時間は有限なので、一週間で対処します。 ~研究最優先令嬢は噂話に興味がない~
定期試験の結果が廊下に貼り出される日。
私は教室の窓から風景を眺めていた。
「ジャンヌは結果を見に行かないの?」
風に揺れる私の黒髪を梳かしながら幼馴染のアレックスが声をかける。
「わかりきってるから」
「さすがアスティア伯爵家の宝石、ジャンヌ様だね」
揶揄うように笑うアレックスに私もやり返す。
「次期ユーベローズ侯爵家当主のアレックス様は見に行かないの?」
お互いのやり取りがおかしくて笑い合う。
そこへ第三者が入ってきた。
「流石ですね、ジャンヌ様は今回も一位でしたよ」
「え?ええ。ありがとう」
「今日のランチ、良かったら一緒にどうですか?」
戸惑っている私に男は一歩も引かない。
「ドニール子爵子息、ジャンヌと僕はこれから研究棟に行くからまた今度にしてくれる?」
アレックスの助け舟で、男から離れることができ安堵した。
教室を出る私を男はずっと見ていた。
「アレックスの知り合い?」
もし友達だったなら私の態度は褒められた物ではない。
心配になる私にアレックスは微笑んだ。
「今年からクラスメイトになったドニール子爵子息だよ。
知らなかったの?」
「……興味ないから」
私は、興味のない人の名前を覚えられない。
「ジャンヌらしいね」
アレックスは笑いながら、私たちに割り当てられている研究室の扉を開けてくれた。
私たちが通う学園では、三人一組で行うチーム研究が恒例行事だ。
室内に入るとメンバーの一人であるシリルが既に作業を始めていた。
「今日も早いね、シリル様」
「やぁ。今日も二人は一緒なんだねジャンヌにアレックス」
マーゴルド公爵家のシリル様。
アレックスの友達でもある彼は、私が名前と顔が一致している数少ない人の一人だ。
「ふふふ。腐れ縁ってやつかな?
ずっとこのままのような気がするね」
私がアレックスに笑いかけるとアレックスも同意し笑った。
「そうだと嬉しいな」
そんな私たちを見てシリルはため息を吐く。
「そんなに仲がいいなら婚約しなよ。
二人とも婚約者いないだろう?」
「ダメだよ。アレックスみたいな人気者に私は勿体無い。
それに在学中は学業に専念するって決めてるの」
私がシリルの考えを否定する。
「貴族令嬢としては異質だね」
シリルは理解できないとばかりに首を振った。
対してアレックスは私の頭を撫で微笑む。
「ジャンヌはやりたいことに集中すればいいんだよ」
そう言いながら私越しにシリルを見ていた。
「……そうだな。悪い、余計なお世話だった」
シリルはそう言うと研究器具を取り出し、準備を進める。
私とアレックスも作業に入った。
作業に集中する中、またシリルが声を上げる。
「そういえばジャンヌ、男爵家のエルザ嬢は知ってるか?」
私は手を止めずに答える。
「知らない。その方がどうしたの?」
「ジャンヌに婚約者を取られたと騒ぎ立ててるらしいんだ」
エルザという女性に心当たりもなければ、その婚約者など名前すら知らない。
「そうなの。事実じゃないから無視して構わないよ」
すこぶる興味がない。
それよりも研究対象である薬草を掛け合わせた新種ハーブの薬効がどの程度高いのかが気になる。
鉢に植えている新種ハーブちゃん。
成長した葉に見入っていると、アレックスの声が私を現実に引き戻した。
「ジャンヌ、由々しき事態かもしれないよ?」
「どう言うこと?」
顔を上げると、アレックスもシリルも神妙な顔をしていた。
「悪評に繋がるとお父上の耳に届く可能性があるからね」
「そうなれば娘の婚約話を進めるだろうな」
アレックスの話にシリルが同意する。
真剣な二人に鼻で笑ってしまった。
「大丈夫だよ。だって事実無根だもん」
研究の邪魔になるくだらない噂に構っている暇はなかった。
放課後、用事が終わり私は一人廊下を歩いていた。
陽が翳り、室内は西陽に照らされオレンジ色に染まっている。
帰る前にハーブちゃんの様子だけ見よう。
そんな思いつきで研究棟へ向かっている時、背後から声をかけられた。
「ジャンヌ様、今お帰りですか?」
振り向くとドニール子爵子息が立っていた。
「ええ、確かドニール子爵子息様ですよね?」
「はい。私のことは気軽にランドとお呼びください」
ドニール子爵子息改めランドは親しみやすい笑顔を讃え私に向かって歩いてきた。
「わかりました。ところでランド様はこちらで何を?」
校舎と研究棟を繋ぐ渡り廊下。
私とランド以外人はいない。
「…ジャンヌ様がお一人になるのを待っていました」
「なにか、ご用ですか?」
「絹のような黒髪に海のような瞳」
ランドが何かを呟きながら私へ歩いてくる。
会話ができないランドに恐怖し、私はジリジリと後退した。
「ずっとジャンヌ様をお慕いしておりました」
抵抗虚しくランドは私の手を握る。
気持ち悪い。
その強引さとランドの表情に限界を迎えた私は、ランドの手を振り払い走ってその場を離れた。
しかし
後ろを振り返るとランドも同様に走ってきた。
周囲に人影はない。
ランドの足音は離れることなく徐々に私に近づいてくる。
「や、やめてください!」
「どうしてですか!?あの噂を放置されるということは、私と同じ想いなのですよね?」
ドレスとは違い動きやすい制服を着ている。
とはいえ、私は運動ができない。
全力で走っている私を追いかけるランドは楽しそうでゾッとする。
「私の婚約は解消します!
だから安心して私のところへ来ていいんですよ!!」
恐怖と全力疾走に私の体力が限界を迎えていた。
必死で逃げるが、どこへ逃げれば安全なのかわからない。
角を曲がった時。
空き教室から伸びた手が私を引き込んだ。
「ジャンヌ?どこですか?」
ランドの声に体が震える。
そんな私の体を力強く抱きしめる腕。
慣れ親しんだ匂いに安堵感が広がった。
ランドが離れていったようで、足音はもう聞こえない。
「……あ、ありがとう。アレックス」
アレックスから体を離そうと腕に力を入れるが、アレックスは尚も私を力強く抱きしめた。
「アレックス?」
「……無事で良かった」
アレックスの絞り出したような声に、膝が震え、気づけば視界が滲んでいた。
その日はアレックスに家まで送ってもらった。
休むか迷ったがハーブちゃんが気になり学園の準備をする私を父が呼び出した。
「お父様、おはようございます」
執務室に入ると、疲れた表情の父。
そして
「おはよう、ジャンヌ」
「アレックス?どうしたの?」
アレックスが笑顔で手を振っている。
「ジャンヌの婚約を決めた」
重々しい雰囲気の父は眉間を手で押さえている。
「前から決まっていたことだ、時期が早まったと思いなさい」
急な婚約はランドの件がきっかけだろう。
婚約者を据えれば抑止力になる。
でも、ハーブちゃんとの時間がなくなる。
「婚約…お相手の方は?」
そんな複雑な心境の私に笑顔で手をあげるアレックス。
「僕とだよ」
「ん?」
驚きで父を見るが、父は頷くだけで何も話さない。
「僕だったらずっと一緒にいるから婚約者との時間を無理に作る必要はないよ」
「確かに!」
「研究だって一緒にしてるし、結婚した後も続けていいよ」
「優良すぎる!!」
アレックスの話に食い付く私を見た父は頭を押さえ俯いた。
「二人とも時間だろう、早く学園へ行きなさい」
登園してからもアレックスは私の傍を離れなかった。
ランドの視線を感じるが、アレックスが守ってくれた。
婚約者が決められ、変わると思われた日常だったが。
「驚くほど何も変わらない」
私は愕然と呟く。
そんな私にシリルは呆れたように笑った。
「それで、噂話はどうするの?」
シリルから話題を振られ、先日のことを思い出す。
「一週間以内に決着をつける!」
私の決意にアレックスとシリルは目を見合わせ笑っていた。
私の大切なハーブちゃんとの時間を邪魔した奴らに鉄槌を下すべく、聞き込みをし噂話を徹底的に調査した。
結果、驚くべき内容が判明する。
決着をつけるべく、早速アレックスを引き連れ学園の庭園へ向かう。
目標はとある下位貴族の令嬢。
午後にアフタヌーンティーを楽しんでいるらしい。
庭園を歩き、目当ての集団を探し出した。
「突然、失礼致します。
私、アスティア伯爵家のジャンヌと申します」
笑顔で集団に乗り込むと令嬢たちは怒気を含んだ表情で私を見ていた。
一人を除いて。
「ランド様の件で、こちらにいらっしゃるエルザ様とお話しをしたいのですが…」
そう言うと、終始アレックスを見ていた令嬢が私に視線を向けた。
「私がエルザです。
…ランド様の件というと、ジャンヌ様と恋仲だと言うお話しですか?」
エルザはそう言うと大きな瞳に涙を溜め、上目遣いでこちらを見てきた。
守りたくなる女性像とはこう言うことなのかと感心する。
「そのお話しですが…。
事実無根でして、私も迷惑しているんです」
私は顔に手をあて、困った表情をエルザに向ける。
そう言うとエルザは手で顔を覆い泣き出した。
「ランド様から、ジャンヌ様と恋仲になったから婚約を解消したいと言われて…私!」
エルザの態度に同情した令嬢たちは、エルザを囲み支え私を睨みつける。
「人の婚約者に手を出すなんて下品ですわ」
「エルザ様が可哀想よ」
令嬢たちは口々にエルザを庇い、私を非難する。
そんな令嬢たちに頭が痛くなり、早急に話を終わらそうと結論から言うことにした。
「その噂話、エルザ様が故意にばら撒いてますよね?」
私の発言に令嬢たちは怪訝な顔をする。
「噂話を聞いた方複数人とお話ししたんです。
“どなたから聞きましたか?”って。
辿っていくと全てエルザ様に行き着くんですよ。
皆様もそうですか?」
令嬢たちに聞くと、皆目線を彷徨わせ頷く。
「エルザ様はどうしてこのようなことを?
現場を見たのですか?ランド様から聞いたのですか?」
「そ、そうよ!ランド様とジャンヌ様が抱き合うところを見たし、ランド様も私にそう言ったもの!!」
「なるほど…。
見たのはいつ頃ですか?」
「確か昼休みだったわ!」
エルザの発言にアレックスが否定する。
「ジャンヌは昼休みに僕かシリルの婚約者と行動を共にしている。あの男と二人きりになる時間はないよ」
「で、では夕方だったかも…」
エルザの態度にアレックスは呆れて私を見る。
私もため息しか出ない。
令嬢たちはエルザの態度に不安を感じ始めていた。
「噂話だと私とランド様は登下校を共にし、学園内でも仲良く過ごしているんだとか?
皆様はそんな私とランド様を見かけましたか?」
私の指摘に令嬢たちは首を振りエルザを見る。
エルザの涙は止まり、汗が額から流れていた。
「ではランド様が仰っていた内容とは?」
「そ、それは……」
エルザに畳み掛けるように質問を投げる。
その返答に言葉を詰まらせるエルザ。
これで解決したと安心したその時。
「ジャンヌ様!やっと見つけました!!」
ランドが私を探してやってきた。
強張る私を安心させるように握るアレックスの手。
深呼吸しランドへ視線を向けた。
「…何かご用ですか?」
「私たちのこれからについてお話ししたくて!
ジャンヌが私のことを好いているからとエルザに…」
歩きながら私にそう告げるランド。
垣根に隠れてたエルザに気付いた。
「エルザ?」
ランドに声をかけられ顔面蒼白のエルザ。
そんなエルザを置き去りにランドは話を続けた。
「ちょうどいい!エルザとの婚約をこの場で破棄します。
ジャンヌ様、どうか私の手を取ってください」
そう言うと片膝を突き私に手を差し出した。
流石にエルザが気の毒だ。
ランドに嫌悪感を抱く。
「私はランド様をお慕いもしていなければ、噂も広めてはおりません」
「…は?」
ランドは意味がわからないと言った表情で私を見る。
「噂話はエルザ様が広められたもの…。
先ほど、ランド様も仰ってましたが、私とランド様を縁組させるための策だったようですね」
エルザは地面に突っ伏し震えている。
令嬢たちもことの真相を悟り、沈黙した。
「ジャンヌ様!それでも私は貴女をお慕いしています!
婚約者がいないのなら私を候補に入れてください」
尚も縋るランドに、アレックスと繋いだ手を掲げて見せる。
「私はアレックスと婚約したので、候補の方も必要ありません」
繋いだ手を凝視したランドとエルザ。
「ちょっと待って、待ってよ…。
私はアレックス様をお慕いしてるから行動したの!」
衝撃を受けたエルザが話す目的に驚いたが、アレックスが前に出る。
「前にも告白してくれたけど、僕にはジャンヌがいるから。
ごめんね?」
「………!」
エルザは赤面し泣き出した。
令嬢たちはエルザにハンカチを渡し、支えながらその場を去っていく。
一人一人私に謝罪をしていく姿を見るに、悪い子たちではないのだろう。
ランドもいつのまにか姿を消していた。
隣を見るとアレックスが心配そうに私を見ている。
「とりあえず、ハーブちゃんに会いたい」
私の呟きにアレックスは吹き出した。
教師から聞いた話だが。
エルザは故意に噂を広め、悪質性が高いと判断され停学に。
後日、男爵家より退学の届出が出されたそうだ。
ランドは私への付き纏いに加え、私と同じ最優秀クラスになるべく長期間カンニングをしていた事実が発覚し退学処分となった。
やっと、いつもの平和な研究生活が戻ってきた。
侯爵邸、アレックスの自室。
学園から帰ってきたアレックスは机の上に置いてある手紙の束を確認する。
「そんな所に立ってないで入ってきたら?」
顔を上げず無表情で手紙の確認をするアレックスの言葉を受け、シリルが室内に入ってきた。
ふとアレックスの手が止まる。
一通の手紙。
封を切り内容を確認する。
「それってエルザって男爵令嬢の手紙?」
いつのまにかアレックスの後ろに回り込んで内容を見るシリル。
「いくらなんでも無作法じゃない?」
シリルの行動に非難がましい表情で睨むアレックス。
「怖っ!ジャンヌが居ないと別人だな。
それで、なんて書いてあったんだ?」
「僕と結婚できるって信じてるみたい」
「それは…なんとも」
アレックスの言葉にシリルは笑いを堪える。
「愚かだったけどいい働きをしてくれたよ」
手紙を無慈悲にゴミ箱へ捨てるアレックス。
「目障りな子爵子息を処分できたし、ジャンヌと婚約できたからね」
「アレックスの本性を知ったらジャンヌはどう思うかな?」
「知っても知らなくても変わらないよ」
ジャンヌを一番大切に想ってるのは僕だからね――




