4/3 八雲という男 その2
竜崎先輩との1on1は、一方的な蹂躙だった。もちろん、竜崎先輩によるものだ。猫に遊ばれるカマキリのように、威嚇のポーズはすれども全く歯が立たなかった。公園での3on3は先輩たちのおかげであそこまで健闘できたのだった。俺は弱い……。
「おーい、つむ。その辺にしといてやれ」
「はぁ、はぁ、先輩……」
九時ちょうどに体育館へぞろぞろと先輩たちが入ってきた。十数名いるだろうか。これほど同じタイミングで来るものなのか。もしかしたら、どこかでミーティングをしてから来たのかもしれない。
「む」
「お前、体力お化けなんだから。昂輝が潰れちゃうだろ」
まだ物足りないとでも言わんばかりの竜崎先輩。体力には自信があったが、どうやら井の中の蛙だったようだ。けろっとした顔でボールを渡して続きを促してくる竜崎先輩が、悪魔のように見えた。
はっとひとつ、さっきの竜崎先輩と先生の会話を思い出した。この無限1on1から逃れるための打開策が見つかった。
「そういえば、先輩。先生に呼ばれてませんでしたか。確か九時から……」
「あ」
一瞬固まった竜崎先輩は、まずい、とさらさらの髪を揺らして、飛ぶように去っていった。嵐が去った。
ふうと一息ついたのもつかの間。
「おい、そこのお前」
「昂輝君、だったかな?」
「ひっ」
ひきつった笑みを浮かべた先輩たちが、じりじりと詰め寄ってきた。その数なんと十人。
「な、なんでしょう」
「わからないかね、きみぃ……」
「竜崎紬とはどういう関係なのかな?返答次第では……」
ムキムキの集団に囲まれる恐怖。竜崎先輩について詰められているようだが、心当たりがないので答えようがない。そして怖い。猿田先輩、鹿又先輩、そしてコタ先輩は後方で笑っているだけで、助けてくれそうな素振りは全くない。
「お前ら。何してる」
「あ、部長」
大人数の男たちに押しつぶされそうになっていると、体育館の入り口から太く重い声が響いた。
大男だった。190cm以上、もしかしたら2m近くあるのではないかというほどの背丈に、がっしりとした筋肉。そしてかわいらしい半月型の耳。
「小熊部長!こいつが、竜崎さんと——あいてっ!?」
「お前ら、揃いも揃って馬鹿な事してんじゃねぇ。はやくアップしろ。新入り二人はこっち来てくれ。話を聞きたい」
小熊部長は一人の頭をぽかりと叩いた後、俺ともう一人、緑髪の人の方を見た。あの人も新入生……おそらくは昨日話に出た、八雲くんだろう。
猿田先輩たちはいつの間にか、ストレッチをしていた。あの三人は、危機察知能力に優れているというか、運が良いというか。変なドワーフの老人に絡まれて、悪魔の相がああだ水難の相がこうだと言われるような俺とは大違いだ。
「よし。今日は来てくれてありがとう、二人とも。俺が部長の小熊だ。後で他の部員の前でもしてもらうつもりだが、まずはちょっとした自己紹介でもしてくれるか?名前と、身長体重、ポジションを教えてくれ」
小熊部長は、その強面と低い声とは裏腹に、優しそうな人だった。
隣に立つ八雲くんを見る。彼の後に自己紹介をするのは、上がったハードルを越えられそうにないので、俺が先にやってしまおう。
「みか——」
「八雲恭平、184cm77kg、横浜のクラブチームでポイントガードやってました」
先に言われてしまった!しかも、ちゃんとハードルは上がった。クラブチーム?確か、横浜のU16チームは直近の大会でも高順位を取っていたはずだ。そこのポイントガードをやっていた?はっきりいって、こんな高校に来るような人材ではない。クラブチームでバスケをやり続けた方が良い才能の持ち主だろう。
「八雲のことは、俺でも知っている。雑誌でも特集が組まれる程だろう。なんでうちの高校に来たんだ?クラブはどうした」
「辞めてきました」
「なに?なぜ……」
俺と同じ感想を抱いたであろう小熊部長の問いに、八雲くんは眉一つ動かさず答えた。
「竜崎さんです」
「竜崎?」
「僕は、竜崎さんに憧れて、この高校まで来ました」
その細い目には、炎が灯っていた。そして、その目が俺に向けられる。思わずたじろいでしまうほど鋭い目線だった。
「三日月。君にだけは、絶対に負けない……!」
「な、なんで……?仲良くやろう?」
「ふん」
小熊部長は苦笑すらせずに俺に顔を向けた。そうだ、俺の番か。
なぜか敵意を向けてくる八雲くんの視線を痛いほど感じながら、口を開く。
「三日月昂輝です。177cm65kg、中学では一通りのポジションをやりましたが、一番長くやったのはポイントガードです」
「ふむ。二人ともポイントガードか。ちょうどいい、うちは今ガード不足でな」
その言葉を聞いて、より一層八雲くんの視線が強まった。なぜこんなことに……。
練習はハードだった。二、三年生の練習だからだろう。強度が高く、走り込みよりは実践を意識した練習だった。最後にはゲームをした。俺と八雲くんは別チームとして戦った。俺にだけ辺りが強かったような気がした。そのうえ、実力は上級生を凌駕するほどで、いっそ痛快なほどゴールとアシストを量産していた。
「お疲れさまでした……」
「おう、お疲れ様」
竜崎先輩との1on1に惨敗して、このゲームでもぼろ負け。同じチームの先輩に挨拶して、大体育館を後にする。今日は学びの日だった、そう思うことにした。八雲くんだけでなく、先輩たちからの当たりも少々厳しかったような気もしたが、これも学び……。
昨日からカフェでのバイトも始まった。もちろんバイトは今日もある。流石にシャワーを浴びてから向かおう。……シャワーという言葉で、昨日の事件を思い出してしまうようになった。涼さんは服を着ていたし、特に何もなかったと言えば何もなかったのだが、夜になってから飛鳥の機嫌が少々悪くなってしまったのには困った。俺がバイトに行っていた間に何があったのだろう。
ご機嫌取り用のアイテムを増やしておかないと……そう考えながら、帰路に就いた。
「紅白戦、二年三年組のガード枠に一年を一人入れようと思うんですけど。誰が良いですか?」
練習が終わって、一段落。新一年生の八雲と三日月を帰らせたのち、新体制についてのミーティングのために、二年生と三年生は残されていた。
「そりゃ八雲じゃね?」
「やっぱり、八雲いいよなぁ」
「体力もあるし、テクニックもある」
「PGの穴が埋まってよかった。こりゃマジで全国狙えるかもな」
一人がホワイトボードに文字を書き込む。その周辺に人だかりができた。
「何やってんだ?」
「猿田。部長も」
外の水飲み場に行っていた二人が戻ってきた。
「紅白戦に入れる一年PGを決めてんだ。猿田は誰に票入れる?」
「ほうほう。……っかー!みんな、わかってねぇなぁ!」
きゅきゅと、猿田がホワイトボードに文字を足した。最後に横線を一本引く。
「三日月?って、お前が連れてきた奴だろ?贔屓目無しで……」
「してねーよ!」
「部長は?」
「……」
きゅっと、力強く線が引かれる音がした。小熊の巨体がホワイトボードを覆い隠していて、どこに引いたか部員たちからわからなかった。小熊が動くと、覗き込むようにしてボードを見ていた部員たちから声が上がる。
「え、部長もですか?」
「……」
「まあでも、八雲に八票入っちゃってるから、結果は変わらないけどな」
「俺も部長も、別に八雲が悪いって言ってるわけじゃないし。異論はないっすよ。ねえ、部長?」
頷く小熊。それでも、部員たちはどこか困惑を消し去ることはできていないようだった。
「ゴウ」
「ん?おー、つむ。どうした?」
「穴口先生が、英語の教材取りに来いって」
「げ」
校舎と体育館をせわしなく行き来していた竜崎が、猿田を呼びに来た。
あの人無茶な課題出してくるから苦手なんだよ、とぶつぶつ呟きながら、猿田は体育館を出ていった。
「竜崎さんは、八雲どう思います?途中ちょっと見てましたよね」
「ん……なんか、ふわふわしてた」
ふわふわしてんのはあなただと、部員たちは心の中でツッコミを入れた。竜崎は普段から何を考えているかわからない不思議っ子との評を周囲の人間から下されていた。
「どういう感想だよ。ああ、ツムもこれ投票してったら?」
「なに?」
「どっちが良かったかって」
横並びに書かれた二人の名前を見た後、紬はマーカーを手に取り、ぽんとキャップを外した。
部員たちがごくりと唾をのむ。
きゅっと一本線を引いた紬は、しれっとした顔で振り向いた。三日月の三文字の下に、線が一つ増えていた。




