4/3 八雲という男 その1
星峰高校は、小高い丘の上に立つ高校だ。それゆえ、行き来が大変である。しかし、見た目は非常に良い。西洋風の四角い校舎に囲まれるようにして中庭があり、ステンドグラスに差し込む光が校舎内を照らしているのが入試で印象に残ったことの一つだった。
星峰高校には大体育館と小体育館、そして校舎に近い第一グラウンドと、離れた場所にある第二グラウンドが存在する。男子バスケ部と女子バスケ部は大体育館を使っているようだ。第一グラウンドの横に建てられたその体育館の入り口は、硬く閉ざされていた。
「あれ、早く来すぎたかな……」
スマホを見ると、七時四十分と表示されている。猿田先輩に練習は八時からと言われていたので、それに間に合うように来たつもりだったが、二十分前に到着してしまった。
仕方ないので、ぐるっと体育館の周りをまわってみることにした。
「山の中、って感じだなぁ」
草木が生い茂っていて、とてもじゃないが歩いていけるような状態じゃなかった。蛇や虫が潜んでいそうだ。少し離れれば、いつも人が歩いているのだろう踏みならされた道があった。
時計回りに歩いていく。水飲み場、ギャラリーへ続く階段、柔剣道場などを見つけた。一周して戻ってきたところで、入り口の方から物音が聞こえることに気が付いた。
「紬先輩?」
「ん」
鍵で扉を開けようとしている紬先輩がいた。
「大体育館ってここですよね?男バスの先輩達って……」
「男バスの練習、九時から」
「え?そうなんですか?」
猿田先輩からのメッセ―ジを見返す。そこには八時からだと書かれている。がしかし、七時五十分になっても誰も来ていないことを考えると、猿田先輩が時間を間違って伝えてしまったのだろう。いい加減な先輩だ。
「先輩は、どうして体育館に?」
「自主練」
ガラガラと扉を開けた紬先輩は、片手に持っていたバッシュを履いて体育館の中へ入っていく。
「あの、俺も入っていいすか?」
「?もちろん」
梯子を使ってギャラリーに上った後、先輩は黒く大きいカーテンをひとつづつ開けていった。暗かった体育館が一気に明るくなった。
それにならって、反対側のカーテンを開けに行く。
「眩しっ」
この一瞬で暗闇に慣れた目が、光を浴びてぐっと瞳孔を縮小させたのを感じた。
ダン、ダンとボールの弾む音が体育館内に響く。いつのまにか紬先輩は下に降りていたようだ。梯子を下りる。
先輩は、ドリブルワークをしているようだった。俺もボールを一つ拝借して、シュートを一本打った。外れた。
跳ねたボールを取りに行くこうと見ると、ちょうど先輩の方へ転がっていた。ボールを片手で拾った先輩が、じっと俺を見ている。ボールを投げて寄越してくれる素振りはない。
謎の静寂が体育館を支配した。
「……」
「……」
赤い瞳が見つめてくる。なにか気に障るようなことをしてしまっただろうか?
十秒ほどの沈黙を破ってようやく、紬先輩が口を開いた。
「二年前——」
「おー、竜崎さん、やっぱりここにいましたか」
大きな声が静かな体育館に響いた。声の方を向くと、眼鏡をかけた鳥人族の男の人が体育館に入ってきていた。
竜崎、というのは……先輩の事だろう。そういえば、今の今まで苗字を知らなかった。紬先輩改め竜崎先輩は、いつも通りの無表情でボールを抱え、男の人の方へ近づいた。
「先生」
「ど、どうしたんですそんなしかめっ面で……」
そのまま、先輩はただ無言でじーっとその先生の顔を見つめ続けていた。
圧をかけられ続けていた先生は、よくわからないけどまあまあと宥めるように、両の手のひらを広げて壁をつくっていた。それから、その後ろにいる俺に目を向けると、眼鏡を正して話しかけてきた。
「ん?君は……?うーん、思い出せない。ゴメン、何年何組の子だい?」
「自分は今年入学なので、わからなくて当然かと」
「ああ、新入生の子!こんな早くから練習ですか?偉いですねぇ。お名前は?」
三日月昂輝です、と自己紹介を返すと、彼は笑顔を浮かべて手を差し出してきた。握手をする。細い腕だ。
それから竜崎先輩は、その先生による一方的な世間話を無表情で受け流していた。途中から二つのボールで器用にドリブルをし始めたので、きっとつまらなくなったのだろう。
「とにかく、竜崎さん。ルーカスさんがいらっしゃるようですから、九時になる前には数研に来てくださいね。ついでに、数学の課題もお渡ししますから。前回のテストでは、竜崎さんだけが赤点を……」
「わかりました」
「はい。では後ほど。三日月さんも、これからよろしくお願いしますね」
食い気味に答えた竜崎先輩。彼女は勉強が少々苦手なようだ。意外かどうかは、言わないでおこう。
先生はこちらににこやかな笑みを向けた後、体育館を後にした。その背を見送った後、先輩の首がぐりんと周り、こちらに向けられた。
「数学だけ」
「な、なにも言ってません」
「1on1やろう」
「急に」
先輩は両手に持っていたボールのうち一つを壁に寄せて置くと、もう一つのボールを俺の方に投げた。勢いよく飛んできたそれをキャッチする。
「1on1なら、負けない」
「前回負けたのは俺の方ですけど」
「じゃんけんぽん」
「負けた……」
竜崎先輩は強引にじゃんけんを開始。慌ててグーしか出せなかった俺に、パーを出して勝利した。両手の指を広げてボールを要求する。ボールを渡した瞬間から、1on1が始まった。
点を取って、取られて、取られて、取られて。また点をとって、取られて取られて……。はい、簡単に言うとぼこられ続けていました。ダンクはもう、止めようがなかった。
三十分以上、もしかしたら、一時間近くやり続けていたかもしれない。
体育館にはボールの弾む音と、靴が床を叩く音だけが響いていた。
その二人を、体育館の入り口から覗くようにして見ていた集団がいた。
「あいつら、楽しそうにバスケしてんなー。これが青春ってやつ?」
「楽しそうというより、なんか戦場みたいじゃないか?二人とも無言だし、つむにいたってはほら、めちゃめちゃ強いぶつかり方してないか?」
「ほんとだ。昂輝の奴、よく耐えてるな。あいつ意外とフィジカルあるんだな……あれ。そういや、昨日もつむに当たり負けしてなかったような……」
「確かに?」
男子バスケ部だ。猿田、鹿又、馬原だけでなく、練習に参加する彼らのチームメイトが集まっていた。その大きな体を隠すように縮こませて、顔だけ出してその1on1を覗いていた。
「おい、猿田!あいつ誰だ!竜崎さんとあんな仲良くバスケして……!」
「いやだから、仲良くってよりはむしろボコボコにされて……」
「ああ、あいつはな、つむのお気に入りだよ」
「お気に入りぃ!?」
「ゴウ、お前火に油を注ぐような真似はやめろ!」
マドンナ的存在の竜崎の隣に現れた、謎の男を前に沸き立つ男子バスケ部員。鹿又の消火活動もむなしく、ここでも戦乱の様相を醸していたとき。
ざっと砂を蹴るような音がして、男たちは一斉に振り向く。
「おはようございます」
「おお、八雲!」
八雲恭平。ダッフルバックを肩にかけた緑髪の蜘蛛人族の男が、星峰高校にやってきた。




