4/1 嵐が来た その2
「思ったより広ーい!」
「おーい、あんまり暴れるなよ」
借家は狭い。それでも大はしゃぎで駆け回る飛鳥に、溜息をつく。天井近くの壁に掛けられた時計は、もうすぐ十二時になると示していた。
「和室が二部屋と、洋室が一部屋あるから。好きなとこ使えばいいよ」
「コウは?」
「こっちの和室」
「じゃあ、わたしもここー」
布団だけが敷いてある六畳の和室。他の部屋にも、特に家具があるわけではない。つまらない内装になっている。だから広く感じるのもあるだろう。
「あほ。お前はこっちだ」
「えー」
飛鳥はキャリーケースにリュック一つと、荷物はそれほど多くないようだった。もう一つの和室に押し込む。
「うーん。それにしても、寂しいね。テレビも無いし」
「バイトして金が貯まったらかな」
「コウ、バイトしてるの?」
「明日から」
バイト先は、駅近くのカフェだ。カフェを営んでいる母親の伝手で紹介してもらった。駅は学校を挟んで反対側にあり、この家からは少々遠い。自転車を漕ぐのも、筋トレの一環だと考えればそれほど苦ではないだろう。
「ほえー、偉いねえ。わたしもバイトしようかな?」
「飛鳥は金に困ってないでしょ?」
「まあ、そうだけどさあ」
テレビを置くならここかなー、と洋室をじろじろ観察していた飛鳥は、時計を見るとダイニングキッチンへ駆けこんで座った。その手には、スプーンが二つ握られていた。いつの間に。
「お腹空いた!オムライスつくって〜!」
「お前……」
「オムライス、オムライス!」
「駄々こねるな。わかった、わかった」
冷蔵庫を開ける。中身はほとんど何も入っていない。卵とベーコン、牛乳くらいだ。
「買い出しに行かないと」
「わたしが行くよ!」
「……」
飛鳥とは幼稚園からの付き合いだ。こいつの習性はよくわかっている。鳥人族の癖に帰巣本能がまったく仕事をしておらず、極度の方向音痴だ。デパートに行ったときは、大抵すぐにはぐれてしまう。小学生くらいの頃は泣きわめいていたので割とすぐに見つけられたが、最近は静かにぶらぶらとショッピングをしているのでなおたちが悪い。
「一緒に行くよ」
「なに?心配してくれてるの?」
「うん。どうせ迷子になるでしょ?」
「ならないもん!ぴゅーんとひとっ飛びだよ」
飛ぼうが歩こうが、壊滅的な方向音痴に変わりはない。
スーパーは高校よりも近くにある。歩いて十分程度だ。隣の飛鳥は、ふんふんと鼻歌をうたいながらご機嫌な様子だ。ふと気になったことを聞いてみる。
「飛鳥はなんで星峰に?」
「んー?……あっちだとさぁ、なんて言うかなー。ちょっと、息苦しかったんだよね」
「……」
「お父さんもお母さんも、すごい人だから。同じくらい頑張らなくちゃってやってたんだけど……。ちょっと前に、ほんとにこのままでいいのかなって考える機会があって。」
ご機嫌さは鳴りを潜め、ちょっぴり俯きながら歩く飛鳥。悪いことを聞いてしまった。彼女の母親と父親は、音楽とスポーツの世界で活躍している。その子供ということで将来を期待されている彼女が、プレッシャーに苦しんでいることはなんとなく分かっていた。彼女は口に出さなかったけれど、なんてったって幼馴染だ。言わずとも伝わる事だってある。
「言われるがままで、私らしさが無くなっていく気がして……ううん、もう無くなってるんじゃないかって思って。やっぱり、このままだと……流れに逆らわずに、敷かれたレールの上を走るままだと。いつか絶対後悔するって思ったの。だから星峰に来たんだ」
「そうか……。ほら、着いたぞ」
「ねえ。お菓子買っていい?」
「……一つなら」
やったー、とスーパーの中へ駆けこむ飛鳥の背中を見つめる。いつも能天気に見える彼女も、心の内には悩みを秘めているのだなと、当たり前なことに気が付いた昼だった。
結局、スーパーでは袋二つが満杯になるほど買い物をした。食料品だけでなく、掃除用具や食器、調理器具まで買ったから、重い。これも筋トレ、か。
「グミちょうだい」
「歩き食いは行儀が悪いよ。帰ってからにしときな」
「ちぇー」
飛鳥の機嫌はグミ一つで戻ったようで、安上がりで助かる。くるくると指で髪をいじりながら、こちらに振り向いた。
「髪でも染めよっかなー」
「何色?」
「うぅん……コウは何色がいいと思う?」
「え?……うーん……」
飛鳥の髪色は、輝く金色だ。背負う羽の色と同じ。印象的で、鳥人族を象徴するような色と輝きは、中学校時代は内外を問わず人気だった。彼女の所属する吹奏楽部がコンクールで入賞したときには、雑誌にも取り上げられたほどだ。染めるとしたらどんな色が似合うのだろうか。結局、どんな色でも似合うだろうが……。
「そのまんまでもいいけどなあ」
「え」
「ん?」
ガチャガチャと家の鍵を取り出し、鍵を開ける。今回は一発で開いた。グミの効果は抜群なようで、帰ってから料理をしてオムライスを食べ終わるまで、飛鳥はずっと上機嫌だった。向かい合うようにして座り、ケチャップで描かれたネコにスプーンを入れる。飛鳥はすでに一口頬張っていた。
「美味しー!」
「そりゃよかった」
「あ、ドレッシング取ってくれる?」
「ん、ほら」
俺はサラダにドレッシングをかけない派閥に属しているのだが、飛鳥はシーザードレッシングが好物らしく、勢いに押されて二本も買った。どれだけ消費するつもりなのだろうか。かけすぎは体に良くないが、はたしてこいつは言って聞くような奴だろうか。
ドレッシングの容器を渡す。ちょんと指が触れた。鳥人族の体温は高い。
「……ありがと」
「ん」
飛鳥も俺も、ご飯を食べるときは静かに食べるタイプだ。やっぱりテレビが欲しいな。食べる速度はやはり俺の方が早かった。飛鳥はちまちまとついばむように食べていた。美味そうに食べてくれるのは嬉しい。俺にもカフェ店員の血が流れているからな。
「食器はそこに置いといて。洗っとくから」
「いいよ、お皿洗いくらい手伝わせてよ」
「そう?じゃ半分頼んだ」
水は冷たい。ぬるま湯程度になるまで調整して、洗剤の容器をぐっと押す。勢いよく洗剤が飛び出た。皿を四つ洗うには多すぎる。もったいない。
「わ、冷たい」
「ん、まだ冷たかったか。これでどう?」
「んー、いいね。洗剤、ちょっとちょうだい」
飛鳥は黄色のスポンジを手に取ると、ぐっと体を寄せて、俺が今洗っている皿を擦るようにして洗剤を拝借していった。
「こっち使えばいいのに……」
「だって、もったいないって思ったでしょ?」
「……うん。よくわかったな」
「幼馴染パワーだね」
きゅっきゅと泡にまみれた皿に水をかける。勢いが強かったのか、水流は不規則な跳ね方をして顔にかかった。
「わっぷ」
「あはは、へたっぴ!」
「む」
「ひぎゃー!?」
皿を傾けると、今度は反対側に水が飛んでいった。すなわち、飛鳥の顔面だ。そこからはもう最悪だった。足元に小さな水溜りができるほどの大乱戦となった。これ以上は不毛だと、休戦協定を結ぶのにそう時間はかからなかった。
洗い終わった食器をラックに置いて、タオルを飛鳥に渡す。風呂場までタオルを取りに行き、顔を拭く。服が張り付いて気持ち悪い。都合のいいことに、ジャージが近くに置いてあったので、それを着た。それにしても、腹が満たされたからか無性に運動したくなった。またバスケでもやりに公園でも行こうか。
「そういえば、明日リョウが遊びに来たいって言ってたんだけど、ここに呼んでいい?」
「ええ?急すぎる……そういうのはもうちょっと早く言ってくれよ」
「ごめんごめん。で、いい?」
「いいけど……片づけとかなきゃ」
あははと笑う飛鳥。こいつ、ついさっきここに来たばっかりで友達を呼ぶとは、なんと肝の座った奴だ。飛鳥と仲がいい女子が、涼だったはずだ。水泳部で、これまた才能のある魚人族。中学時には全国まで行っていたはず。水遊びしていて思い出したのではないだろうな。この家に呼ぼうものなら、すぐに俺も住んでいることがばれそうな気がするけど、飛鳥はそれでもいいのだろうか。
「片づけるものなんてないでしょ?こんなすっからかんなんだから」
「失礼な。これからなんだよ……。食後の運動にでも行こうかと思うけど、飛鳥はどうする?」
「行く!」




