傍観者不明
ブゥー、ブゥー、…
テーブルの上の携帯電話が震える。
メールの差出人は[不明]。
一見、空メールだと思われる本文のずーっと下に、一言だけ。
[今日も殺してください]
句読点も。もないメールに呆れ果て、携帯電話を敷きっぱなしの布団の上に放り投げた。
4LDKの小綺麗なマンションの一室。
三階の一番隅、そこが俺の部屋。
何も言わずに玄関の扉を開ければ、案の定。
近場の高校の制服を着たまんまの女子高生。
俯いていて表情は読み取れない。
片手にはストラップも何もつけてない携帯電話。
空メールの差出人。
俺は彼女の黒髪を右手で鷲掴み、部屋の中に投げ飛ばした。
先程の携帯電話と同じように。
―――
適当に部屋を片付け終えた俺は床に腰を下ろした。
近くにあったタオルケットを掴み、涙の跡が真新しい彼女にかけてやる。
そんな彼女の首には、青紫色に変色した手の痕。
俺の手の大きさ。
「スゥ…。」
歯形などで傷ついた肩。
起こさないよう慎重にそこに手を置き、上から彼女の寝顔を眺めた。
敷きっぱなしの布団の上で眠る女子高生とは出会い系サイトで知り合った。
興味本意で様々な掲示板を流し読みしていると、妙な内容の物を見つけた。
投稿は一分前。
まだ更新などはされておらず、奇妙な文字列が一行だけ書き記されていた。
[0QDKBS B-DWH+JPYT]
一見何を意味しているのかわからない。
だが、推理小説を愛読している俺にはすぐに解けた。
パソコンのキーボード。
ひらがなで文字の箇所を打てば、
[わたしのこと ころしてくれませんか]
ほら、完成。
自殺志願者の板か。
関わり合いたくはねぇな。
そう思っていると、タイミングを図ったかのように更新された。
今度はURLだけで、何処かのページにリンクされているようだ。
このままおさらばするのも有りだったが、暇だったので付き合うことにしてみた。
何々、今度はパスワード付きか。
先程の解答しか思い当たる節がなかったのでそれを入れてみる。
ビンゴ。
白い背景に携帯電話のメールアドレスが載っていた。
その下にまた一言だけ。
[情緒不安定なので取扱注意]
そんなこと素直に書くのか。
この部分がその時の俺には好感が持て、何故かメールをしてしまった。
それが始まり。
後悔はしてない。
それから連絡を取り合い、学校帰りにハンドルネーム[不明]が立ち寄ることに。
掲示板は消された。
16時、チャイムが鳴る。
部屋着のスウェットにジーパンで扉を開けると、近場の高校の制服をきた女子高生。
何も手を加えられていない肩につく長さの黒髪。
茶色の目は希望も絶望も映らない濁ったモノ。
そこらへんにいそうな人間だ。
「お前が“不明”?」
「はい。貴方は“傍観者”さんですか?」
「ああ、そうだ。
なら、始めっか。」
胸ぐらを掴んで中に引き摺り込む。
ガチャン
鍵を閉めた扉に背を向け、リビングまで彼女を運ぶ。
子供がぬいぐるみを引き摺って歩くように遠慮なく。
マネキンよりも重たいそれを放ると壁に頭を打った。
彼女の鞄が手から離れる。
体に跨がり要望通り両手で首を締め始めた。
人殺しはできないが、痛めつけることはしてやれる。
金は関係ない。
ただ、お互いがスッキリするか気絶するまで。
連絡は不明から。
それが俺達の関係の条件。
見開かれる目玉と苦しそうに出される舌と涎。
体重を首にかけていくと更に息が細くなるのがわかる。
伸ばされた腕は細くて、男の俺のと比べると小さい。
綺麗な手首を横目に手の力を少し弛める。
長時間続けたいなら気絶させないように気をつけないと。
生理的な涙を流す目の前の彼女の顔は汚くて、死人のようにだんだん白くなっていく。
「――。」
口パクで何か言った。
するとボロボロボロボロ大粒の涙が溢れて溢れる。
訳がわからなくて手を離して耳を近づけようとする。
だが、頭を力無く左右に振った彼女が初めて見せた笑顔に首を傾げる。
「っ…けて。おね…がい。」
「……死にそうだったら床叩けよ。」
「はぃ。」
そしてまた、俺は手に力を込めた。
―――
彼女には片思いしてる奴がいるらしい。
とても大事な奴だと。
そう説明する彼女の表情は穏やかだったが、悲しみに満ちていた。
俺には関係ない話だ。
興味もない。
けれど、衣服を整えながらポツリポツリと呟く彼女を止める理由もない。
黙って聞いてやるだけ。
返事もろくにしない。
この関係はきっと哀れみや同情が繋げている。
可哀想なこの子を守る義理もなく、助けるつもりもない俺はとても冷めた人間だ。
ベランダで元カノが育てていたヒヤシンスに一滴の水さえ与えないのだから。
もう枯れてるヒヤシンスに何も思わない。
震えるか細い腕を前にしても、それは同じ。
「甘えても、いいですか?」
返事はしない。
これは肯定の証。
ワイシャツとスカート姿で俺の首に腕を回すボロボロの女子高生。
背中にかかる体温の鼓動を聞きながら煙草をふかす。
彼女の体温は低い。
顔色もあまり良くない。
グイ
腕を引っ張り膝の上に横たわらせ、不思議そうに見上げる彼女と見つめ合う。
部屋に連れ込む前から目が腫れていた。
どうせ、昨夜も俺がいない場所で泣いたのだろう。
泣き虫な子だ。
「今日は泊まっていけ。」
この辛い世界を隠すように、彼女の目を、彼女の首を締めたこの手で塞いだ。
微かに彼女の息が震えた気がしたが、俺は何も言えなかった。