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いよいよアレにチャレンジします その④


 携帯がなる。英語の予習をしていた麗子は、ベッドサイドで充電中の携帯に目をやった。

 何となく嫌な予感がした。いつもと変わらない着信音なのに、何故か「早くとれ!」とせかされている気がした。

 マナーモードにしなくてもバイブする設定にしているので、充電機に納まったまま振動しているのだが、今にも充電器から飛び出してこっちに跳ねてきそうだ。

 鬱陶しそうに立ち上がり、画面を見るとやっぱり梨央からだった。しばらく躊躇っていたが、音が鳴り止まない。麗子は仕方なく着信ボタンを押した。

「もしも……」

『すぐ取んなさいよっ!! あほレーコ!! この大事なときに!!』

 あまりの声のでかさに腕を伸ばせして携帯を耳から遠ざける。

 梨央のわめき声が一段落してから、携帯を耳には当てずトランシーバーのように持って話しかける。

「んなでかい声で出さなくても聞こえるわよ。何の用なの?」

『でっ、でででっ、できたっ!! できたのっ!!』

「克彦の子? だから私が避妊しなさいと……」

『違げーよっ!! いつの話伏線にしてんだっ!! そうじゃなくって、テレポよ、テレポ!! できたの!!』

「そう、それはおめでとう」

『信じてねえなこの野郎!! 同じSF研の仲間なのに!!』

 麗子は頬をぽりぽりと掻いた。

「うーん、そうは言ってもねえ。あまりにも現実離れしてるから、この目で見ないことには……」

『あんたん家どこなの!? 目印になるようなもん教えなさい!』

 キレ気味の声で怒鳴り続ける梨央。麗子は面倒くさそうに説明した。

「コンビニのハミマ松駒店分かる? そこの角から住宅街の方に百メートルくらい入ったとこだけど、入り組んでるのよね」

『ハミマ松駒店……あっ、分かった! 隣がペットショップ!』

「そうそう、そこから……」

 ノイズを発して通話が途切れた。まだ切れてはいないが、中継局を探す音がしている、と思ったらまたつながった。

『もしもし!? レーコ!? あんた今部屋にいるの? 窓からなんか高い建物でも見えない!?』

「……だから声でかいって……えーと、高い建物?」

 麗子は窓へ行き、カーテンを開いた。

「マンションが見えるわよ。マンションセレブリティって痛い名前がでかでかと書いてあるわ。そんなに豪華でもないのに」

 また数秒ほど通話が途切れた。

『レーコ! 窓から手を振って!』

 言われるがまま、麗子は窓を開け、セレブリティに向かって手を振った。クーラーの効いた室内に、夏の蒸した空気が流れ込む。

 ……まさかあそこにいるわけ? 屋上に何か立ってる……人?

 暗くてよく見えないが、麗子は目を細めてその人影らしきものにピントを合わせた。やっぱり人間らしいと見当がついたところで、ふっとその姿が消えた。

 同時に麗子の背後でどしんと音がする。驚いて振り向くと、Tシャツに短パン姿の梨央がいた。火照って赤い顔をしている。

「ぎゃあ! 梨央! あ、あんたマジで……」

「レーコ! できたよ! あたし!」

 梨央は両手を広げて抱きつき、ノーブラの胸に顔を擦りつけた。

「こ、こら! 梨央! どさくさ紛れにおっぱいを……! あ、あんたびしょ濡れじゃないの!? 離れろってば!」

 麗子が梨央の脇腹に渾身のリバーブローを放つ。梨央はひっくり返って悶絶した。

「ぐ、ぐおおお! き、効いた……じゅ、十センチの隙間から、こ、こんな重いパンチを……」

「あんたが聞かないからよ! で、でもすごいじゃない。ハミマからマンションに飛んで私の部屋に来たんでしょ? ついにテレポできたのね、おめでとう!」

 よろめきながら梨央が立ち上がる。

「そ、そうよ、恐れ入ったでしょ……まったく、この世紀の大偉業を成し遂げたあたしを、よく手加減なしに殴れるわね……」

「ごめん、ちょっと力入れすぎたわ。それにしても梨央、あんた何でびしょ濡れなの? 乳首透けてるわよ」

 梨央が着ているのは白っぽいTシャツなので、胸元はかなりあられもないことになっている。

「ふん、この偉業の前に、胸ポッチなど取るに足らぬことだわ。シャラポアの気持ちが分かったわよ」

 堂々と胸を張る梨央。

「……すごい境地ね。でもそれで人前に出ないほうがいいわよ」

「さあ、無駄話してる暇はないわ。小春の家に行くわよ」

「そうね、小春もきっと驚くわ。あの子の家は近所よ、うちの前を右に曲がって……」

「なに他人事みたいに言ってるのよ、レーコも一緒に行くのよ」

 麗子の顔がサッと青くなった。

「あ、歩いていくんでしょ?」

「……レーコ、あんた、鳥が隣の木に移るのに歩いて行くと思う?」

 梨央は呆れたように言った。

「わ、私も一緒に飛ぼうっての!? 嫌よ! 怖い!」

「何を言ってるの。同じSF研なんだから、一蓮托生よ」

「そ、そうだ! 先に小春の家に行って、小春を連れて私の家に戻ってちょうだい!」

「ダメよ。初めて人を連れて飛ぶのよ。小春が異次元に取り残されたり身体がちょん切れたりしたらどうするの」

「私はいいのかよっ!! とにかく絶対ヤダ!!」

「ヤダって言っても連れて行く」

 梨央が手を伸ばす。麗子は悲鳴を上げてその手を振り払った。部屋から逃げ出そうとドアに向かってダッシュする。

 麗子の脳裏をデジャヴがよぎる。――ああ、去年生徒指導室でキスされたときだ。

 ノブに手をかけようとした刹那、目の前に梨央が出現した。部屋の中で瞬間移動したのだ。

「わっ!!」

 急に止まることもできず、麗子は梨央の胸に飛び込んでしまう。

「行くわよ!」

 麗子の身体をがっちりと抱きかかえ、梨央は飛んだ。


 梨央と麗子はマンションセレブリティの屋上に着地した。飛ぶ直前の体勢が不安定だったので、折り重なって倒れる。

「……ひっ……きゃああああ!」

 実は高所恐怖症の麗子が、絹を裂くような悲鳴を上げた。

 二人が倒れこんだのは屋上のフェンスの外側、幅約五十センチのスペースだ。寝返りを打てば地面まで真っ逆さまである。

 梨央に覆いかぶさっていた麗子が起き上がり、フェンスに背をめり込ませるように貼り付いて、ガタガタと震えた。

「ほら、レーコ、怖がってないで。小春の家どこか教えてよ」

 身を起こしながら梨央が言った。

「……あ……が……」

 下を走る車がミニカーに見える高さである。何か言い返そうとしても、声にならない。

「きれいな夜景ね。しばらく眺めてから移動する?」

 麗子は小刻みに首を振った。

「……お……教える、から……お、お願い……早く……降ろして……」

「そう? まあいっか、いつでも来れるしね。どこよ?」

 強風が服や髪をバサバサとはためかせているが、梨央は平気な顔で、腰に手を当て仁王立ちになっている。

「……あ、あそこに……公園が、あるでしょ……そ、そこから、右に、三軒目……か、瓦屋根の……」

「あー、あれ? 古そうな家ね」

「……」

 麗子は真っ青になって、フェンスにしがみつき震えている。必要以上のことを喋る余裕はない。

「行くわよ。レーコ、あたしにしがみついて」

 梨央が麗子のそばにかがみこむ。麗子はもう相手がレズだろうが何だろうが、ここから降ろしてくれるなら誰でもいいという思いで、ギュッと抱きついた。

「おお、おっぱいが当たる~。レーコ、しばらくこのままでいい?」

「……早く……お、降ろして……」

「せっかちねえ。しょうがないな、飛ぶわよ」

 二人の姿が、一瞬で消え失せる。

 

 梨央と麗子は小春の自宅前に着地した。

 梨央はきれいに足から地面に降り立ったが、麗子は、どて、と道路に転がった。

「……本当に古い家ねえ。築何年よ?」

 麗子に聞いたつもりだったが答えがない。見ると人魚みたいなポーズでへたり込んでいる。

「レーコ、シャキッとしてよ。レイプされた後みたいよ」

「……お、覚えてなさいよ……倍にして返してやるから……」

「古い家ね」

 麗子の恨み言はスルーして、梨央はまた聞いた。

「……小春のお爺ちゃんの代の家だから、築五十年くらいよ……」

 木造の住居は木肌に月日が染み込んでいて、いかにも古そうだった。

 間口は狭く、限られたスペースに無理やり二階家をこしらえたという印象を受ける。両側に立派な鉄筋コンクリートの家が建っているので、余計にみすぼらしさが際立ってしまう。

「こんなとこにあの絶世の美少女が住んでいるのね……小春、将来あたしがいい暮らしさせてあげるからね」

「……あんたより絶対あの子の方が稼ぐわよ……そのために勉強してるんだから」

 ふん、と言って梨央は視界を家の中に飛ばした。

「えーと、小春はどこに……いたいた。う~ん、部屋着姿も可愛い~ん。あ、妹もいるんだ」

 一階の居間に小春の姿を見つけた梨央は、やっと立ち上がった麗子に手を伸ばした。

「さ、行くよ」

「……あんた一人で行って。私玄関から入るから」

「つれないこと言わないの」

 麗子の手を取り、梨央は家の中に飛んだ。

 

 午後十時。小春は居間で明日着ていく制服にアイロンをかけていた。兄弟五人の白梼山家はいつも賑やかだが、夜はひっそりと静かになる。

「あ~、やっと寝たよ、あいつら」

 小春の妹、夏希が肩に手を当て、首をコキコキ言わせながら居間に入って来た。もう一方の手には半分ほど残ったコーラの一リットルペットボトルをぶら下げている。

 別に肩が凝っているわけではないのだが、大人ぶってオッサン臭い仕草をよくする。

 小春とは対照的に、夏希はショートカットで男の子っぽい。二歳違いの中学二年生だが、背が高くてすでに小春と同じくらい身長がある。

「うるさいのが寝静まると急に静かになるね。あー、やっと大人の時間だ」

 看護士をしている母は、今日は夜勤である。母のいないときは二人で家事を分担するのだが、主に小春が家事全般を、夏希が弟妹の面倒を見ている。ちょっと前まで自分もその「うるさいの」の一員だったくせに、年頃なのか、ませた物言いをするようになった。

「おつかれさま。夏希、自分の制服、部屋に持って行ってね」

「あ、あたしのもアイロンかけてくれたんだ、ありがと」

 ハンガーで鴨居にぶら下がっている制服を見て礼を言う。。

 夏希はちゃぶ台の脇にどっかを腰を据えた。ペットボトルの蓋を開け、口を付けてゴンゴンと飲む。

「ぷはーっ! 旨え! この一杯のために生きてんなあ!」

「あんたどんどんオッサン化していくわね。そんなんじゃ彼氏できないよ」

「お姉ちゃんだっていないでしょ。あ、それとも変身してからモテモテ?」

「バカ」

 口を尖らせた小春の頬が、微かに赤くなる。

「変身させてくれた先輩の人って、超能力者なんでしょ? テレポーテーションって、できたの?」

「それ秘密なんだから、人に言っちゃダメよ。今頑張ってるとこ。梨央先輩なら、きっとできるよ」

「本当にできるんだったら弟子にしてもらいたいとこだけど、いくらなんでも無理でしょ、瞬間移動なんて」

 白梼山家はいまだに二十インチのブラウン管テレビに地デジチューナーを付けて視聴している。

 夏希がちゃぶ台の上のリモコンを手に取り、テレビをつけようとすると、何の前触れもなく空中に梨央と麗子が出現し、畳の上に着地した。二人分の重さに床がきしむ。

「きゃあ! な、何!? え!? 梨央先輩!? レーちゃん!?」

「わあ! な、何だ! れ、麗子さん!?」

 小春と夏希が仰天する。

「小春! あなたのもとに文字通り飛んで来たわよ! あら? 前とメガネ違うわね?」

 小春は以前のアラレちゃんメガネではなく、縁無しの目立たないメガネをかけていた。

「あ、メ、メガネはお母さんが奮発して買ってくれたの。前のは似合わなさ過ぎるって……そ、そんなことより、梨央先輩……」

「似合ってるわよ。う~ん、あたしメガネ属性なかったけど、萌えるわ~。週二くらい部室でかけてもいいわよ、そのメガネ」

「そ、そんなことより……」

「ことより?」

「梨央先輩、びしょ濡れじゃないですか。胸が透けてますよ」

「テレポーテーションの話しろよ! あんた達! 私まで命懸けで飛んで来たんだからね!」

 梨央と小春ののんきな会話に、高所での恐怖が抜け切っていない麗子がぶち切れて怒鳴った。

「お、お姉ちゃん……この人が超能力の人……?」

 普段負けん気の強い夏希だが、さすがにビビリながら小春に聞いた。

 梨央がぐりんと首を向けると、夏希はビクッとした。

「小春の妹ね。ボーイッシュな感じで可愛いじゃない。白梼山家は血筋がいいわ。妹さん、名前は?」

 名を聞かれた夏希は、体育会系の条件反射でサッと気をつけの姿勢をとった。ついでに敬礼する。

「か、白梼山夏希! 遠乃丘中学二年生です!」

 礼儀正しい態度に梨央が満足そうに頷く。

「いい返事だわ。あたしは赤羽根梨央、世紀の超能力者よ。夏希、あたしの力は国家機密だからね。誰かに喋ったら、テレポーテーションでアマゾンの奥地に置き去りにするわよ」

 一瞬身体をすくませた夏希だが、すぐに胸を張り、元気よく返事する。

「は、はい! 夏希は、命に代えても秘密を守ります!」

 梨央に注がれる視線が、いつの間にか羨望に変わっている。夏希のようなタイプは体育会系の扱いをした方が手懐けやすいようだ。

「あーあ……こんなヤツにあっという間に懐いちゃって……梨央、夏希はたくましいからね、アマゾンくらいならきっと自力で脱出するわよ」

「じゃあアマゾンの倉庫に置き去りにするから、どこかへ誤発送されてしまいなさい」

「そっちの方が嫌だけど、中学生には分かりにくいわよ!」

 目の前で妹が洗脳され、麗子が切れのいい突っ込みを入れる中、信じられないことに小春は平然とアイロンをかけ続けていた。一応感動はしているのだが、手が勝手に家事をこなすらしい。

「梨央先輩すごいですねー。とうとうテレポーテーション身に付けちゃったんですかー。行きたいとこどこでも只でいけますね、いいなあ」

 袖口までピシッとアイロンをかけ終わり、しわひとつないシャツをハンガーにかける。

「いまひとつ反応が薄い気がするけど、まあいいわ。さあ、次は克彦のとこ行くわよ。小春とレーコも一緒にね」

「いいです」「いいわ」

 小春とレーコは間髪入れずに断わった。

「何でよ! 仲間でしょうが! この大偉業を伝えに行くのよ!」

「あのね、私ノーブラなのよ。人前に出れると思う?」

「あ、あたしもこんなカッコだから……梨央先輩、あたし着替えますから、その後レーちゃんの家に寄って、それから梨央先輩の家寄って、梨央先輩も濡れた服を着替えて……」

「興奮が冷めちゃうわよ! んな悠長なことしてたら! この湧き上がるような感動を今すぐ伝えたいと思わないの!」

「何でノーブラの女子高生三人で押しかけるなんて大サービスしなきゃならないのよ。克彦鼻血出して倒れるわよ」

「もういい! あたし一人で行く! レーコ! 克彦ん家の目印教えて!」

「行ったことはないけど、確か星継総合病院の近くだったはずよ。梨央、克彦の携帯は分かるの?」

「知ってる! 星継病院の近くね、じゃ、行ってくる!」

 梨央の姿は瞬きする間に消えた。夏希が驚きの声をあげる。

「うおっ! 消えた! すごっ! カッコいい!」

 目をキラキラさせて感動している。憧れるべきでない人に憧れている夏希に、麗子が心配を含んだジト目を向ける。

「あーあ、行っちゃった。おっぱいスケスケのままで」

「克彦君、今ごろ鼻血吹いてるかもね。ねえ、レーちゃん梨央先輩と一緒に飛んだんでしょ。どんな感じだった?」

 アイロン台の脚を畳みながら小春が聞いた。

「どんなって、うーん、言葉にするの難しいなあ。何かこう、一瞬体重が無くなって、身体も透明に――透明とは違うわね……何ていうか、自分が3D映像になっちゃったような感じ? 実体がなくなって、何でも通り抜けられるような……で、景色が歪んで変な色になったと思ったら、別の場所に着いてるの」

「へー、すごーい。怖くないの?」

「怖いわよ! 私無理やり一緒に飛ばされたんだから!」

 どちらかというとビルの屋上の方が怖かったのだが、一緒くたにして麗子は叫んだ。

「梨央先輩、多分あたしん家に戻ってこないよね? レーちゃんどうする? そのカッコで帰れないよね?」

 麗子は俯き、改めて自分の姿を確認した。薄い生地のパジャマに、小玉のスイカのように豊満な胸。夜中に一人で歩いていたら、性犯罪に巻き込まれること間違いない。

「……そうね、それに裸足だし……小春、今日泊めてくれる? 明日の朝、明るくなってから帰るわ。履物と上着貸してね」

「いいよ、久し振りだね、レーちゃんがお泊まりするの」

「梨央は羨ましがるでしょうね。いい気味だわ、私を家に帰すこと、すっかり忘れてるんだから」

 その後麗子は、携帯は自室に置いてきた(というか持つ暇がなかった)ので、固定電話を借りて自宅に連絡した。短期間に二度目の外泊だが、優等生の麗子はまったくのお咎めなし。

 寝る前に小春と夏希と三人で、長々とガールズトークを繰り広げた。話題はもっぱら梨央に関することだった。

 麗子はさすがに梨央がレズだということは伏せておいたが、「あいつには注意しなさい。ほいほい言うことを聞かないように」と何度も夏希にいい含めた。

 夏希は麗子には一目置いているので一応頷いてはいたが、そのきょとんとした顔は、意味が分かっているようにはあまり見えなかった。


        ☆


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