったら筐体が握りつぶしたようにグシャッとひしゃげた。

 同時に電波が途切れたのが梨央には分かった。頬を冷や汗が伝う。

「そっちの男も持ってるのだ」

 克彦の尻のポケットからビーコンがすぽんと抜けた。

「わっ!」

 慌ててビーコンに飛びつく。両手で握りしめるが、克彦は車で引っ張られているように砂浜を引きずられた。

「あっ! 待って!」

 麗子が後を追って駆ける。小春は怯えて立ちすくんでいた。

「わあ、わ~っ!」

 克彦はたやすくアルの足元まで引きずられてしまった。顔にも砂がかかり目を開けることもできないが、ビーコンはしっかりと握ったままだ。

「ふん、往生際が悪いのだ」

 握り締めたビーコンを取ろうとする。すんでのところで、麗子がビーコンを奪い取った。

「むっ! 寄こすのだ!」

「い、嫌よ!」

 そうは言ってもただ持っているだけでは確実に奪われてしまう。麗子はどうしようか迷い、ハッと思いついてシャツの襟を広げ、胸の谷間にビーコンを押し込んだ。

「ど、どう!? 取れるものなら取ってみなさいよ!」

 胸を張る麗子。アルの顔がカーッと赤くなった。お色気にはからきし弱いらしい。

「そ、そんなとこに隠したってダメなのだ!」

 アルが念力を向ける。麗子はふにふにと胸を触られているような感触を感じた。

「きゃああああ!! 何すんのよスケベ!!」

 左手で胸を押さえ、右手でアルの頬を張り飛ばす。しなる鞭のような切れ味鋭いビンタだった。アルは一回転して砂浜にぶっ倒れた。

「さすがね麗子! 自分のキャラを活かした素晴らしい攻撃だわ!」

 梨央が感心して麗子を褒め称える。

「私のキャラじゃねえ! これは! 梨央! このねんどろいど、ぶっ倒れてる間にさっさとやっつけて!」

「だ、誰がねんどろいどなのだ! アルは四・五頭身あるのだ! ねんどろいどは二・五当身なのだ」

 誰かに言われたことがあるのか、アルはねんどろいどについて詳しかった。

 けなされて喝が入ったのか意外に回復が早く、アルはのそっと立ち上がった。顔にくっきりと赤い手形がついている。

「……ちょっと手加減してやったら、みんな調子に乗ってるのだ。もう手は抜かないのだ」

 アルの姿が消える。梨央は背中に手が当てられるのを感じた。

「お返しなのだ!」

 一瞬で梨央は高度百メートルに飛ばされていた。高空から見ると、この島がやはり小さな無人島なのが分かった。家の一軒も見えない。

「やっぱ無人島なんだ……ってそんなこと言ってる暇ないっ!」

 プレハブはマッチ箱みたいに小さく見える。麗子たちも蟻のように小さいが、それがぐんぐんと大きくなっていく。

「ひっ! ひゃあああ!」

 サイコキネシスは使えないから減速することができない。梨央は上空に向かって飛んだ。ひとまず助かったが、当然また自由落下だ。地面が恐ろしい勢いで迫ってくる。

「ち、ちくしょう! しょうがない!」

 梨央は海に向かって飛んだ。延べ数十メートルは落下したので、シャレにならない速度がついている。

 手足を伸ばしていたら骨折するおそれがあると思ったので、梨央は膝を抱えて丸くなり、海に飛び込んだ。

 緑色の海に盛大な水飛沫が上がった。板に打ちつけられたような激痛が走る。身体にまとわりつく泡が消え去ってから、梨央は目を開いた。

 ――あ……良かった、生きてる。

 身体中がひりひりと痛むが、意識はあるし、どうやらひどい怪我はしていないようだ。

 背後から光が差している。身体をひねると、そっちが水面だった。

 ぼんやりと麗子と一緒に飛び込んだ漁港のことを思い出す。浮かび上がろうと水を蹴ると、見えない力で水面に引き上げられた。

 ザバッと飛び出して海面の一メートル上で静止する。アルのサイコキネシスだと分かっているが、抗いようがない。

 そのまま陸に向かって猛スピードで移動する。UFOキャッチャーでつかまれたぬいぐるみのように、梨央には為す術がなかった。

 梨央がコンテナの方に引き寄せられていくと、茂みの中から丸太を組んで作った檻のようなものが姿を現した。

 二つの物体を同時に操れるのか、と梨央はアルの能力に呆れた。

 丸太の檻はズシンと砂浜に据えられた。立方体で、人が立って入れる大きさだ。

 蝶番でとめられた扉が開き、梨央はその中に押し込まれた。サイコキネシスが切れて梨央は尻もちをついた。

「痛っ!」

 扉が勢いよくバタンと閉まる。ごついステンレス製の角棒が飛んできて、扉に付けられたコの字型の金具を通り、閂となって扉を塞ぐ。錠前が閉じられ、最後に特大の南京錠が飛んできて、錠前を固定してガチンと閉じた。

 海水を滴らせながら、痛む尻を押さえて梨央は立ち上がった。

「……あんたバカじゃないの? こんな檻で閉じ込められる訳ないでしょ?」

 海面に叩きつけられたダメージが残っていて、声に力強さがない。

 梨央は少し身をかがめ、檻の外に飛んだ――つもりだった。梨央は檻の丸太木にしたたかに額を打ち付け、もんどりうって倒れた。

「ったあっ!! い、痛ったーい!!」

 おでこを押さえてのた打ち回る。きれいな額にたんこぶができていた。

「痛たたたた……な、何でよ!? 何で飛べないの!?」

 涙目でへたり込む梨央。アルが高らかに歓喜の笑い声をあげる。

「ぐはははは! ただの檻じゃないのだ! その丸太には、アルが操作できる最高次元の空間をメビウスの輪のように閉じて封じ込めてあるのだ! どんな超能力者でもその丸太は通過できないのだ! ぐははははは!」

 勝利を確信したアルは、梨央を見下して高らかに笑った。「見下して」と言っても背が低いので、ほとんど比喩的な意味だが。

 梨央は檻の隙間から南京錠に手を伸ばした。手を触れることさえできれば、閉じた知恵の輪を外す要領で抜き取ることができるはずだ。しかしそこはちゃんと計算しているのか、南京錠は扉の中央にあり、必死に手を伸ばしてもうちょっとのところで届かない。

「あ、ああ……梨央先輩」

 何の手助けもできず、歯がゆい思いで二人の戦いを見守っていた小春が、沈痛な声を出す。

 麗子と克彦もがっくりと肩を落とす。マリアだけは変わらず、世の苦悩とは無縁の微笑をたたえ、佇んでいた。

「く、くそお……これまでか……」

 南京錠に伸ばした手をだらりと垂れ下げ、梨央がうめく。顔には無念さが溢れている。

「わははは! アルの勝ちなのだ! 姉ちゃんは檻ごとエジプトに飛ばしてやるのだ! 一人じゃ寂しいだろうから、そこの三人も一緒に飛ばしてやるのだ! 親切な人に出会えれば、いつか日本に帰れるのだ!」

 アルは喉が嗄れそうなほど高らかに笑った。梨央は唇を噛んで悔しさを堪えた。

「ち、ちくしょう……ここまで来たのに……ん? あれ?」

 あることに気が付いて、梨央は目をパチパチさせた。アルは腹を抱えて笑い続けている。

 梨央は檻の中で立ち上がり、立ち塞がる丸太木にそっと手を触れた。

 手のひらで丸太をなぜる。そして、ごく自然に、木立の間を抜けるように、すうっと檻をすり抜けた。

「わあっはっはっは…………はあ!?」

 アルの目が驚愕に見開かれる。麗子たちも驚いて声をあげた。

「な、何故なのだ!? 何故その檻を抜けられるのだ!?」

 檻を抜けた梨央は、眉をひそめてアルを睨みつけた。

「あんた、自分の頭の大きさに合わせてこの檻作ったでしょ。丸太の間、ガバガバよ」

 はああっ! と息を呑んで、アルは頭を抱えた。麗子と克彦がずっこける。

「あんた本当にバカね。その大っきな頭ん中、脳みそ入ってんの?」

 腰に手を当て呆れ顔の梨央が、容赦なくけなす。アルは歯軋りして悔しがった。

「く、くそ~! つ、痛恨のミスなのだ! で、でも振り出しに戻っただけなのだ! 姉ちゃんの劣勢は変わらないのだ!」

 その通りである。しかも海に飛び込んだダメージが残っているから、最初よりも不利だ。梨央もそのことに気付き、しまったという顔でたじろいだ。

「覚悟するのだ!」

 アルが右手をかざすと、梨央の周囲の砂粒が一斉に舞い上がった。

「わっ!」

 たまらず梨央は目を閉じ顔を覆った。宙を舞う砂は瞬く間にその量を増し、梨央を囲んで回り始めた。

「わああああ!」

 舞い飛ぶ砂粒は竜巻となって梨央を襲った。高速で回転する砂がヤスリのように肌を擦る。梨央は必死で足を踏ん張っていたが、竜巻はその勢いを増し、彼女の身体を浮かび上がらせた。

「り、梨央先輩!」

 小春が口を押さえて叫ぶ。

 地面を離れ支えを失った梨央の身体は、ぐるぐると回りながら舞い上げられた。目も開けられず、砂を吸い込んでしまうので息もできない。

 テレポーテーションして竜巻を抜け出そうにも、こんなスピードで回っていては目標を定めることができない。うっかり地中にでも飛んでしまったら生き埋めになってしまうのだ。

 梨央はなす術もなく翻弄されていた。砂塵の隙間から垣間見える身体は、最初身を守ろうと縮こまっていたが、そのうち気を失ってしまったのか、だらんと力が抜けてしまった。

「ふっ! 力尽きたか!」

 アルが右手をゆっくりと下ろしていく。砂の竜巻は徐々にその速度を緩め、十メートルくらいの高さまで舞い上げられていた梨央の身体が、ゆっくりと降りてくる。

 梨央は竹トンボのように回りながら砂浜に落下した。崩れるようにうつぶせになって横たわる。宙を舞っていた砂がザーッと音を立てて降り注ぎ、梨央の上に雪のように積もった。

「ああ! 梨央先輩!」

 あまりに悲痛な姿に、こらえきれず小春が駆け出した。倒れた梨央に寄りすがり、必死で砂を掃う。

 勝利を確信したアルが、ゆっくりと二人に歩み寄る。小春は梨央の身体の下に手を入れ、か細い腕に精一杯の力を込めて、仰向けに転がした。

 全身砂まみれで、手足や顔に砂ですれた擦り傷ができている。普段の快活さは見る影もなかった。痛ましい姿が、小春の胸を締めつける。

「梨央先輩ー! 死なないで! あああん!」

 死ぬほどの深手は負っていないのだが、小春は梨央にすがりついて泣いた。

「どくのだ! とどめを刺すのだ!」

 いつの間にかすぐそばまで来ていたアルが、無慈悲な言葉を浴びせる。小春が涙に濡れた顔を上げる。

「アル君! もう止めて! お願い!」

 じっとしていても美少女の小春だが、その顔に感情が宿るとさらに魅力が増す。笑顔が可愛らしいのは当然だが、悲痛な思いを込めた泣き顔というのは、これまた凄まじい破壊力を備えているのだ。

 アルの胸に、雷に打たれたような衝撃が走った。

「アル君! お家に帰ろう! ママも、梨央姉ちゃんも、一緒に帰るのよ!」

 ぽろぽろと頬に涙をこぼしながら、小春が訴えかける。

 アルの顔がボッと赤くなる。頭から湯気が出そうなくらい真っ赤だ。完全に一目惚れだった。

「き、君の名前は……」

 母親以外の女には滅法初心(うぶ)なアルが、意を決して名前を聞き出そうとしたそのとき、意識を取り戻した梨央がパチッっと目を開けた。泣いている小春と、赤い顔のアルが目に入った。

 意識が朦朧としていてすぐには事態が呑み込めないが、アルがポーっとした顔で小春を見つめているのに、猛然と腹が立ってきた。

「あたしの小春に、なに色目使ってんだ! てめえ!」

 ダメージを感じさせない俊敏さでガバッと起き上がると、アルの襟元を引っつかんだ。心ここにあらずだったアルは、とっさに戦いへスイッチを切り替えることができない。

 梨央はアルを連れて檻の前に飛んだ。襟元をつかんだままアルの後頭部を丸太木に打ち付ける。

「痛でえっ!」

 目から星を飛び散らせ、アルが頭を押さえた。

 閉じたままの南京錠を梨央がスパッと外し、閂も抜き取る。自重で扉が開くと、アルの腹めがけありったけの力を込めた蹴りをお見舞いした。

「ぐはあっ!!」

 くの字になってアルは檻の中に吹っ飛んだ。すぐさま梨央が扉を閉め、閂を掛けて南京錠を元に戻す。南京錠はゴトリと重々しい音を立てて、錠前にぶら下がった。

 閉じ込められたアルが、のっそりと身体を起こす。

「い、痛ててて……あ……あ、ああ! し、しまったのだ!」

 檻の扉に取りすがる。錠前に手を伸ばすが、梨央でも届かないのだから、寸足らずのアルに届くわけがない。

「う~、この檻は自分でも出れないのだ……万事休すなのだ……」

 肩を落とすアルを、梨央は腰に手を当て勝ち誇って眺める。

「ふん、あんたの浅知恵なんてその程度よ。あたしに勝とうなんて十年早いわ。さあアル、観念なさい。ママと一緒に家に帰るって約束しないと、ここから出さないわよ」

「帰るのだ。だからここから出すのだ」

「守る気全然ないだろ! 檻を囲んでキャンプファイヤーやってやろうか!」

 アルの顔がサーッと青くなる。

「ね、姉ちゃんは本当にやりかねないのだ! あ、ママ! ママ! 姉ちゃんがひどいのだ!」

 いつの間にかマリアが梨央の隣に来ていた。目を細めた笑みは変わらない。

「アル、梨央に負けたら帰るってママと約束したでしょ。約束は守らなくちゃいけないわ。いつまでもここで暮らすわけにはいかないのよ。帰るときがきたの」

 優しい声でアルを諭す。小春もそばにやってきた。

「アル君、ママの言うとおりだよ。お家に帰ろう。ママもお姉ちゃんも一緒だし、いろんな人がいる方が楽しいよ」

 にっこりと、光が零れるような笑顔で呼びかける。

 アルはしばらく口元でごにょごにょごとと何か唱えていたが、諦めてしゅんとうなだれた。

「……分かったのだ。お家に帰るのだ……」

 梨央が大きく安堵の溜息をついた。

「まったく、手間掛けさせて……」

 安心したとたんに、ダメージと疲れがどっと身体に戻ってきた。膝ががくんと折れる。

「あっ! 梨央先輩!」

 小春が声を上げる。だが、砂に膝を突いて倒れようとした梨央を抱きとめたのは、マリアだった。

 マリアは梨央を抱いて砂に腰を下ろした。片手を梨央の背に回してぎゅうっと抱きしめ、もう一方の手で頭を撫でる。

 久し振りに抱かれた母の柔らかな感触に、梨央はうっとりとして目を閉じた。

「梨央、よく頑張ったわね。迎えに来てくれてありがとう。愛してるわ」

 砂のついたおでこに、そっと口づける。

 母のいなかった一年分の思いがこみ上げてきて、梨央の目に涙がにじんだ。

「う……ママ……」

 涙は次々に溢れだして止まらなかった。梨央は子供のようにしゃくりあげて泣いた。

「ママ! ママー!」

 胸に顔をうずめ泣きじゃくる梨央の背中を、マリアは赤ん坊をあやすように優しく撫でる。小春は感動して、目尻に浮かんだ涙をぬぐった。

「あ! あー! 姉ちゃん、ダメなのだ! ママはアルのものなのだ! 早くここから出すのだ!」

 麗子と克彦もやってきたが、いまだにわがままを言っているアルに取り合うものはいない。

 抱き合う母と娘の美しい光景を、みんな温かなまなざしで見守っていた。


        ☆


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