いよいよアレにチャレンジします その⑤
翌日、いつも通り麗子が早い時間に登校すると、それよりも早く梨央が教室に来ていて、机に突っ伏して、すこー、すこー、と健やかな寝息を立てていた。蹴飛ばしても起きそうにないほど熟睡している。
「……前にもこんなことあったわね……里美、あなたが登校したとき、もうこいついた?」
梨央が念写に成功した日だったなと思い出しつつ、隣の里美に聞く。
「あたし今日一番だったんだけど――あ、一番じゃないや、一番は梨央。あたし来たときにはもう机と一体になって爆睡してたよ」
「……一晩中克彦と飛び回ってたのかしら……まったく、限度を知らないんだから」
「克彦って五組の? 何、梨央と克彦付き合ってるの?」
「私は付き合ってほしいんだけど、当人同士は仲がいいだけで、その気はないみたい」
「克彦もSF研でしょ? 夜中に二人で何してたの?」
「飛び回ってたの。言ったでしょ?」
「飛び回る? バイクかなんかで?」
「そんな感じ」
要領を得ない答えを返し、麗子は梨央の背中をつついた。最初はうるさげに手で払うだけだった梨央だが、やがてゾンビのようにゆっくりと身を起こした。
「……うっさいわね、レーコ……昨日遅かったんだから、寝かせてよ……」
三割くらいしか開いていない目で麗子を睨みつける。例によって目の下が真っ黒だ。
「おはよう。昨日はあれからどうしたの? 克彦の家に行ったの?」
「……もちろん行ったわよ……克彦はさすが男ね、あんた達とはノリが違うわよ。一緒に飛ぼうって言っても、全然躊躇しないし。二人であっちこっち飛び回ったわよ」
「ほー、それは楽しかったでしょうね。吊り橋効果で恋が芽生えたりはしなかったの?」
「……服が透けてるからって上着を貸してくれたときは、あたしも赤くなってちょっとラブコメ入っちゃったけど、まあ惚れるまではいってないわ……そう言えばレーコ、あんたどうやって帰ったの?」
「……今ごろ気を遣うのね。小春の家に泊まって、朝帰ったわよ」
眠気がすっ飛んだように梨央が目を見開く。
「と、泊ったですって!? こ、小春の家に!?」
「一緒のお布団で寝たわよ。夏希も一緒の部屋でね、おしゃべり楽しかったわ」
「呼べよ! あたしも! そ、そんな素敵な催しがあったなんて……」
「あんたがいれば私は家まで送ってもらって、それでお開きよ。あんたが小春の家に泊るって選択肢はないの」
そう言って麗子は梨央の顔に向かって手を伸ばした。
「目ヤニついてる。顔も洗わずに来たの?」
目頭を拭おうとする手を、梨央は払いのけた。
「目ヤニくらい自分で取れる! フンだ! 意地悪! レーコ、あたし寝るからね! もう起こさないでよ!」
梨央は再び机に突っ伏した、かと思うとガバッと起き上がり、
「レーコ、放課後部室に集合。みんなにメール出して」
と言ってから、また伏せた。
☆
梨央の指示通り、麗子と小春と克彦は放課後SF研の部室に集まった。呼び出したくせに梨央はまだ来ていない。
克彦は睡眠不足のためぼんやりした顔をしていた。
「あんた達、昨日いったい何時まで飛び回ってたの?」
大きくあくびをしながら克彦が答える。
「……何時っていうか、夜が明けるまで……それからお互い制服に着替えて、梨央と一緒に部室まで飛んできた……」
麗子が呆れ顔になる。
「あっきれた……いったいどこ行ってたの?」
「えーと……海外は無理だって言うからスカイツリー行って、そんで海行ったり山行ったり、水族館に忍び込んだり……あー、観覧車のゴンドラの屋根に座ってビールで乾杯したなあ。あれは一生もんの思い出だ」
「高校生がビール飲むなって。でも、思ってたよりあちこち行ってたのね。梨央にも聞いたけど、吊り橋効果で恋心が芽生えたりしなかった? 梨央胸丸出しだったでしょ?」
そう言うと、克彦は微かに頬を赤くした。
「……すぐ上着貸したよ。あんな格好じゃ目も合わせられない……確かにさあ、観覧車でビール飲んでるときの梨央は可愛かったよ。でも、梨央は小春ひとすじだってさ」
「えっ? 克彦、あなた梨央に告白したの?」
意外そうな顔で麗子は聞いたが、克彦は苦笑して手を振った。
「告ってないない。まあ、あやうく惚れるとこだったけどね。オレがじっと横顔見てたら、梨央が牽制球を投げてきたんだよ。『悪いけど、あたし今小春しか見えてないから』だってさ。」
「そう……もし梨央にアタックする気あるんなら、私協力するからね」
「しねえって。ありゃレーコの言うとおり吊り橋効果だよ」
と、克彦が肩をすくめたところで、唐突に梨央が部室にテレポートしてきた。
床から五十センチくらいの高さに現れ、スタッと着地する。短めのスカートが、ぎりぎりパンツが見えないところまでめくれ上がる。
「お待たせ! 諸君!」
元気に右手を上げる。未だに眠そうな克彦に対し、四時限目まで一秒も目を覚まさず爆睡してい梨央は、完全復活していている。
左手にはスーパーのレジ袋。ペットボトルが顔を出している。
「諸君じゃないわよ、あんたが集合かけたくせに、遅いわよ……あんたスーパー行って来たの? 軽々しくあっちこっち飛んでくんじゃないわよ、誰かに見られたらどうするの?」
小言を言う麗子に構わず、梨央は袋の中身をテーブルに広げていく。コーラとお茶、プラスチックカップ、スナック菓子、チョコレート、そんな類だ。
「人に見られたりとかそんなヘマしないわよ、行き先は見えるんだからさ。今日はあたしのテレポ成功祝いだからね。これはあたしの奢り」
「わーい、やったあ。飲み物注ぎますね。梨央先輩と克彦君はコーラでいい?」
普段質素な生活をしているのでお菓子には目がない小春が、かいがいしくプラカップにコーラと茶を注ぐ。
梨央は次々とスナック菓子の袋を中央から開いて――俗にいう「パーティー開け」で開けていく。
「ビールも買いたかったんだけど売ってくれなかったわ。制服だったからかしら? 最近厳しいのね」
「校内で飲もうと考えるな! 私たちまで退学されるわよ!」
「冗談よ。それじゃあ、乾杯の音頭を副部長のレーコからお願いします」
「いつ私が副部長になった!?」
梨央の予告無しの振りに、麗子が間髪入れず突っ込む。
「このメンバーならどう見たってレーコが副部長でしょ」
「う……私あんま超能力開発には役立ってないんだけどなあ……しょうがないか、本人が乾杯の音頭取るのも変だし……じゃあ副部長権限で、小春さんに乾杯の音頭をお願いします」
「ひぇっ!? あ、あたし!?」
急に水を向けられておたおたする小春。三人は構わずパチパチと拍手する。
「小春、ひと言挨拶してからよ、分かってるわね。ほら、早く立って」
副部長に就任したとたんに権力を行使する麗子だった。
「う~、無茶振りだなあ……」
不平を言いつつも、小春はイスを引いて立ち上がった。集中する視線にもじもじする姿が可愛らしい。
「え、えっとお、きゅ、急に指名されたので、な、何喋っていいのか、分かんないですけど、梨央先輩のために、頑張って乾杯の音頭やらせてもらいます……」
いつも顔を合わせているメンバーだというのに、教台で自己紹介する転校生のように緊張して、小春は話し始めた。
「ま、先ずは、梨央先輩、テレポの成功おめでとうございます。えっと、あ、あたしは、梨央先輩にお礼を言わなくちゃならないことがあって……ひ、一つは、あたしを、変身……自分で変身なんて言ったら変だよね……えーと、そうだ、女の子らしく、おしゃれするってこと教えてくれて。あれからクラスのみんなも、あたしのこと大切にしてくれて。その前が冷たかったって訳じゃないけど、きっと、以前のあたしは、髪で目も隠れちゃってて、殻に閉じこもっているように見えたんじゃないかと……思います。あたしが、殻を破って外に出て来たから、みんなも、心を開いて接してくれんだと思う……」
朴訥だけれども、一生懸命話す小春の言葉は、梨央たちの胸に染みた。
「梨央先輩のおかげであたしは、前より……ちょっぴりだけど、元気になれたような気がします。えっと、それから、あたしは、子供のころから本を読むのが好きで、SFとかファンタジーもよく読んでて……あたしの身近には、本に出てくるような不思議な出来事は、全然起こらないんだけど、それでも、そういう不思議なことは、きっとどこかにあるんだって思ってました。でも、そういうことに出会わないまま、高校生にもなると、そういうのって、サンタクロースと一緒で、本当は夢物語なんだって、寂しいけど、そう思うようになってきました」
胸の前で指を組んだりほどいたりしながら、小春はゆっくりと話した。三人の温かなまなざしが彼女に注がれている。
「そんなとき、梨央先輩に出会って……梨央先輩は、本当にすごくって、念写を見せられたときもビックリしたけど、昨日は、テレポなんかできるようになってて。あたしの家にポッて出てきたときは、今まで生きてきて一番ビックリしました。梨央先輩は、やっぱりこの世界には、あたしが夢みてたような、不思議なことや、素敵なことが、いっぱい、いっぱいあるんだなって、教えてくれました。そう思うと、毎日が、何だか少し、楽しくなるような気がします……梨央先輩は、あたしに無いものをたくさん持ってて、いつも大切なことを教えてくれる、憧れの先輩です……梨央先輩、こんなあたしに構ってくれて、ありがとう――」
小春は梨央に向かい深々と頭を下げた。
予期せず胸にじんと来るような挨拶を聞かされ、梨央はどう反応していいか分からず固まってしまっていた。
「……人前でこんなに話せる子じゃなかったのに……小春、いい挨拶だったわよ」
娘の成長を喜ぶ母親のように麗子が言った。小春の顔が、ぽーっと赤くなる。
「……ひ、ひと言だったのに……何か想いがあふれてきていっぱい喋っちゃった……う~、恥かしい」
「いいのよ、私もじんとしちゃった。ほら、梨央感動して泣いてる」
梨央はビクッとして、慌てて目尻に浮かんだ涙を手で拭った。すんすんと鼻をすする。
「な、涙も出るわよ! そりゃ! 不意打ちだもん!」
「あんた本当に涙腺緩いわね……まあ仕方ないか、あんたにとっては福音に等しいもんね。さて、小春、大事なこと忘れてるわよ。乾杯は?」
「あ、忘れてた。えーと、みんな、飲み物持ってね」
「立とうか? ほら、梨央、克彦も」
麗子の呼びかけでみんな揃って席を立ち、コップを胸にささげる。
「えっと、梨央先輩のテレポーテーション成功と、SF研の未来を祝して、乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
テーブル越しにコップを合わせる。プラスチックのポコポコした音は雅やかではないが、ユーモラスでSF研に似合っていた。
梨央はコーラを一気に飲み乾し、ぷはーっ、と気持ち良く息を吐いた。
「あーっ、美味し! 小春っ、ありがと! 愛してる!」
1ミリも照れずに梨央は言った。小春は楽しそうに微笑んでいる。
乾杯もすんだので、みんな席に座ってスナック菓子に手を伸ばす。ポテチやポッキーをポリポリと食み、ジュースを飲み下す。平和で和やかなひとときだった。
「小春さあ、クラスで女の子に慕われてるようだけど、男子は寄ってこないの? 告白とかされてない?」
ちょっと心配そうに梨央が聞く。「えー!? そんなのないない」と手をぶんぶん振って答える小春に、麗子が補足する。
「一年女子の勇士で〝小春を守る会〟ってのが結成されてるのよ。二十人くらいいるのかな? 小春のクラスだけじゃなくて各クラスに分散しててね、男子は〝守る会〟の承認がないと告白できないことになってるのよ。そういう御触れが出てるの」
「なっ! 何その〝あたしを守る会〟って!? あたし聞いてないよ!?」
今朝の新聞に載っていた記事のようにさらっと言った麗子に、小春が狼狽して聞く。
「あー、小春知らなかったんだ。あなたが変身した次の日にできたそうよ。発起人は麻紀ちゃん」
麻紀は同じクラスにいる小春の親友である。
「ま、麻紀ちゃん……いつの間にそんなことを……」
「これまでに三人の男子が『小春に告白したい』って守る会に申し出たらしいけど、三人ともチャラチャラしたやつで、小春には相応しくないって全員却下されたそうよ。あと、御触れを無視して告白しようとした男子がいて、事前にばれて守る会に袋叩きにあったっていうのも聞いたわ」
「そ、そんなことが!? レーちゃん何でそんな詳しく知ってるのよ!?」
「生徒会で麻紀ちゃんから聞いた。あの子副委員長でしょ?」
小春はがっくりと肩を落とした。
「麻紀ちゃん……せ、席隣なのに……あたしに内緒で何を……」
「なーるほど、それで悪い虫が付いてないのね。靴箱がラブレターでいっぱいになってもおかしくないと思ってたけど、そういう話聞かないのは訳があったのね。安心したわ」
梨央が梅&生姜味ポテチのひときわ大きな一枚を、ひと口で口の中に放り込む。変な味なので梨央以外はほとんど手をつけていない。数あるスナック菓子の中からどうしてこれを選ぶのだろうかと克彦は思った。
「梨央さ、また違った超能力挑戦するの? オレ、何か手伝えるかな?」
さきイカを齧りながら克彦が聞いた。梨央は「んー?」と言って言葉を濁した。
「梨央先輩、次はやっぱりサイコキネシスですよね! 超能力の王道って感じじゃないですか!」
期待に目をキラキラさせて小春が言った。梨央は何故かのってこない。
「うーん、サイコキネシスはいずれ挑戦するけどね。その前にちょっとやることがあるんだ」
「何よ、もったいぶらないで言いなさいよ」
麗子がエビせんべいを齧りながら話の続きを催促する。梨央は梅&生姜味に飽きたのか、さきイカについていたマヨネーズをポテチにかけて食べている。どんな味がするのだろうと克彦は思った。
「……じゃあ言うわよ。克彦に手伝って欲しいんだけど、ハッキングの仕方教えてくれない?」
三人顔に同時に当惑の色が浮かぶ。
「何だよそれ? どこに侵入するつもりだよ?」
「クレジットカード会社」
「「はあ!?」」
麗子と克彦の声が重なった。
「梨央! あんたまさか金目当てで……」
「んなことするわけないじゃん。居所を突き止めたい奴がいるだけよ」
目を吊り上げてとがめる麗子を、梨央はやんわりと制した。
「誰よ、それ」
「……弟」
三人とも言葉を失った。時間が止まったようにしばし沈黙する。
麗子が溜息をひとつついて、真剣な表情を作った。
「……あんたやっぱりアルとマリア先生の居場所知らないのね。ねえ梨央、他にも隠してることいっぱいあるでしょ? そろそろあなたの秘密話してくれてもいいんじゃない? 私たち、仲間でしょ?」
麗子は寂しそうな顔をした。もっと打ち解けてほしい、そう眼で訴えていた。
克彦と小春も、梨央の答えを待って見つめている。梨央はばつが悪くなって視線を逸らし、頭をぽりぽりと掻いた。
「ちょっとみんな、そんな眼で見ないでよ……別に隠してたわけじゃないわ。きっかけがなかっただけで、頃合いを見て話そうと思ってたんだから……いい機会だから、全部話すよ」
梨央はそう言って、コップに三センチくらい残っていたコーラを飲み乾した。
それからペットボトルを取り、再びコーラをなみなみと注いだ。表面張力でかろうじて溢れずにいるそれを、注意深く持ち上げ、じゅるっと啜る。
緊張を含んだ三人の視線が、彼女に目掛け注がれている。
こくこくと二口ほど飲んで、梨央はコップをテーブルに置いた。小さく息をつく。
「あたしの弟――名前は、『有限』の『有』って書いて『アル』って読むんだけど――アルも超能力者で、一年前、あたしのママをさらって、どこに逃げてしまったの、テレポで」