第1部 第4話 調香依頼 1
抱えたヒヤシンスの香りに包まれながら、僕はトラムに揺られて東三番街の屋敷へ戻った。
そして、ルミエ・フルールの夫妻から聞いた出来事を語りつつ、その花を師匠に手渡した
「…そうか…そんな貴重なヒヤシンスを…」
「師匠?」
なぜだろう?師匠の表情はどこか悲しげに見えた。
「…ところで、こんな香りのよいヒヤシンスなので、ちょっともったいないけど、さっそく香りを抽出しますか?」
「ええ〜? もったいないわよ」
アイナは、ふくれた顔で抗議する。
「ははは、安心しなさい。残念ながらヒヤシンスは本来、香料を抽出できない花なんだよ」
「え?このヒヤシンスでもダメなんですか?」
僕は驚いて師匠を見つめた。
「ヒヤシンスから香りを取り出すには、通常“アブソリュート”という方法を使う。だが、花を 100kg 集めても、ほんのわずか、抽出できるかどうかといった量しか得られないんだ。このヒヤシンスがいくら特別でも、そう簡単にはいかないだろうね」
「ええ〜!? 100kg 集めても、ごくわずかなんですか?」
「ああ。だから莫大なコストがかかる。そのため、市販の香料では、ヒヤシンスは人工的に似せて調合された香りが使われているんだ」
「こんなに豊かな香りを漂わせているのに、香料が採れないなんて…」
この特別なヒヤシンスでもダメなのかと、僕は少し落胆した。
ヒヤシンスの芳醇な香りが、工房の空気にふわりと満ちている。
カラン♪カラン♪
調香室の隣にあるショップの部屋の扉が開く音がした。
お客さんだろうか……?
「こんにちは」
「はい、今行きます」
僕は師匠と一緒に店のほうへと向かった。
すると、四十代くらいの黒いスーツを纏った気品ある女性のお客さんがいた。
「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」
師匠は、女性のお客さんに声をかける。
「なんだかとても素敵な香りがするわね。これはお花の香りかしら?」
「ええ、ちょうど今、私の弟子が手に入れて来てくれたんです」
師匠は、穏やかな笑みを浮かべながら女性に対応していた。
そして、師匠は僕に目配せした。




