4/6 取り立て屋鮫島
バイト先のカフェは、外観からして洒落ている。煉瓦造りの壁に、蔦が這う。ガラス張りの大きな窓から店内が見えて、アンティーク調の木製テーブルと、暖色の照明が、なんとも落ち着いた雰囲気を作り出している。こんな店で、俺みたいな人間がバイトをしているのは、少々場違いな気もする。
「三日月くん、三番テーブルお願い」
「はい」
店長は、母さんの知人だ。温かみのある声と、気さくな人柄で、初日から緊張をほぐしてもらった。まだ覚えることは多いが、徐々に慣れてきた。
エプロンの紐を結び直して、ポットを手に取る。三番テーブルには、初老の夫婦が座っていた。注文を取って、キッチンへ戻る。ラテアートの練習はまだ許可されていないが、いずれはやってみたいと思っている。コーヒーを淹れる工程は、思いのほか好きになっていた。豆の種類、湯の温度、蒸らしの時間。細かい積み重ねが一杯に出る。バスケに少し似ている気がした。
「いらっしゃいませ」
扉が開く音がして、顔を向ける。
窓際のカウンター越しに、見覚えのある青髪が視界に飛び込んできた。
鮫島涼だ。こちらを見つけると、にやりと口角を上げる。
「ご案内します。……なにしに来たんですか?」
「お客さんとして来たんだけど。なんか問題ある?」
「ないです。どうぞ」
窓際の席へ案内する。この店は窓際の席が人気で、外の景色を眺めながらゆっくりとした時間を過ごせる。もっとも、涼さんはゆっくりするために来たとは思えないが。
「ご注文はお決まりですか?」
「じゃあ、コーヒーを一杯」
「かしこまりました。ケーキとかもありますよ?」
「私、そういうのあんまり食べないの」
確かに、この前飛鳥が言っていた。食事管理をしているアスリートだ。甘いものは基本的に口にしないのかもしれない。
「わかりました。少々お待ちください」
コーヒーを淹れながら、チラリと窓際の席を確認する。鮫島は外を眺めていた。窓から差し込む光が、青い髪を照らしている。良い意味で目立つ人だ。美形でどこか鋭い雰囲気がある。
「お待たせしました」
カップを置く。
涼さんはカップを両手で包むようにして持って、一口飲んだ。表情はそれほど変わらないが、悪くないとでも思っているのか、もう一口飲んだ。
「美味しい」
「ありがとうございます」
「三日月くんが淹れたの?」
「ええ、まあ」
へえと呟いて、また外を眺めた。話しかけてくる素振りはない。本当に、からかうためだけに来たのだろうか。
「淹れるのはできるんですよ。飲めないだけで」
「え?コーヒーが飲めないの?」
「苦くて。でも、カフェのバイトなんで、一通りできないと困るし」
鮫島はしばらく黙って、カップと俺の顔を交互に眺めた後で言った。
「……それって、なんか変だね」
「ですよね」
店長に手招きされた。別のテーブルの呼び出しだ。
「ゆっくりしていってください」
「うん。また来るね」
「是非」
本当に来そうだから、少々困る。
バイトが終わったのは、昼過ぎだった。エプロンを畳んで、店長に挨拶をして外へ出る。空気がひんやりとしていた。
「お疲れさま」
「うわっ」
店の外で、腕を組んで壁にもたれかかっていた涼さんが、こちらを見て手を挙げた。
「待ってたんですか?」
「ちょっとだけ。一緒に帰ろうと思って」
「……どこに?」
「アスカのとこ。今日暇だから」
そう言って、鮫島は先に歩き出した。やれやれ、と後を追う。
「バイト、楽しい?」
「まあ。覚えることが多いけど」
「アスカが言ってた。三日月くんは昔からそういうの、きっちりやるタイプだって」
「飛鳥が俺の話をするんですか?」
しばらく涼さんは答えなかった。星峰高校の横を抜けて、借家近くの公園に差し掛かる頃だった。
「よくしてたよ。中学の時も。三日月くんがこうだった、ああだったって」
「……恥ずかしいな」
「可愛いと思うけど」
「やめてください」
鮫島はくすりと笑った。
電車を一本乗り継いで、最寄りの駅へ。そこから借家までは歩いて二十分ほどだ。日が少し傾いて、道に長い影が伸びている。
「アスカって、ここに来て楽しそう?」
「楽しそうにしてますよ」
「中学にいた頃は、ちょっと見ていて心配だった」
そう言い切った涼さんの横顔は、さっきのからかい笑いとは違う、穏やかな表情をしていた。それなりに飛鳥と一緒にいた自負がある俺だが、飛鳥の心情に関しては、やはり同性の親友の方がわかることもあるのだろう。
「今の方が、ずっといい顔してる」
「……まあ、あいつは元々能天気なやつですけど。それでも、ここに来てからの方が、生き生きしてる気はします」
「でしょ?」
玄関の前まで来ると、中から歌声が聞こえてきた。飛鳥だ。外にまで聞こえる音量で、鼻歌をうたっている。呑気なやつだ。
「ただいま」
「おかえりー……って、リョウ!来てたの?」
「やほ。邪魔するね」
飛鳥は一瞬俺と涼さんを見比べ、ほんのわずかに眉を寄せた。気がする。気のせいかもしれないが、次の瞬間には表情が元に戻っていたから、やはり気のせいかもしれない。
「一緒に帰ってきたの?」
「バイト先に来てたから。そのまま」
「ふうん」
ふうん、の一言に少し温度が低い。
涼さんはそんなことを意に介した様子もなく、ずかずかと上がっていった。何もない洋室を覗いて、相変わらず何もないねと言った。
「来週にはいろいろ届く予定だよ」
折りたたみのテーブルと、座布団がいくつかある和室へ通す。涼さんは座布団を一枚引っ張り出して、あぐらをかいた。俺も向かいに腰を下ろす。飛鳥はそのまますとんと畳に座った。
「お茶でも飲みます?」
「うん、お願い」
やかんに火をかけながら、ふと思い出した。そういえば、グミのストックをどこかに隠したんだった。確か、押し入れの奥だ。先ほどの飛鳥のわずかな不機嫌が気にかかる。念のため、一つ持って行っておくか。
「ちょっと待って」
隣の和室に向かい、押し入れを開ける。毛布の下に隠しておいたブドウ味のグミを一袋取り出し、ズボンのポケットに突っ込んで戻ろうとしたところで、背後から声がした。
「げ?」
「なにしてるの?……ふうん。まだ隠してるでしょ?リョウ、取り立てなさい!」
「はいよー」
廊下で待ち構えていた涼さんが、するりと横から手を伸ばした。ポケットの膨らみを正確に見抜いて、グミをするりと引き抜くと、押し入れの中をさらに物色する。ストックしておいた機嫌取り用の秘密兵器グミが……。
「ああ、そんな殺生な……」
「ふふ。お代は確かに」
グミが戻ってくる気配は一切ない。鮫島が差し出すと、飛鳥はやったーとグミを一つつまんで口に放り込んだ。にこにこしている。機嫌は直ったようだが、そのお代は高くついてしまった。
飛鳥がグミを咀嚼しながら、不意に言った。
「そういえば、コーヒー飲む?インスタントだけど、作れるよ?」
「飛鳥が?」
「うん。料理以外は大丈夫なんだって!任せてよ」
「本当かなぁ……」
インスタントのコーヒーくらいなら大丈夫だろう、と思うのは危ない。インスタントラーメンですら失敗した前例がある。冷や汗が流れるのを感じた。
しばらくして、飛鳥がマグカップを二つ持って戻ってきた。それぞれの前に置いていく。湯気は立っている。見た目は問題ない。
「どうぞ」
「ありがとう」
一口飲んだ。
「苦い」
「コーヒーってそんなもんでしょ?」
「……ま、そうだな……」
妙にざらついていた。溶け切っていないような気がする。それに濃い。濃すぎる。コーヒーが飲めない俺でも、なんとなくこれは普通じゃないとわかる気がした。だが、飛鳥が得意げな顔をしているので黙っておく。なにせもうグミはないのだから。
「リョウも、ほら」
「いや、私は……」
鮫島はマグカップを手に取って眺めた。それから、こちらを見た。俺は全力で首を振る。
「ちょっとだけ貰おうかな。三日月くんも飲めてたし」
「どうぞ」
俺の奮闘もむなしく、涼さんはマグカップに口をつけてしまった。一秒の間があった。
「にっが!?」
カップをテーブルに戻す手が、少し急いでいた。残量はほぼ減っていない。
「ええ?もう、リョウはおこちゃま舌なんだから」
飛鳥が口を尖らせる。涼さんは咳払いを一つして、慎重に言葉を選んだ。
「……アスカ、もうコーヒーを淹れるのはやめよう」
「なんで!?」
俺はカップを持って、鮫島の分をひと口ぶん飲んだ。そのままじぶんの分と合わせて飲み続ける。ざらつきはある。苦みもある。涼さんは信じられないようなものを見る目で見てきた。あんたがグミを全部持っていかなければ、こうはなっていないというのに。
「……コウ?」
「なに?」
「いや、別に」
飛鳥は何か言いかけて、やめた。その代わり、ぱたぱたと足を動かして、少し機嫌が直ったような顔をしていた。
グミをもう一粒口に放り込んで、飛鳥は美味しいと言った。コーヒーの話ではなく、グミの話だ。
しばらく三人で話していると、部屋の中がほんのりオレンジ色に染まってきた。鮫島が畳に手をついてぐっと伸びをしてから、ぽつりと言った。
「飛鳥は愛されてるね」
「急にどうしたの?」
鮫島は目を細めて笑うだけで、何も答えない。首を傾げる飛鳥を見て、また笑った。人をからかうのが本当に好きな人だ。
飛鳥は空になったマグカップを見て、ふと呟いた。
「今度、わたしもコウのバイト先のカフェ行きたい」
嫌だ。そう言いたくなったが、ぐっとこらえた。
「……まあ、お客さんとして来るのは構わないけど」
「やったー!リョウも一緒に行こうね」
「うん、行く行く」
絶対にからかわれる。今度から、不用意にバイトの日時を教えるのはやめておこう。
窓の外、夕焼けが濃くなっていた。




