第1部 第3話 ヒヤシンス
僕は、師匠のお使いで、南五番街の花屋に向かう。
この城郭都市内は、路面電車が走っている。
各番街に行くには、このトラムが一番便利だ。
揺れる車窓を眺めながらしばらくすると、トラムは南五番街に到着する。僕は石畳の路地へと足を踏み入れた。
ベデル横丁の両脇には個性的な木の看板が吊るされ、古びたレンガ造りの建物が軒を連ねている。
その一角にあるのが、クロウ・ラボラトリーズと懇意にしている花屋〈ルミエ・フルール〉だ。
小さな木枠の扉とガラス窓を持つ可愛らしい店構えで、店先には季節の花々が所狭しと並べられていた
白く可憐なスノードロップが並び、紫や赤に彩られたアネモネ、そしてまだ冷たい風に小さく揺れるクロッカスやスイセン。色とりどりのラナンキュラスも咲き誇り、通りを行き交う人々が思わず足を止めて見入るほど、冬の横丁にひと足早い春の彩りを添えていた。
「こんにちは」
扉を開けると、花の香りに包まれながら、柔らかな声が迎えてくれる。
「ジョン、いらっしゃい。今日はちょっとだけ珍しい花が手に入ったのよ」
振り向いたのは、店主の奥さん、リリーネさんだ。
三十歳前後の、穏やかでどこか気品を漂わせる美人だ。
「師匠から話は聞きました。でも、ちょっとだけ珍しい…って?」
すると、奥の方から僕の疑問に答えるようにミシェルさんが現れた。
ミシェルさんは、師匠と同年代くらいの、眼鏡をかけた穏やかな男性で、リリーネさんの旦那さんだ。
「これだよ」
ミシェルさんは、鮮やかなブルーのヒヤシンスを持っていた。
「これは…ヒヤシンス…? 」
僕は思わず息をのんだ。
ヒヤシンスは、春を告げる花のひとつだ。ぎゅっと詰まった花弁が房のように連なり、芳醇な香りを漂わせる。
その甘く華やかな香りは古代から人々に愛されていた。
ただ、ここまで鮮やかなブルーは珍しい。
しかも香りが一層濃厚で、鼻先をくすぐるように瑞々しい。
「ここまで鮮やかなブルーで、香りが濃厚なヒヤシンスは珍しいですね!」
「だろう? これは王立植物研究所から特別に送ってくれた花なんだよ」
「え?あの植物研究所から?」
王立植物研究所は、アリアンブル王国の南、城郭都市アウラから飛行機で約4時間半かかる遠い場所にある。王立…つまり王家と政府が管轄する特別な植物研究センターだ。
「王立植物研究所は、ちょっとしたツテがあってね。それでこのヒヤシンスを特別に送ってくれたんだよ」
「そうだんたんですか、そんな珍しいヒヤシンスを…でも、いいんですか?うちがもらっても」
ミシェルさんは、笑いながら言う
「あははは!もちろんタダじゃないけどね!」
リリーネさんは、ちょっと困った顔をしながら言う
「ごめんなさいね。実はここ最近いつもの仕入先から、なかなか花を入手できなくて、ちょっと困ってるの」「
「え?花が?」
ミシェルさんも、少し険難しい表情を浮かべて言う
「実はここ最近、ローデリア社が色々と花の流通網を漁ってるって噂でね…昨日あっただろう?ローデリア社の自社製造工場の火災…」
「ああ、はい。それについて、師匠も険しい顔をしていました」
リリーネさんも険しい表情で言う
「なんでも、ローデリア社はアリアンブルの幻の古代の花を探しているという噂よ。まあ、幻の古代の花なんて本当にあるかどうかなんて眉唾物だけど」
「アリアンブルの…幻の古代の花? ローデリア社の自社工場火災と、なにか関係があるんですかね?」
ミシェルさんが、ため息をつく。
「自社工場火災との因果関係は謎だけど、花屋としては迷惑な話なんだよな。工場勤務の人たちも、しばらく仕事が無いと嘆いていたよ。まあ、昔のツテがあって、そのヒヤシンスを入手出来たわけだが…そのヒヤシンスを一番欲してるのはクロウさんだろうと思ってね。もちろん、いらないというならほかに売るまでだが…」
「ええ〜!?」
「もう!そんな意地悪なこと言わないの!」
リリーネさんが、ミシェルさんに向かって怒る。
「ははは、冗談だよ。もちろんお代はいただくが」
「もちろん、買います!」
「まいどあり〜」
こうして僕は、ヒヤシンスを抱えて東三番街の屋敷へと戻った。




