4/2 Splash!その7 飛鳥視点
ピンポーン。
インターホンが鳴った。来た、と和室を飛び出すようにして玄関へ向かう。今か今かと待ちわびていたのは内緒。ガラガラと勢いよく扉を開けると、さっぱりした青髪の女の子が溌剌な笑顔を浮かべて立っていた。
「リョウ!」
「アスカ!」
きゃーと二人で抱き合う。リョウからは海の匂いがした。
「さ、入って入って!」
「お邪魔しまーす」
まだこの家に来て一日しか経っていないけれど、もはや我が家として案内できるほどにこの家は居心地が良かった。
リョウを和室へ案内する。コウの部屋とを仕切るふすまを開けて、大部屋仕様に。布団は押し入れへ突っ込んでおいた。
「三日月くんは?」
「お出かけ中。お昼までには戻ってくるって言ってたよ」
「ふーん」
リョウはニマニマといやらしい笑みを浮かべていた。
「なに?」
「なんでも?」
絶対なんでもなくない表情で、ふーん、ふーんと繰り返すリョウの肩を掴んで揺さぶった。もう、なんなの。
「それにしても、なにもないね」
キャリーケースと、日用品と洋服しかない部屋を見渡して、リョウが言った。その通り、なにもない。荷物が届く日をスマホで確認すると、四月四日となっていた。明後日だ。それまでは、この何もない部屋で過ごすことになる。布団だけは、コウのママが用意してくれた。
「うん……今度家具見に行こうかと思ってるけど、和室だからねぇ。あ、あっちの洋室に置こうかな」
「へー、意外と広いんだ」
二人で家の中を回る。洋室にも何もない。ちょっとした折りたたみテーブルがあるだけだ。ソファとか、テレビとか、欲しいものはいろいろある。
ファンシーな内装にしたら、コウは嫌がるかな。きっと、文句を言いながらもなんだかんだ気に入るだろう。彼は、そういう性格だから。
「家賃いくら?」
「三万だって。二人で割るから、半分」
二人で分割して払うから、一人一万五千円。この大きさの借家としては考えられない破格の安さ。ちょっとした庭もあるし、家の外観も古風でそれが良い。
「三万!?事故物件かな?」
「怖いこと言わないでよ!」
きゃっきゃとはしゃぎながら、おしゃべりしたり音楽を流してカラオケしたり。お隣さんとも離れているから、さほど騒音を気にしなくてもいいのだ。
楽しい時間は流れるのがはやい。お腹が空いてきたことで、もう十一時を過ぎていることに気が付いた。
「はー、笑い疲れた!けほっ、けほっ」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと乾燥しちゃったみたい」
喉を押さえるリョウ。魚人族の特性を色濃く受け継いでいるリョウは、ときどきこうやって水分不足でカピカピになる。
「シャワー借りて良い?」
「いいよー。ごゆっくりー」
「そんな、体洗うわけでもないから時間かからないよ。水分補給だけ」
彼女はプールにいるときが一番生き生きとしている。特に泳いでいるときは、表情が変わる。捕食者の目とでもいえばいいのか、真剣を通り越してどこを見ているかわからないような、無我の境地に至っているくらい光沢のない目をしている。小学生の頃は、ほんのちょっとだけ怖いと思ったことが無くはなかったけど、今はもうかっこいいとしか思えなくなった。
「ただいま」
「おかえりー。あれ、なんか湿ってない?」
「色々あって……ちょっとシャワー浴びてくるわ」
リュックを背負って帰ってきたコウは、どこかうわの空だった。バスケしてくると言っていたし、疲れているのだろうか。全身びしょびしょで、髪の先まで湿っぽい。リョウみたいにシャワーでも浴びたのだろうか……あ。
「コウ。お風呂場には今リョウが……」
「きゃー!」
バチン!!
「あちゃー、間に合わなかった……」
音だけで何が起こったか理解できてしまった。お風呂場の隣の洗面台へ行くと、正座させられたコウが縮こまっていた。
「教えてよ……」
「ごめんごめん、あははは!」
左の頬に赤い手形を付けたコウが、恨めし気な視線を向けてきた。その横には、顔をちょっと赤くしたリョウが覗き魔を睨みつけている。私のせいとはいえ、この状況はとても愉快だった。
「でも、服着てたでしょ?」
「そうだけど……反射で叩いちゃった。ごめんね、三日月くん」
「いえ……全面的に俺が悪いんで……すいませんでした」
魚人族は全身で水分を吸収したがるから、その需要に合わせて、濡れても次の瞬間には乾いているような超速乾の服がある。リョウが今着ている服も、きっとそうだろう。湿った服を着たコウが羨ましそうに見ていた。
「飲み物飲んだ?冷蔵庫に入れといたけど」
「うん。貰ったよ。ありがとうね」
「おー。今度こそシャワー浴びてくるから。その後昼食作るわ」
コウが着替えをもって浴室へ行った。見送って、それから振り向くとリョウがニマニマ……今日はずっとこの顔だ。
「なんか、いいね」
「なにが」
「熟練の、って感じ?」
ドライヤーの音をバックミュージックに、キャットファイトを繰り広げながら待つ。戻ってきたコウは黒いパーカーに着替えていた。腕まくりをしてキッチンへ。それについていく。
「涼さんは食べられないものあります?」
「ないよ。なんでも食べないと強くなれないからね」
「すごい。えらい。飛鳥とは大違いだ」
「なに?別に私は強くならなくてもいいもん」
ふっと笑いながら、コウは冷蔵庫から食材を取り出した。人参、レタス、とうもろこし、あとシーフードミックス。パックに冷蔵庫の横に置かれた段ボールから、ジャガイモと玉ねぎ。机の上にすでに置かれていた、カレールーを見れば、何を作るかなんて一目瞭然だ。
「シーフードカレー?」
「そう。よくわかったね?」
「馬鹿にしてる?」
冗談だよと野菜の皮むきを始めたコウ。今日は機嫌が良いのか悪いのか、珍しくちょっかいを出してくる日のようだ。
「涼さんって、たしか海鮮好きだったよね?」
「そうだけど、言ったことあったっけ?」
「飛鳥がリョウさんの話ばっかりするから」
恥ずかしいからやめてほしい。コウが玉ねぎを刻み始めたので避難する。料理はコウに任せておけば大丈夫……
「私も手伝うよ」
「わ、わたしも……」
やっぱり二人の元に行こうとすると、リョウに押し戻されて椅子に座らせられた。テーブルにどんと、レタス一玉とボウルが置かれた。
「飛鳥はそこに座って、レタスをちぎってくれ」
「うん。そうね。カレーには触らないで」
二人とも酷い。
ぶつぶつと文句を言いながらレタスに八つ当たりする。コンロの前では、コウとリョウが談笑しながら具材を鍋へ放り込んでいた。この二人は、中学の時も委員会の仕事で話したりする程度で、友達の友達という距離感だったはずだけど。
ぶち、ぶち。
「それ以上細かくしてどうするんだ?」
「え?あっ」
「カレーできたよ。盛り付けてね」
大きめの鍋にいっぱいのカレーが出来上がっていた。スパイスのいい匂い。いつもよりちょっと多めにお米とカレーを盛り付けた。コウは冷蔵庫から牛乳と野菜ジュースのパック、ドレッシングを取り出した。私の好きなシーザードレッシングだ。
「はいコップ。あとスプーンとフォークか……」
「コウは何飲む?」
自分のコップに野菜ジュースを注いだあと、棚の中を探って大きめのスプーンとフォークを探しているコウに声を掛ける。リョウは既に牛乳でコップを満たしていた。持ってきたカトラリーを並べたコウは、リュックの中からペットボトルを取り出した。
「俺はこれがあるから、いいよ」
「炭酸水、しかも二本?そんな好きだったっけ?」
「……」
いただきますと手を合わせて、カレーを一口。ちょっと辛口だけど、美味しい。溶け込んだ玉ねぎの甘さと、えびといかの食感がべりーぐっど。シーザーサラダもいつも通りの美味しさだ。ちょっとレタスが小さいけど。
野菜ジュースを飲んでいると、ペットボトルを前になにか悩んでいるような顔をしたコウが目に入った。
「わたしただの炭酸水って飲んだことないんだよね。ちょっと貰っていい?」
「……ああ、いいよ」
……ごくり。まあ、初めてだから、どんな感じかわからないし。ちょびっと飲んで試すだけだから。
だから、こっちのすでに空いている方を……。
「……」
リョウと目が合った。
「アスカ……」
「な、なに」
「意地汚いよ……まあ、三日月くんが良いなら良いんだろうけどさ」
別にそんな、他意はないし……ちらりとコウのほうを見ると、彼は苦笑していた。
「まあ、いいんじゃないか?」
「なんであんたが他人行儀なのよ……」




