4 完成とお別れ
「詩織さん、次はこちらをお願いします」
「はい」
ネコパーティーが本格的に漫画を描き始めてから、私もアシスタントとして毎日原稿用紙に向き合っていた。
消しゴムをかけたり、トーンを貼ったり。慣れない作業だらけだけど、それはネコパーティーも同じ。ネコパーティーだって背中から腕を四本追加で生やして頑張ってるんだから、私も頑張らないと。……それにしてもちょっとキモいな、あれ。
黙々と手を動かして、日が暮れたら帰る。その繰り返しだった。
「詩織さん、ダイガクジュケンとはどういうものですか」
「あー、それはね……」
「ネコパーティー、このセリフちょっとクサすぎない?」
「少女漫画にわかは黙っててください」
「ここのトーン、もう少し暗いものをお願いします」
「ごめん、すぐ直す」
そんな日が、どれだけ続いただろうか。
夏休みも終わりに近づいたある日。その瞬間はとうとうやって来た。
出来上がったページをまとめて、机の上で整える。トントン、という音がやけに心地よく響いて……。
「詩織さん……」
「ネコパーティー……」
どうしようもないほどの解放感とともに、私とネコパーティーは思いっきり叫んだ。
「「終わったー!」」
ついに、完成したのだ。
「やりました! やりましたよ詩織さん!」
「やったねネコパーティー!」
私たちは手を取って踊り出す。漫画の作業をしていたのは多分、三週間とか、それくらい? 普通だったら考えられないスピードだ。宇宙人ってすごい。
「ありがとうございます、詩織さん。あなたのおかげです」
「そんなことないよ。私、たいしたことしてないし」
「いいえ。あなたがいてくれたからできたのです」
ネコパーティーはそう言ってほほ笑んだ……気がする。表情は変わらないけど、少しだけ声が柔らかいから、きっとそうだ。
「詩織さんとも、これでお別れなのですね」
相変わらず抑揚のない声でネコパーティーは言った。
そうだった。ネコパーティーのお願いを聞いたらチップを取ってくれるし、ネコパーティーは故郷に帰るんだ。
「なに、ネコパーティー、寂しいの?」
にやりと笑ってからかった。このノンデリ宇宙人には今まで散々振り回されたんだから、これくらいいいでしょ。
「寂しいかはわかりません。ですが、麻里てゃと西園寺くゆが喧嘩してしまったときと似た感情を抱いています」
わかりづらいな。
ネコパーティーは私の手を放して背を向ける。散らかった机の上でゴソゴソしたかと思ったら、数冊の本を差し出した。
「これは詩織さんが持っていてください」
お母さんから借りてきた例の漫画だ。
「え、でも、向こうでも読みたいんじゃ」
そもそもネコパーティーはこれを手に入れるために地球にやってきたはずだ。
私の言葉に、ネコパーティーはこてんと首を傾げながら言った。
「読みたくなったら、また地球に来ればいいのです」
「あ……」
はっとした。
そっか、別に今生の別れとかじゃないんだ。別に安心したとかじゃないしもう会えないの寂しいとか全然思ってなかったけど。
「仕方ないな。私が持っててあげる」
そう言って受け取ると、心なしか満足気な表情でネコパーティーは頷いた。
それにしても濃い夏休みだった。まさか宇宙人と出会って、古本屋をはしごして、漫画の手伝いまでするとは。
長いようで短い、不思議な夏だった。きっと大人になったときもこのことを思い出して……。
「では、チップを取り外しましょうか」
背中から腕を生やして、ネコパーティーは言った。どうやら余韻に浸る暇も与えてくれないらしい。
そういうとこは最後まで宇宙人だったな。
苦笑を漏らす私に、細いイカの足みたいな腕が近づいてくる。もう少しでチップが取れる。出かけるとき、あの声を聞かなくてすむ。
私の額までの距離はおよそ百センチ、三十センチ、十、九、八……。
「……や、やっぱりさ!」
触れるすんでのところで、思わず叫んだ。
「チップ、取らなくてもいい」
我ながら馬鹿だと思う。レントゲン撮ったとき映り込んだらどうするんだとか、磁気があるならMRIできないんじゃないかとか、まあたくさん不安要素はあるんだけど。
「……しかし」
「次会ったとき、困るじゃん」
ネコパーティーは笑った。相変わらずの無表情で、それでも確かに笑った。そのあと、信じられないことを口走った。
「チップのおかげで詩織さんの思考がなんとなくわかるのですが、本当にこのままでよろしいのですか?」
「え?」
は?
「いや待って、それ初耳なんですけど!?」
「はい。初めて言いました」
「なんで最初に言わないの!? GPSのことも黙ってたでしょ!?」
「じぃぴぃえす? とはなんのことでしょう」
「あーもう!」
狭い宇宙船内に私の声が響く。信じられない。思考盗聴されてたってこと?
え、私心の中でやばいこと言ったりとかしてないよね? 大丈夫だよね?
てかもっと早く言えよ。おい聞こえてんだろ。ぶっ飛ばすぞマジで。
「安心してください。至近距離でしかわかりませんし、精度も高くありません。ぼんやりとしかわかりませんから」
「ぼんやりとでも嫌だよ!」
ほんとに訳わかんない。もうこうなったら心の中で呪詛吐きまくってやる。タンスの角に小指ぶつけてしまえ。
いや、もしかするとアルミホイルが効くかもしれないな。アルミホイルって思考盗聴を防ぐんだよね。あれ、違ったっけ?
「嫌なのであれば取り出しますが」
「いーや、大丈夫。アルミホイルの方が強いし」
「そうですか」
いつの間にか、宇宙船の窓の外はすっかり夕方になっていた。
「……じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「詩織さん。最後に一つだけ、いいですか」
つぶらな瞳をこちらに向けて、ネコパーティーは言う。
「インサツジョで製本したいのですが、その手続きをお願いしたいのです」
「えっ」
「軽く調べたのですが、しばらく時間がかかるそうですね。もう少しこちらに滞在することになりそうです」
「ん?」
書物を作るのは大変ですね。
そう言いながらネコパーティーは、印刷代の入った封筒を私に押し付ける。
あまりの衝撃に真っ白になった頭を必死に働かせて状況を飲み込……もうとすると、腹が立ってきた。
こいつさては、私のこと都合よくパシるつもりだな? もし私が「チップは取らなくていいよ」とか言わなかったら自分で依頼したんじゃないのか?
とことん合理主義で計算高い生き物め。やっぱりこいつムカつくな!
「……返せ」
「はい? なんとおっしゃいました?」
私の半分ほどしかないサイズの相手に、容赦なく飛びかかる。
「私の感動を返せーっ!」