4/5 溶けない思い出
「ねえコウ。今日はバイトないんでしょ?」
昨日からどうもかまってモードになっている飛鳥は、家の中をふわふわと浮遊しながら俺の髪をつまみ上げてはきゃははと笑っていた。高校生になるとは思えないほど幼稚な暇の潰し方だ。
「ないよ」
「じゃあさぁ、モール行かない?家具見に行きたいなぁ」
「モールか……まあ、行くか。バイト代まだ貰ってないから、金ないぞ」
「大丈夫!わたしのカードがあるからね!」
三鷹家は大金持ちだ。大きな池のある和風の大豪邸で、一度だけお邪魔したことがあるが、本当にすごかった。マーライオンとサモトラケのニケが向かい合う構図を初めて見たし、金箔がふんだんに使われたきんつばは普通のきんつばと味の違いが判らなかった。
「じゃあそれに甘えるか……。ちょっと聞くの怖いけど、月いくらのお小遣い貰ってるんだ?」
「このくらい」
「ひえっ」
口に出すのも憚られるほどの金額だった。かなり甘やかされているようだ。俺がバイトしなくても、テレビの一つや二つどころか壁一面テレビにすることもできそうなくらい。
これほど金銭面に余裕があるのなら、別にこんな借家に来る必要が無かったように思える。そこらのアパートや、もっとちゃんとした借家に住めただろうに。
「十時になったら行こうか」
「りょうかーい!」
飛鳥は外出用の服を選び始めた。どっちがいいかなんて聞かれると困るので、そそくさと自分の和室へと戻る。
「しゅっぱーつ!」
「まずは駅までだな。それなりに歩くし、飛んでてもいいけど」
「歩くのに疲れたら飛ぶよ。そんで、飛ぶのに疲れたら歩く。これが私の方程式なんだよね」
「言いたいだけでしょ」
借家から駅までは歩いて三十分ほど。歩きながらすることは、雑談以外にない。
雑談といっても、いつも口数が多いのは飛鳥だ。とにかくよく喋る。俺の二倍は喋る。それに任せてばかりいるが、相槌を欠かすとちゃんと咎められるので、ああ、とかそうだね、と定期的に発言するロボットになっていた。
「——でさぁ。干物みたいになったリョウが、ミズ、ミズ……って。エイリアンみたいに……」
「ああ、うん。ごめん、ちょっとタイム」
前から歩いてきた、見たことのあるドワーフ。犬と一緒に歩いている。あのピットブルだ。首に付けられたとげとげの首輪が存在を主張している。
「なにしてるんだ」
「おお、悪魔の。見ての通り、犬の散歩じゃ」
「犬に散歩させてもらっているのか?」
ドワーフの老人は、犬に連れられる形で歩いていた。ピットブルの首輪から伸びている紐は、老人の首元まで繋がっていた。老人の後方をめんどくさそうに歩く犬を見ると、どちらの散歩なのかわからない。ちょっとおしゃれなチョーカーを付けているのが、なんとも小癪である。
「なにをいう。ほれ、こんなに喜んでいるではないか」
「思いっきり噛みつかれているが……」
老人がぐいと紐を引っ張ると、ピットブルはかぷりとその禿げ頭に噛みついた。じゃれているようには見えない。
「かわいいワンちゃんですね。撫でてもいいですか?」
「うむ。優しく頼む」
ドワーフの老人は頭の上から犬を引き剥がすと、ずいとその噛み跡がばっちりとついた禿げ頭を飛鳥に向けた。目を丸くする飛鳥。
「撫でるのはあんたの頭じゃねぇ!」
「む」
「かわいいー。名前はなんていうんですか?」
ドワーフの頭をはたく。飛鳥はいつも通りのマイペースさを発揮して、ピットブルの頭をなでている。
「オウヤじゃ」
「オウヤちゃん?オウヤくん?」
「皆からはオウヤ爺と呼ばれておる」
「ん?」
話が嚙み合っていない気がする。試しにオウヤ爺と呼んでみると、爺さんが返事をした。もちろん犬は無反応で撫でられている。この爺さん、ふざけているだろ。
「あんたの名前は聞いてない!この犬の名前だよ!」
「そうじゃったか。そやつはネコじゃ」
「ね、ネコ?」
どうみてもピットブル。
「うむ。小さい頃はネコにそっくりじゃった」
「そんなわけあるか」
「ネコーおいで」
「バウ」
名前を呼ばれたネコは、嬉しそうに飛鳥の手にじゃれついている。下手をすると、この爺さん——オウヤ爺よりも懐かれているのではないかというほどだ。
「おぬし」
「なんだ」
「悪魔の相が……」
「聞き飽きた!」
「まあ待て。話は最後まで聞くのがよろし。おぬし、この所散々な目に遭っておるじゃろう」
「半分はあんたのせいだ。だけどまあ、言われてみれば……」
「ほれ。そこでおぬしだけに、この開運の花瓶を今だけ半額の……」
「買うかぁ!くそ、真面目に聞いた俺がバカだった」
帰りたくないと駄々をこねる子どものように花瓶を売りつけようとするオウヤ爺を、ピットブルのネコが引っ張って連れて行った。やっぱり、散歩されているのはあの爺さんの方だった。
「行こっか」
「ああ……すでに疲れた……」
「あはは」
電車に揺られて十駅先。そこにあるショッピングモールは、二年前にできたばかりで県内一の大きさを誇る。
「こっち!このソファ、ふかふかでいい感じじゃない?」
「大きくないか?」
「誰か遊びに来たら、このくらいがちょうどいいんじゃない?」
ソファを見繕って。
「人をダメにするクッションらしいよ」
「これ以上ダメになったらまずいんじゃないか?」
「どういう意味?」
クッションも。
「どう、眼鏡。似合ってる?」
「似合ってる。でも、視力悪くないでしょ?」
「伊達メガネ知らないかぁー。もうちょっとおしゃれについて勉強した方が良いよ?」
「飛鳥は学校の勉強をした方が良いぞ」
眼鏡は一旦購入を見送った。
ショッピングもひと段落して、ベンチで休憩をとる。その前に買ったカップのアイスクリームをスプーンで食べる。俺はラムネ味、飛鳥はキャラメル味だ。
一口。爽やかな味が広がった。
「美味しい?」
「うん」
「そっちも美味しそうだね。一口頂戴?」
「いいぞ」
できるだけ多めにスプーンですくい、飛鳥の口元へ差し出した。
「ほれ」
「え、っと……」
「なんだ、やっぱりいらない?」
「いる、いるから!うー……」
なぜか躊躇する飛鳥。ほれほれと口に近づけても、その口は一文字に結ばれたままだ。たくさんすくったから零れそうで怖い。それに、そろそろ腕が疲れてきたので、問答無用にねじ込んだ。
「はよ食え」
「むぐっ!?」
「どうだ?」
「……よく分からなかった……」
それは残念だ。まあ、アイスはすぐに溶けてしまうからな。それに冷たさで舌が麻痺して味がわかりづらくなるというのも、まああり得るだろう。
「やられっぱなしで黙っているわたしじゃないぞ……よし……」
「そっちのも一口貰っていいか?ありがとう」
「あっ」
なにやらぶつぶつと呟いていたが、そんなにゆっくり食べていたらアイスが溶けてしまう。プラスチックの小さいスプーンで、飛鳥のカップからキャラメル味のアイスを一口分強奪した。甘い。
「んんー!」
「そ、そんな怒らなくても……」
「怒ってない!」
「いや……怒ってるじゃん……」
帰りの電車に乗っても、飛鳥の機嫌は直らなかった。話しかけてもすっと顔を背けて何も話さない。電車はガラガラで、俺たちのほかにあと数人が乗っている程度だった。車窓からは夕焼けで赤く染まった空がきれいに見えた。
ガタンと電車が揺れる。
隣に座っている飛鳥と肩がぶつかった。重さが引かない。おや、と思ってみると、俺の肩に寄りかかるようにして飛鳥の金に煌く頭が傾いていた。
疲れて寝てしまったのか。本当に、小学生みたいなやつだ。しかし、起こすのは忍びない。降りる駅に着くまでは、そっとしておいてやろう。
あのショッピングモールに行ったのは初めてだったが、やはりあの大きさだけあって品ぞろえも抜群だった。ただ少々遠いし、電車代も掛かるから頻繁に通うというわけにはいかないだろう。今日のうちに沢山買うことができてよかった。お金は全て飛鳥に払ってもらったが……。はあ、情けない男だ。バイト代が入ったら、ちゃんと返さないと……。
ああ、くそ。駄目だ、この前あんな夢を見たから、どうしても考えてしまう。
ケイとの、果たせなかった約束を……。
「ん……?」
「ぐかー……ぐかー……」
数人しか乗っていない電車で、響く大きないびき。まさか飛鳥ではあるまい。耳を澄ませると、静かな寝息が隣から聞こえた。やはり飛鳥ではない。
「げ」
電車内を見渡すと、そのいびきの主がすぐに見つかった。俺たちと同じように、寝ている片方が、もう一方の肩に頭をのせていた。寄りかかられて迷惑そうにしているそれと目があった。
「……お前も大変だな」
「ばう」
犬のネコが、大いびきをかいているドワーフの頭に噛みついた。




