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銃と燗酒

 サティを二階に案内し、戻ってくると食卓にジェシーの姿はなかった。

 ちらっと診療所の方を覗くと明かりがついている。白い男は机に向かって、なにか細かい作業をしているようだった。


「……そーゆーのはさ、自分の部屋でやってくんない?」


 そう言ってアントンは袖を捲り、洗い物を始める。

 サティは自分でやろうとしていたが、「いいからいいから」と言って二階に上がらせたのだ。

 痛そうなあかぎれのある指で、冷たい水など触らせられない。


「……先生聞いてる? そんなおっかないもの出してきて。上でやってよ」


 ジェシーは作業の手を止めず、こちらを見ることもなく、呟いた。


「だって、あいつがいるじゃん……」

「なんでー、先生あの子苦手? びびってんの?大人のくせに」

「……なんだよおまえ、容赦ないな」


 白い男は苦笑いしたようだが、アントンは冗談でも笑える気分ではない。

 机の上には古びた拳銃が二挺。

 ジェシーはそれを分解し、一つ一つ机の上に並べている。

 ──銃の手入れだなんて。

 使うつもりで手入れをしているのなら、とんでもないことだ。


「あの子、いい子じゃん。ご飯作ってくれたし、おいしかったし」

「あー……うん。美味かった」

「働き者だし」

「まあ……そんな感じするな」

「先生はあの子にごめんなさいした方がいいよ」

「なんで」


 そこでやっと手を止めると、ジェシーは顔を上げてこちらを見た。


「なんで。俺は何もしてないぞ」

「何もしてなかったからだよ」

「したさ、親切に」

「気づいてないの? あの子、いつの間にかトイレの掃除しといてくれたんだから」

「……!」


 ジェシーは少しのけぞった。

 追い討ちをかけるようにアントンは畳み掛ける。


「あのいつから掃除してないかわかんない、ばっちいトイレ。ぴっかぴかにしたんだよ。あの子が」

「まだ暑い頃……虫が沸いたから掃除した」

「げええぇぇ、それが直近?」

「うん」

「うっわあー、信じらんない!」

「……うん、信じられない。あー最低、俺最低」


 はあああとため息をついて、ジェシーはうなだれながら作業に戻った。

 部品の埃を払ったり油を注したりしながら、何やらぶつぶつと話しかけてくる。


「なにもさあ……やってくれって言われたわけでもなし、こっちだってそんなこと期待しちゃいないのに……何だってよりにもよって……トイレなんだろ……」

「汚すぎて耐えられなかったんでしょ」

「うん、まあ……否定できない」

「ごめんなさいしたくなったでしょ」

「……したくなったかも」

「しといでよ」

「嫌だ」

「もー、これだよ!」


 まったくあきれてしまう、子どもじゃないんだから。

 もう一度診療所に視線をやると、ジェシーは綺麗に掃除した部品を今度は組み立て始めていた。

 年代物の拳銃は、おそらく戦争の頃のものだろう。

 アントンは最近の拳銃がどんなものかなど知らないし興味もないが、ただ一つはっきり言えることがある。

 人殺しの道具なんて、見るのも嫌だ。


「……できた」


 そう呟いてジェシーは両腕を伸ばし、一つ欠伸をして立ち上がった。

 そして組み立てた拳銃をベルトに一つ差すと、すぐにそれを引き抜き、構えた。


「……やっぱ鈍ってるな。ぶれちまう」

「もう、やめてよ家ん中で」

「弾は込めてないぞ」

「後で込めるんでしょ」

「……まあ、込めなきゃ使えないしな」

「使うのは人を殺すときでしょ。父さんが生きてたら何て言うか……」


 構えた拳銃をジェシーはゆっくり下ろし、机の上に戻した。

 ごと、と重い音がする。

 二つのうち一挺は父が軍医時代に支給されたものらしい。もう一つはジェシーが自前で所有しているものだ。

 いったいどこから引っ張り出してきたんだか。大方、自室の寝台の枕の下にでも隠していたのだろう。


「……人なんか殺さないよ」


 洗面所で手を洗うと、ジェシーは椅子を鉄のストーブの前に運んで腰掛けた。水が冷たかったのか、手を表に裏に返しながら温めている。

 アントンも洗い物を終え、前掛けで手をぬぐった。指先がじんじんと少し痛い。


「じゃあ一体なんのために出してきたのさ。護身用?」

「……自殺用かな」

「何言ってんのやめてよ。それに自殺用に二挺もいらないでしょ」

「一つはあいつに持たせるんだよ」

「はあ、なんで!?」

「うそ。冗談。護身用だよ」


 ジェシーはストーブの炎を見つめながら、少し笑ったようだった。

 ほんと悪趣味、ほんと全然笑えない──と不満を述べながら、アントンは徳利に酒を注ぎ、湯を張った小鍋と一緒に診療所に運んだ。ストーブの上に鍋を乗せ、その中に徳利を漬ける。

 ジェシーはこちらを横目で見て、へえと感心したような声を出した。


「……熱燗か。気が利いてるな」

「でしょー。先生、僕に感謝しなよ」

「してるさ」

「うわあー口ばっか!」


 ジェシーはまた少し、笑ったようだった。

 アントンは台所に戻ると食器棚から盃を二つ出し、椅子を運んでジェシーの隣に腰掛けた。小鍋の中は、まだまだぬるい。

 盃を一つジェシーに渡し冷えた手をストーブで暖めていると、白い男はぽつりと呟いた。


「……明日、どうしようかなあ……」

「何を?」

「あいつだよ……あいつ」


 くいくい、とジェシーは二階へ上がる階段を指さした。

 サティのことを考えていたのだ。

 ──さっき拳銃を持たせるなんて言ってたけど、あれ本気なのかな。


「明日、先生は授業やるんでしょ」

「あー……まあな」

「じゃあ連れてけばいいじゃん」

「いや、それなんだけどさ。一緒に留守番しててくれよ」

「はああああー?」


 なんて虫のいいことを言うんだろう。

 思わず声がひっくり返ってしまう。

 ジェシーはというと、なんと両手をぱちんと合わせて頭を下げてきた。


「頼むよ、この通り」

「えええ、なんで」

「二人きりになりたくないんだよ」

「うそお。弱すぎでしょ!」

「だめ?」

「だめ! 僕にだって予定があるんだから」


 小鍋からは湯気が立ちはじめた。

 そろそろいい頃合かな、と手拭いで徳利をつかみ引き揚げる。ほら、と促すとジェシーはのろのろと盃を差し出してきた。

 二つの盃になみなみと燗酒を注ぎ、


「おつかれさま」


 と言い合って一口煽る。


「……けっこう旨いな」

「でしょ。カルタン大学の売店で売ってるの」

「へー、大学で酒なんて売ってるのか」


 感心したように呟くと、ジェシーはさらに一口煽った。そして訊ねてきた。


「おまえ、明日出かけるの?」

「出かけるよ」


 と答えて、アントンも一口煽った。

 主夫業をするために帰省したわけではないのだ。

 うなだれるように肩を落とし、ジェシーは二回目の溜息をついた。

 そんなに渋るなら、あの子のこと引き受けなきゃよかったのに──と口に出したところでしょうがない。

 自分の予定は動かせないし、サティを一人で診療所にいさせるわけにもいかない。

 ジェシーが連れて行くしかないのだ。


「先生さ、よく考えてみなよ。何か危険に晒されてるんでしょ、あの子。だから怪我してたわけだし。一緒にいた方がいいんじゃないの?」

「うん……まあ、ねえ」

「それに、いつまでここにいるかわからないんでしょ。もしかしたら僕が大学に戻ってもいるかもしれないじゃん。だったら先生、仲良くなっといたほうがいいよ。冗談の一つも言えるくらいさ。嫌でしょ、いつまでたっても御葬式みたいな雰囲気じゃ」

「それはまあ……そうなんだが」

「でしょ。なーに渋ってんの、大丈夫だよ。塾に連れてけば先生が黙ってても子ども達が勝手に群がって相手してくれるんだから。イグ先生だっているんだしさ」

「……イングリッド?」


 アントンはひとつ、頷いた。

 ジェシーは眉間に皺を寄せたまま、イングリッドねえと繰り返した。

 盃を運ぶ手は止まって宙に浮いている。


「大丈夫だよ」


 アントンはもう一度そう言って頷いた。


「あの子がいつまでいるのかわかんないんなら、尚更イグ先生には話しておいた方がいいって。これこれこういう事情で、しばらくうちに居ることになったんだって」

「……しばらく、ねえ」


 ジェシーは少し目を伏せた。

 そして二階に上がる階段を横目で見て、次に盃の中を確認するように覗いて、唇をつけて一息に飲み干した。口の端に残った酒を手の甲でぬぐう。


「……本人は、三日でおいとまします、なんて言ってたぜ」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。引き留めたけど」


 アントンは目を丸くした。

 三日でおいとまします。

 あの子なら言うかもしれない。

 でも、先生が引き留めたのはおどろきだ。ああそうかい、じゃあお元気で──と言いそうなのに。

 目を丸くしたままでいると、ジェシーはちらりとこちらを見た。そして空になった盃に手酌で次を注ぎながら、言った。


「……なんだよ、あいつがいなくなった方が良かったかい?」

「ううん。引き止めるんだーと思って」

「別にそんなつもり、なかったんだけどな……」


 ジェシーは徳利を小鍋に戻すと、なぜか膝をそろえて座った。小さな盃を両手の指先でつまんで、中身を「ずずず」と啜る。こういう変な動きをするということは、もう酔いが回ってきたのだろうか。

 ちょっと早すぎるんじゃないの、とそちらを見ると赤い目が妙に据わっている。

 そしてまた「ずずず」と啜った。


「……先生、お酒弱くなった?」

「いや。そんなことないぞ」


 じゃあその行儀のいい膝はなんなの──と口を挟もうとしたところで、ジェシーが


「ああ!」


 と大きな声を出した。

 酔っている。

 これは完全に酔っている。


「えっなに、なんなの。びっくりしたあ」

「思い出したんだよ。あいつ、海の方から来たって言ってた」

「あ、そうなの?」


 確かに、見事な包丁さばきだった。

 うろこを取り、ぜいごをとり、頭を落としてワタを抜き、三枚におろしてきれいに洗うまで、あっという間だった。一朝一夕に身につくものではないだろう。毎日のようにやっていなければ、とてもできない。

 すごいねえ、と感心すると少女ははにかむように目を伏せて「でも私、あまり凝った料理はできません」と謙遜してみせたのだった。


「海だよ海。おまえ、行ったことある?」

「ないよ。海も山もないよ」

「海の方でさ、あいつを背負ってきた坊さんがあいつの身内なら、坊さんも海の方から来たんだろ。海の方の寺だよ。あいつ、尼さんだ」

「尼さん!?」

「そう、尼さん。絶対そうだよ、あいつ」


 自信たっぷりに言い切ると、ジェシーはまた盃を飲み干した。

 手酌で次を注ごうとする前に、アントンが徳利を掴む。空の盃に注いでやると、白い男はまたも一口で飲み干してしまった。


「大丈夫なの? そんな勢いよく飲んで」

「髪も短いしさ、言葉もお上品だしさ、働き者だしさ、それにあの名前だよ。なんだっけ。

 アーナパーナアリヤサルマーサティだっけ。

 戒名みたいだろ。絶対尼さんだよ。巡礼の恰好してたけど、まあそれがなんでかは知らんけど。

 いい感じだぞ、頭が冴えてきた」

「えー、僕には酔っ払いの妄言に聞こえるんだけど」

「てことはだよ、名簿があるはずだ」

「名簿?」

「ポルトラの大寺院にだよ。僧籍名簿があるはずだ。明日行って見てくる」

「えええ」


 何を言い出すんだろう、この人は。僧侶の名簿なんて、一般人が見せて下さいと言って見せてもらえるんだろうか。

 首をかしげながら自分の盃にも二杯目を注ぎ、アントンは口をつけた。


「そんなんさー、わざわざ出かけなくても本人に聞けばいいじゃん。尼さんなの? って」


 ジェシーは赤い目を横に動かしてこちらを見た。盃に口をつけ──中身がないことに気が付いて、また次を注ぐ。


「いや、あいつ答えないよ」

「そうかな」

「だって今日ちゃんと聞いたぜ」

「ほんとかなあ。で、何て言ってたのサティは」


 ジェシーはまたあの変な持ち方で──しかも小指がぴんと伸びている──「ずずず」と酒を啜り、重々しくこう言った。


「言えばあなたにも累が及びます」

「……」

「……だとさ。ずいぶんと、かたーい言い回しだよな」

「……小指なんとかしなよ」


 耐えきれずに指摘すると、ジェシーは「ああ」と呟いてようやく盃を持ち直した。

 そして行儀よく揃えていた膝も崩すと、一つ溜息をついた。


「だからさ……明日。留守番しててほしいんだよ。あいつと」

「……午後ならいいよ」

「昼は?」

「食べてきちゃう予定だけど」

「あー、そっかあ……」

「……もー、しょうがないなあ。わかったよ。早めに戻るようにするからさ」


 徳利を持ち上げると、だいぶ軽くなってきた。手酌で次を注ぐ前に、横から白い男が奪い取るように掴んでアントンの盃に注ぎ込む。

 ジェシーが自分の方にも注ぐと、徳利の中は丁度空になった。彼は「入れすぎた」と呟くと、自分の盃の中身をアントンの方に少し移した。

 わずかに零れて指を伝う。

 それをぺろりと舐め、彼は言った。


「累が及ぶったってさあ……もう及んでるんだよな、うちに来た時点で」

「……」

「まあでも……警察でも軍隊でも役所でもない。“酔いどれ”に来たってことは、そうなんだろ。三日でおいとましますったって、行くとこなんかないんだろ」

「……」

「頼れる相手なんか、いないんだろ」

「……」

「そんなんで放り出したら、“揚羽蝶”どころじゃなく悲惨な目に遭うだろ。それもまあ……かわいそうだしな」


 ジェシーは最後の酒をぐいと煽り、ふうーと息をついた。

 今夜はこれでおしまい。

 アントンも酒を飲み干すと、空になった盃を二つ重ねた。


 ──優しい、のかなあ。


 引き留めたのは本心ではない、とジェシーは言いたげであった。

 放り出したらかわいそうだ、だから引き留めて正解だったのだ──と、自分に言い聞かせているような口ぶりだった。

 盃を流しですすぎ、ひとつあくびをする。

 あの子はもう寝たのかな。服の裾を上げてから寝ます、と言っていたけれど。

 流しから診療所の方に目をやると、ジェシーは二挺の拳銃を腰に差していた。一つは父のものだが、父が拳銃を穿いている姿は見たことがない。当たり前の話ではあるが。


「先生、もう上行くでしょ。ストーブ消しといてくれる?」


 声をかけると、ジェシーはひとつ頷いた。

 ストーブの火を落とし灯りを吹き消すと、真っ暗な中に白い男の姿だけがぼんやりと浮かんで見える。 二階に上がると、少女はすでに眠っているようだった。

 なるべく足音を立てないよう、二人はそっと自室の戸を開けた。


「じゃあな、おやすみ」

「おやすみなさい」


 家中がしんしんと冷えている。

 寝台に横になり、毛布にくるまる。

 自分の体温が毛布の中を温めるまで、今日あったことを反芻する。

 不思議な少女のこと。

 古びた拳銃のこと。

 ジェシーと酒を飲んだこと。


 ──父さんが生きてたら、どうするかな──


 そのうち眠気がやって来て、瞼が重くなってくる。

 毛布の中は、少しずつ温まってきた。

 目を閉じると、すんなりと眠りに落ちた。

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