マルチプル・ビームランチャー(Dirty Love Psychopathy Remix)
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俺はシュガーと呼ばれている。どうしてそんな固有名詞なのかというと、賢明なニンゲンならそのへん、あっという間に見当がつくことだろう。そう、オレのファミリーネームがありきたりでぼんくらな――そういうことだ。なんとも安直かつ安易なあだ名である。いっぽうで、ボクシングのかつての名選手、シュガー・レイ・レナードは尊敬に値すると思う。このへん、自分のことながら突拍子もないなと考える。意味不明とは俺――シュガーのことだ。
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シュガーはえっらい美少年だからあまねくに甘ったるさを説き、複数の女性と愛を語り合わなければならない。
舌足らずな女が好きだ。
豊満な胸を揺らす女が好きだ。
色香を漂わせる大人の女が好きだ。
――というのは、すべて嘘だ。
好みなんてあやふやで、もっと言えば好き嫌いなんてべつにない。
事実としてシュガーがこれまで時間を共にした女性は外見も内面も様々だった。
男女の関係というのは時の流れのようにごまかしがきかず、無情かつ無慈悲なものだ。
それがわかっていて男女の関係に身を投じているのだから、自分は物好きだなとも思考する。
とりあえず、自分が幸せであればよいと思っている。
よいと、思っているのだが……。
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マナは幼馴染みだ、十七歳、艶やかな黒髪はおかっぱ、同級生で男子生徒の目を引く人気者――そうあることに、スカートの短さも一役買っている。マナは楽天家で、極論、頭にウジがわいているぱっぱらぱぁな人格であるものだから、階段を上っていても下から下着を覗き込んでくる阿呆な野郎共の目線など気にもしない。すなわち漢字の凹凸の成り立ちすらよくわかっていないとでも言い表すべきか……とにかく、自身がエロい目を集めていることについて、よくわかっていない、鈍い。理解を放棄しているのではない。ただひたすらになんとも感じていないだけなのだ。
ある日、俺――シュガーは呼び出されたわけだ、誰にって、クラスメイトの男子コジマに。男子コジマいわく「マナに告るっ」。いや、そんなの、好きにすればいい。わざわざ誰かに断りを入れる必要なんてない。舌足らずな口でアレをしこたまああだこうだされることをお望みならいっそそうしてもらえばいい。さらさらの感触に違いない、陶器のようにきめこまやかな白い肌を舐めまわしたいのであれば遠慮なくそうすればいい――ああ、そうだ、わざわざ誰かに打ち明ける理由なんてない。
「い、いいんだな?」
だから、何が?
「おぉっ、俺がとっちまっても、いいんだな?」
わかってるよ、いちいちどもるな。
ヤるならヤれよ。
最後までヤれ。
勢いよく身籠らせてやれ。
強い口調でテンポよくシュガーがそう言ってやると、コジマはぎょっと目を大きくした。
「ななっ、何言ってんだよ、おまえ」
「男が女を好きだって言うんだ。妥協するな。強引にでもヤれ。男女の力関係なんてはっきりさせてしかるべきだ」
「しょっ、昭和すぎんぞ、シュガー、おまえ」
「マナの舌はよく動く。ほんとう、うまいんだ、ああ見えて」
するとコジマは真っ赤な顔を両手で覆い――。
「シュガーのばかやろぉぉぉっ! そんなこと恥ずかしげもなく言うなぁぁっ!!」
うん。
ニッポンは結構、平和であるらしい。
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セシルという二年生の金髪女子がいる。生徒会の副会長にしてテニス部の長だ。「首魁」という呼称が似つかわしい気がする、首魁――なんともヘヴィで悪そうな肩書だ、実際、悪いようだ。教師や公僕といった大人の目をなんなくかいくぐり、メンバーの非合法な性の営みすら推奨し、とはいえケースバイケースではあるものの、しかし場合によっては「ウリ」を斡旋してピンハネするかっこうで上級生からも下級生からも甘い汁をすすっているのだという。高校生ごときが正気の沙汰とは思えない、アナーキーすぎる嘘みたいな話だがホントらしい――という話はまま、耳にする――どうでもいい事象に過ぎないが。
そんな阿呆な、戦慄の戦略的公然猥褻物とでも表現すべきセシルにとって、シュガーは恋愛の対象らしい。エロスの権化みたな思考回路の持ち主なのに、翻って、逐一、ピュアな瞳を向けてくるのだ。都度、「ビッチめ」と罵ってやるわけだが、そのたび、「失礼だな、純愛だよ」などと、どこかで耳にした歯が浮くようなセリフを寄越してくる。
シュガーはそれなりに背が低く、目つきだっておおよそいいとは言えないのだが、そういったマイナスとしか思えないファクターもセシルからすればチャーミングに映るらしく、だから午後の授業が始まる五分前、昼休みも佳境という最中にあって、今日も彼女は椅子に座っている彼のその白く細い首に後ろから両腕を巻きつけてくるのである。健やかな青少年であれば鼻血の一つも出していいところだろうが、あいにくとそうではないので前を向いたまま、顔を歪めるくらいしかしてやらない。
「私、知ってるよ、シュガー。アンタは誰のモノにもならないって」
だったら親しくするな。
気安くボディタッチするな。
いつもずっと遠くに離れていろ。
「イヤだよ。それでもアンタは私のモノなんだから」
勉強もできて、男に不自由することもなく、おまけに金まで持ってる。
好き好き大好き超愛してる。
――と、今日もセシルは耳元でささやく。
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茶髪のポニーテールに縁なしのまあるいメガネ。真っ赤なミニスカートに黒いトレンチコート姿の半グレじみた女性――ナナイは、今日もセブンスターをぷかぷか吸う。席でタバコが吸えるからという理由で、会うときはいつもこの古い喫茶店だと決まっている。ナナイは医者で、正確に言うと外科医で、周囲は「いいかげん、上役に」とうるさい(推薦してやまない)らしいのだが、本人はフィールドワークを愛おしく思っているらしい。マゾな話だと思う。とはいえ、わざわざ幾人もの客――患者か? と、真正面から向き合おうとする点は偉いと考える。さて、――皮肉交じりではあるが――そんな折り目正しい大人の女性とどこで知り合ったのかというと、それは逆ナンである。街でナンパされたのである。
「ねぇねぇ、少年? ちょっとおねえさんと遊ばね?」
白昼堂々、そんなふうに誘われた、白いタンクトップの胸元からは乳房が織り成す深い谷間が覗いていた。べつに承諾してやる必要はなかったのだが、とにかくメチャクチャ暇だったから愚直にいいぞと乗ってやった。単純なアクシデント、あるいは途方もない絶対的な不可抗力として塾の夏の集中講義についてはサボってやった。
そのとき、初めて当該喫茶店に足を踏み入れたわけである。
職業、年齢等を聞かされ、いきなりおいおい泣かれたのである。
どうやらカレシにフられんぼ――ということらしかった。
事細かに観察してもネガティブな性格には映らなかったのだが、とにかくしくしく泣いたのである。
「でだ、抱いてくれんかね、少年よ」
「は?」
いきなりの申し出に、シュガーの目は点になったわけだが――。
「任せろ、少年。きみの希望にはカンペキをもって応えようぞ」
にかっと笑ってみせたナナイは――その夜、抱いてやると、上になっている彼に強く抱きつき、言葉にならない卑猥な言葉をしっちゃかめっちゃかかつさんざんぱら吐きつづけ――たのち、朝食については、一緒にレトルトのたまごがゆをすすったのだった。
ナナイは胸が平べったくて、その点を正直に指摘してやると、「殺すぞ、あんちゃん」とすごまれた、満面の笑顔ではあったが――。
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マナが殺された。色恋の果てのことだ――なんて言うと大げさかもしれない。マナはシュガーのことが大好きなわけで、そんな奴さんにどこからともなく恋心を抱いた半分ヤクザな大男の一方的な愛に遭い、犯し殺されたのだという。まあ、不運だったと判断するしかない。それはそうとそうであり、そうに違ないに決まっている――と割り切ることに決めたものの、詰襟の黒い制服で葬儀に出向いた際、くだんの彼女のご両親に「来てくれてありがとう」を連呼されたときには、さすがに申し訳のない気持ちに駆られた。「すみませんでした」と謝罪しそうになったくらいだ。
ああ、そうだ。
俺が奴の懇願に応えるかっこうで始終そばにいてやれば、こんな悲劇、起こらなかったんだ――。
コジマ――マナに恋心を寄せていた男子生徒は、棺桶にとりすがって大声で泣いた。
俺が守らなくちゃならなかったんだ!
ごめんなさい、ごめんなさい……っ!!
いや、だからな、コジマ、それはおまえが背負い込むよう罪じゃあない。
悪いのはこの俺、きっとシュガーさんなんだからな。
先方の希望もあって、骨壺に骨をおさめる場にも立ち会わせてもらった。こんがり炙られ、いよいよ血肉を失うと、残骸はわずかなものになるらしい。マナの親族一同はしくしく涙するばかりでまるで要領を得ないものだから、シュガーが率先して長い箸でつまんだ骨を骨壺に入れてやった。すり棒みたいな白いスティックでぐしゃぐしゃ砕きながらどんどん突っ込んでやった。雑だし、乱暴なことだ。しかし、マナの母親は「ありがとうね、ありがとうね」と礼を言うわけだ。「ありがとうね、ありがとうね」と泣くわけだ。
気づけば俺も泣いていたわけだ。
マナについてはやっぱり舌使いのうまい奴だったなくらいの感想しか抱かなかったのだが――骨壺に入れ損ねた小さな小さな手の爪を、「もらってもいいですか?」と訊いてから拝借した。ハンカチに包んでポケットに入れた。個人的に欲しかったとか、そういうわけではない。コジマの奴にこっそり渡してやろう、奴さんならずっと大事にすることだろう――そう考えた。
突拍子もなく、花婿姿のコジマと花嫁姿のマナが寄り添う様子が、頭に浮かんだ。
ああ、シュガーという男は罪深い、ほんとうに、つくづく――。
帰り道、漏れそうになる嗚咽をなんとか堪えた。
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どこからどう見たってそのへんのニンゲンと比べたら突出しているのに、どうして奴さんが、「卑猥なクラブ活動の主催者」なんかに甘んじつづけているのか、その理由じみたことを、そのうち知るに至った。セシル本人の口から直接聞かされた。最初は冗談だろうと思った。が、諦めたように話すものだから事実なのだろうと断ずるしかなかった。
「感染症なんだ。とびきりタチが悪くて、進みの速い」
二人きり、四階の生徒会室。
並んで立って、大きな窓の向こうに西日を眺めながら。
「性欲の権化が、馬鹿め」と罵ってやった。「罹ったと知って、よけいにやけっぱちになったんだろう?」
「そうだよ。どうせならみんな道連れってね」
軽い調子で、「あはは」と笑ってくれた。
絶対に苦笑いだ。
「一番寝たい相手はアンタだったわけだけど、さすがにもう、そんなことは言えないね」
「俺はべつにかまわないが?」
きょとんとなって、セシルは目を丸くして。
「ほんとうに?」
「ああ。おまえと心中するのもアリだろうさ」
セシルの顔は、またたく間にくしゃくしゃになった。
死にたくない死にたくないよぅと、セシルはしがみついてきて、泣いた。
でも、そのうち死ぬのだろう。
抱いてやるのは簡単だが、「私の分まで生きて」とか言われたものだから、抱き締めるだけにとどめておいた。
まったく、女というのは面倒な生き物のことを指す。
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マナの件、セシルのこと、俺はいつもの喫茶店で、ナナイに話した。「うへぇ、ハードな人生、送ってんねぇ」と嘲笑された。「洗濯板のくせに笑うな」と煽ってやると、「うるせー、クソガキ」とやり返された。「これからデカくなるかもしんねーだろ?」などとありえないことまで口にした。
切り返すように切り替えるように、「ところで」などと切り出してきた。
「シュガーくん、気づいてる? きみは生来の女たらしなんだぜ?」
「らしいな」
「おや、否定しないのかぃ」
「しないさ」
「まんべんなく、みんなに愛を振りまくつもり?」
「ああ。気づいたんだ。難儀な話だが、くそしょうもない役割だが、俺は優しくできてるってな」
きみの頭蓋骨をかち割ってやって、その中を覗いてやりたい。
――と、気の利いたこと、あるいは物騒なことをを言って、ナナイはけらけら笑った。
「ナナイは死ぬなよ」
「ばかもの、なにを偉そうに」
「命を細分化して、それぞれ他者に『はい』と手渡してやれればいいのにと思う」
ナナイはますます笑った。
「それができたら、きみはそこらへんの野良猫にだって分け与えちゃうでしょう?」
「悪いか?」
「悪くない。でも卑屈すぎるのはきらーい」
シュガーは席を立った。
すると、頬杖をついたまま、ナナイは見上げてきた。
右手――銀色の鍵を持った手を、顔の隣で小さく揺らす。
「合鍵、あげる」と差し出してきた。
受け取ってやって、それから肩をすくめた。
「これから来てもいいんだぉ?」
「いや、今夜は家で修羅場なんだ」
眉を寄せ、「どういうこと?」と、不思議そうなナナイ。
「親を抱いた。といっても、継母なんだが」
ナナイは目を見開くとやがて腹を抱え、今日イチ、笑った。
そうだよ、シュガーは稀に見る非常識なニンゲンだ。
善悪の前に愛を説く。
愛をなにより優先する。
そう生きようって決めたんだよ。