見える部分だけを信じていると騙される
9話目です。
・・・ではどうぞ
突然ピアノの和音が響いた。
その音でざわついた店内が静かになり、皆がピアノに注目する。
彼女は一度深呼吸をして、ピアノに指を置いた。
流れ出たのは『We with you a merry Christmas』クリスマスの定番曲だった。
皆が知る曲だけあり、リズムを取る人の姿も見える。
前に座る葵もその一人だ。
和歌奈はあまり興味が無いのか、残りのケーキに夢中だ。
文紘さんはカウンターの中で腕組みをし、演奏する彼女を見ていた。
その表情はあまりにも優しくて、見てる方が照れる。
私は思わず視線を逸らした。
「何赤くなってんの?」
食べ終わった隣の妹が、小声で囁く。
「・・・何でもない。」
曲が終わり、拍手が響く。
彼女は立ち上がり、向きを変えて頭を下げた。
少し緊張し、それても拍手にホッとしたような、そんな感じに見えた。
拍手をしながら、文紘さんが彼女に並ぶ。
拍手の音にかき消されているが「ありがと」そう口が動いた。
その後、文紘さんが挨拶を入れた。
彼女は市沢美智留という名で、フォレステベルジュ音大でピアノを学んでいるらしい。
軽い調子の喋りで場を沸かせ、調子に乗り過ぎては彼女に突っ込まれている。
そのタイミングが見事で、また笑いが起こる。
計算には見えない。それは普段と変わらない姿なんだろう。
その途中で母が入って来た。
妹はカルピスを最後まで吸い込むと、
「母さんのとこ行くね。」
と言い残して行ってしまった。
・・・ひょっとしてこのままだと会計は、私になるんだろうか?
そんな事が頭に浮かび、母が座るカウンターの方を確認すると、
和歌奈は母に楽しそうに話しかけている。
ころころ変わる表情を見ていると、まぁいいかという気分になってきた。
母は時折妹に頷きながら、カメラを取り出していた。
その後の曲は、バッハのカンタータ、Hark! The Herald Angels Sing、
アヴェ・マリアは分かった。
その他何曲かの賛美歌が演奏されたが、それは初めて聴いたものばかりだった。
それどころか、賛美歌というものに馴染みがない事に初めて気がついた。
これが日本人なんだなと、納得した。
演奏の後、常連達が残って雑談に花を咲かせていた。
当然その話の中心は今日の演奏会だ。
もちろん私達もその中にいる。
「ふふん、自慢の彼女なんだ。」
と、はっきりと言う文紘さんに、美智留さんは少し困った顔をする。
「自慢されても、ただの学生よ?」
「将来はピアニスト?」
「あ、はい、できればそうなりたいですね。」
どこかからの質問に、彼女はそう答える。
「美智留なら大丈夫!」
「文紘の大丈夫は、根拠が無い。」
見事に切り捨てた。
「美智留、俺は信じているのに・・・酷いっ!」
大袈裟に言って、輪から離れた。
そのまま離れた席に座って、一息ついている。
どうやら彼の言葉は、そのまま信じてはいけないようだ。
「疲れるまで気を使わなくてもいいんじゃないですか?」
文紘さんの側に行き、そう言った。
「美晴ちゃん、俺はそういう性分なの。」
背もたれに身を預け、にっと笑う。
「潰れないで下さいよ。」
「後で美智留に癒してもらうから大丈夫。」
その言葉の意味を一瞬考え、辿り着いた答えに赤面する。
「・・・アダルトな発言には免疫がないので、これ以上は突っ込みません。」
苦笑して言った。
「美晴ちゃんの弱点を発見。って事かな?」
「その点に関しては、それでいいです。」
本当の姿を知るのは、彼女の特権だろう。
二人とも賑やかな場所を眺めながら話を続ける。
「そういえば、ピアノはどこから持って来たんですか?
あれ、結構使い込まれてますよね?」
「あぁ、あれはじーちゃんの友達から譲ってもらったんだ。
昔、娘さんが使ってた物らしい。
家で埃被ってるより、使ってもらった方がピアノも喜ぶだろうって、」
「なるほど。」
「そのうち来てもらって、ピアノ聞かせてあげたいんだけどね、
今入院してるからね。小原さんっていうおばあちゃんなんだけどさ、」
「元気になって、聞いてもらいたいですね。」
以前のマスターのお見舞いは、その人だったんだろうな。
しばらく二人とも口をつぐむ。
向こうでは本職のカメラマンによる撮影会が始まっていた。
沈黙を破ったのは文紘さんだった。
「調律は頼んだけど、修理はしてないんだ。・・・大事にされてたんだろうな。」
「大事に使っていかないと、顔向けできなくなりますね。」
少し意地悪な言い方をしてみた。
「そうだよね。責任重大だよなー。」
文紘さんは、溜息まじりで笑っている。
いい機会なので、私が一番聞きたかった事を聞いてみた。
「ここも引き継いで、続けていく気なんですか?」
「・・・無くなったら、みんな寂しがるだろ?」
少し間が開いて、そう返ってきた。
「・・・本当にいい人ですね、文紘さんは。」
この人は、根っからのエンターテイナーなのかもしれない。
自分が無理をしてでも、人を笑わせようとする。
ボランティア精神にあふれた人だ。
「それは、男に対する褒め言葉じゃないよ?」
少し残念な色を含む声で言う彼に、
「私は褒めてるつもりだからいいんです。」
そうきっぱりと言い切った。
「美晴ちゃんには敵わないな、なんかペラペラ話しちゃったよ。」
溜息混じりに言う彼に、私は自然と顔がほころぶ。
「私もこんなに聞けるとは思いませんでした。
何か、本当に優しい人で嬉しくなりましたよ。」
「えー、今頃気付いたの?」
「はい、今頃です。ノリのいい人だとは思ってたんですけどね。」
「そっか、」
「これからも贔屓にしていきますよ?」
「うん、よろしく。」
二代目と、そう約束をした。
「二人ともそんな所にいないで、こっちにおいで。」
「そうよ、記念写真撮れないじゃない。」
マスターと母にが、手招きして呼んでいる。
もう少し話をして帰るという母と、母と一緒に居るという妹を置いて、
葵と二人、家路に着く。
街灯の灯る住宅街の道を歩くのは二人しかいない。
「あんな関係っていいなぁ。」
唐突に葵が言う。
「何が?」
そう聞き返すと、
「文紘さんと美智瑠さん。」
と答えた。
「お互いを見る目から信頼の絆が感じられていいなぁって。」
星のあまり見えない黒い空を見上げている。
つられて見上げると、前方にあるほぼ丸い月だけが煌々と光を放っていた。
「そうだね。」
中てられるのは少し困るけど、良い関係だと思う。
「葵もそういう関係になればいいんだよ。」
聡太くんを思い浮かべながら言うが、
「そうだね、お互い良い相手に出会えればいいね!」
彼女の中では掠った気配も無いような、返事が返ってきた。
おいおい、そろそろ気付いてもいいんじゃないか?
いや、本当に気付いていないのか? 実は他に意味を含んでいるのか?
いくら裏読みしようとしたところで、その晴れやかな笑顔からは何も分からなかった。