昨日のトニー
よぉ、さっそく来たのかい。
昨日の今日で連れてくるとは、せわしないこった……飯、食ってくんだろ? じゃあ奥に入りな。
ふうん、サティっていうのか。
こうして明るいところで見ると、なかなかの別嬪だな。これなら“揚羽蝶”でも売れっ妓になれるぜ。
……冗談だって。
ジェシー、そんな怖い顔するなよ……ああすまん、元からだったな。
ははは、そうかそうか。アントンのやつ怒ってたか。あいつはこの商売が大嫌いだからな。でも飯は食いに来るってんだから、ちゃっかりしてるぜ。
……まあ良かったじゃないか、家にいていいってことになったんだろ? 結局放り出せないあたり、死んだ父親にそっくりだ。
それで、お嬢ちゃんはどこから来たんだい?
……
……言いたくないのか。
おまえも聞いてないのか、ジェシー。
らしくないな。いつもなら細かいところまではっきりさせてから取りかかるってのに。
はあ、教師のくせに子供が苦手ってか。
まったく情けないこと言ってんじゃねえや。人見知りするなよ、いい大人が。
……まあ、俺は構わないさ。
この話はおまえに任せたんだ。好きにやってくれ。
……それで、何か用があるから来たんだろ。
まさか昼飯のためだけに来たわけじゃあるまい。
なに、昨日の坊さん?
お嬢ちゃんの知り合いなんだろ?
……まあいいや。
あの坊さんなあ……昨日の夜中に、うちの店に来たんだよ。
もう閉めるところだったんだが、尋常じゃない音で戸を叩くもんだから仕方なく見に行った。
そしたら、お嬢ちゃんを背負ったでかい坊主がいたってわけだ。
その時の様子?
──殺気立ってたな。
明らかに普通じゃなかった。
「夜分にすまない。ここはよろずの仕事を引き受けていると聞いて来た」
開口一番、坊さんはそう言った。
「……たしかにそうだが、あんた見ない顔だな。どうしてここを知った」
「頼みがあるのだ。まずはこれを受け取ってくれ」
坊さん、あんたを店の前で下ろすと懐からむき出しの札束を出して俺に押しつけてきた。
有無を言わさずってのはああいう感じだな。
渋々受け取ったまではいいが、中身を確認してちょっと驚いたね。
ここで商売を始めてもう十年以上になるが、あんな額の現金を一度に渡してくる客ってのは初めてだ。相当危ない仕事でも、大抵は半額成功報酬の後払いがほとんどだからな。
……いや、危ない仕事ほど全額前払いなんてことはあり得ねえ。
この坊主、どんな厄介事を持ち込むつもりかと身構えたよ。
「この娘を預かってほしい。安全な場所で」
坊さんはそう言って、あんたを背中から下ろした。
大事なものを扱うような感じだった。
そして続けてこう言ったんだ。
「できれば、普通の娘として生活させてやってくれないか」
……つまりお嬢ちゃん、あんたは普通の娘じゃないってことだよな。
今は普通のなりをしているが──ちょっと古くさい恰好だな──昨日は巡礼服だっただろう。
若い巡礼なら、最近は大勢いる。もうすぐ祭宮の即位式典があるからな。
……なんだジェシー、おまえ知ってんだろ。
祭宮様だよ。
生き神様みたいなもんだ。もうずいぶん経つのかなあ、先代が死んでから。たしか戦争の前だったもんな。
何十年かに一遍しかないからな。信心深い連中があちらこちらから集まってくる。このまえ来た客なんて、西方伯領から延々歩いてきたって言ってたぜ。汽車も走ってるこのご時世に、ご苦労なこった。
だが、おかげさまで客は増えたぜ。祭宮様々だ。
俺も即位式典くらいは見学に行きたいんだがね。ポルトラ城内の大寺院だ、すぐそこだよ。けど、「かきいれ時なんだから遊びに行ってる場合じゃない」ってかみさんに言われちまった。客商売じゃ仕方ないな。
一大イベントだぜ。知ってるだろ、新聞取ってるんだから。
……はん、おまえの寺嫌い坊主嫌いも筋金入りだな。まあ気持ちはわかるが。
……そうそう、お嬢ちゃんの巡礼姿の話だったな。この寒いのに外套もなし、靴もなし、よく見りゃ怪我までしてる。
そしてあのむき出しの札束だ。
あんたがそこそこ厄介な事情を抱えてるんだってことだけは、言われなくてもわかったよ。
「お坊さんよ、物事には頼み方ってもんがある。金払いは良いようだが、これは相場に見合ってるのかい」
「……相場?」
「この娘っこ、ただの巡礼じゃないんだろ。こっちにも仕事を選ぶ権利がある。そこんとこを教えてもらわなきゃ、とてもじゃないが受けられないぜ」
坊さん、言葉に詰まってたな。
俺はこのまま断るつもりだった。根拠なんかないが、あまり良い話じゃないと思ったからだ。
昔っからよく言うだろう。君子危うきに近寄らずって。
これは金の問題じゃない、降りかかった火の粉は払わなきゃ火傷しちまうからな。
「ここでは話せない。誰かに聞かれるわけにはいかぬ」
「話さんことにゃわからんだろうが。人にものを頼むつもりなら、事のあらましをだな……」
「いや……私に判断できる事柄ではないのだ。私ではなく本人に訊ねてくれ」
「おい、なんだよそれは。本人ってこの小娘か。おいっ」
「すまないが、くれぐれもよろしく頼む」
まったく、信じられねえよ。
あの坊主、一つ頭を下げるとあんたを放り投げるように俺に押し付けて、行っちまった。
暗闇に紛れて、見えなくなるまであっという間だ。尋常じゃない足の速さだった。こっちはあんたを抱えて、とてもじゃないが追いかけられねえよ。……あれには参ったぜ。
それで、しょうがないからジェシーに相談して連れて帰ってもらったのさ。
……“相談”しただろ?
ははは、駆け引きか。そうかもな。
お嬢ちゃん、安心していいぜ。
こいつ見た目は不気味だしあまり気が利く方じゃないが、一緒にいれば命を落とすことはないだろう。
腕利きなんだぜ、こう見えて。十年前の話だけどな。
まあなんとかなるだろうよ、昔取った杵柄ってやつでさ。
そういえばあの坊さんも怪我をしていたな。致命傷ではないようだったが。
どこに行ったのかねぇ、あの体で……
あんたの身内なんだろ。
心配じゃないのかい。
……まあいいさ。
いつまであんたを預かるか、具体的なことはこいつと決めてくれ。依頼主はあの坊さんだが、肝心なことは一つも言わずに行っちまったからな。
じゃあ、冷めないうちに食べてくれよ。
あの男所帯じゃ芋くらいしかないだろうからな。
遠慮するこたあない、支払いはこいつだ。経費はたっぷり渡してあるんだから。
それではどうぞ、ごゆっくり……