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2 存在しているということ

 あれから四日。夏休み返上で働く私は、冷房の効いた自分の部屋で叫んだ。


「ぜんっぜん見つかんないんだけど!?」

「本屋のデータを解析しておきました。次はA市のB書店が良いでしょう」

「そこそこ遠いなぁ……?」


 ネコパーティーが探している漫画、「ときめきシンデレラ・マリィ」はすでに絶版となっていることが判明した。それも二十年以上前の話だ。私生まれてすらないし。あちこち古本屋を回っては空振り、というのをもう何度も繰り返している。

 出版社に問い合わせてみても、結果は惨敗。在庫ありませんと一蹴されてしまった。


「もうやだあ! 古本屋巡り飽きたあ!」


 私のスマホで勝手に漫画を読むネコパーティーに訴える。

 今日だけで五件は回ったんだよ? さすがに疲れたから家に帰って来たけど、明日からも同じことの繰り返しだなんて嫌だ。


「ならば仕方ありません。脳内のチップと素晴らしい余生をどうぞお過ごしください」


 あ、そうだった。私の頭に異物入ってるんだった!


「つ、次は隣町まで行くんだっけ? 次こそ見つかるよ絶対! ね!」

「そのように不安にならずともチップは害のあるものでは……」

「毎回毎回、不気味な声に話しかけられるのは嫌なの!」


 ガチャリ。


 ネコパーティーが返事をする前に玄関の扉が開く。

 入って来たのは誰か、考えずともわかった。残念ながら、私のほかにこの家の合鍵を持っているのは一人だけ。


「ただいま」


 お母さんだ。


「ちょっ、ネコパーティー、こっち」


 慌ててネコパーティーを押入れに突っ込む。変なの連れ込んでるってバレたらたまったもんじゃない。


「ここはワイファイが弱いですね」

「うるさい」

「おや、可愛らしいぬいぐるみがあります。『ときめきシンデレラ・マリィ』三巻五十八ページでもゲームセンターで……」

「わかったから黙ってて!」


 柔らかい胴体を押し込んでぴしゃりと戸を閉める。お母さんがリビングに顔を出したのはその時だった。


「どうしたの? バタバタして」

「な、なんでもない。……なんで、帰って来たの」


 お母さんは滅多に家に帰ってこない。何よりも仕事を愛する仕事人間なんだ。

 先週ちょこっとだけ帰って来たからしばらくは帰って来ないだろうと思ってたのに。


「運良く早めに切り上げられたの。親子の時間だって必要でしょ?」


 そんな薄っぺらい言葉を並べて、お母さんは微笑んだ。普段ほったらかしてるからって、私に気を遣っているんだろう。

 そんなことされたって別に嬉しくない。気が向いた時だけ母親面して「仕事が忙しくても娘と向き合う私」に酔ってるだけでしょ。


「……私、このあと友達と約束してるんだけど」


 口をついて出たのはそんな嘘だった。


 我ながら子供みたいな態度しか取れないのが嫌になってくる。だけど、この空間にずっと居るのはもっと嫌だ。


「この後? もう夕方なのに……」

「いってきます」

「あ、ちょっと! 八時までには帰って来なさい!」


 乱暴に玄関を開けた瞬間、こめかみをチクりと刺すような痛みとともに脳内で不気味な声が響いた。


『そんな装備で大丈夫か?』


 ムカつく。あんな宇宙人、さっさと地球から追い出してやる。


 外はまだ明るかった。ジリジリと照りつける日差しと肌にまとわりつく湿気に、顔が歪む。


 あー、イライラする。私のことなんてどうでもいいくせに。あんなのネグレクトもいいところだ。


 足を踏み鳴らすようにしばらく住宅街を歩いて、ふとネコパーティーを置き去りにしてしまったことに気づいた。

 でも今更戻りたくはない。ネコパーティーのことだから、通りぬけフープとか透明マントとか持ってるんじゃなかろうか。宇宙人だし。


 当てもなくずんずん歩くうちに、空はオレンジ色になってきた。

 どこからかカレーの匂いがして、友達と別れる子供の声が聞こえる。遊び疲れて家に帰って、お母さんのカレーを食べるんだろうか。……お父さんも一緒に。


 いいな。


 見下ろしたコンクリートの地面がじんわりと滲んで見えた。そのときだった。


「どうして嘘をついたのですか?」


 後ろから聞こえた無機質な声にはっとする。ネコパーティーだ。どうしてこんなところに。


「隙を見て脱出しました。チップのおかげであなたの居場所もわかります」


 なにそれ腹立つ。そんなの初めて聞いたんだけど。


「それで、どうして嘘をついたのですか? この後も予定はないはずです。我々の星では、嘘は大罪なのですよ」

「ここはあんたの星じゃない」


 少女漫画にのめり込んだとは言え、ネコパーティーは感情に疎い宇宙人だ。嘘をつく理由も私の気持ちも、きっと一から十まで説明しないとわからない。


「……ムカついたから」

「どうして?」


 ああ、本当に、めんどくさい。


「生まなきゃよかったって思ってるくせに、良い母親ぶってるのがムカついたから!」


 私にはわかる。お母さんにとって私みたいな存在は邪魔なんだろう。いない方がいいんだろう。

 私がいなければ家のことなんて気にせず働けるし、海外進出だって目じゃない。

 それに。


 私は覚えている。お父さんが出て行ったあと、俯いて拳を握りしめるお母さんがポツリと呟いた言葉を。


『子供なんて、生むんじゃなかった』


 ネコパーティーは表情を変えない。きっと表情筋というものがないからだ。


「子供というのは、親のエゴにより無理やり誕生させられただけの存在に過ぎません。拒否権もないままに」


 抑揚のない声で、真っ黒な目で、ネコパーティーは言った。


「つい最近、興味深い主張をした地球人がいたと聞きました。苦の存在は悪であり、苦の不在は善である。しかし快の存在は善であるが、快の不在は悪ではない……と」

「はあ? わけわかんない」


 眉をひそめると、ネコパーティーは再び押し黙った。蝉の声だけが遠くに聞こえる。


「本当に子供のためを思うならば子供は生むべきではない、ということです。生まれない方が苦しみが少ないので」

「だから何」

「あなたの母君は正直ですね」


 おまえに何がわかる。


 私はネコパーティーを思いっきり、蹴飛ばした。


 ゴムボールみたいにバウンドしながら転がっていくそいつを見ながら、私は拳を握りしめる。

 お母さんがあんなことを言った理由なんて、今更どうでもいい。どうだっていい。どんな理由だろうと腹が立つ。

 生むべきではないからなんだって言うんだ。私はもうここにいるのに。ここに存在してしまっているのに。


「……我々は生むことの是非に対し疑問を持つことはありませんでした」

「だから何。てか何様? 弱っちいちんちくりんのくせに」


 ネコパーティーに背を向けて、私は駆け出した。


 だけどあいつは起き上がった。後ろからテチテチと、人間とは明らかに違う足音がついてくる。


 くそ、もっと攻撃力の高い靴を履いておくべきだった。


「もし我が同胞に『生むこととは良いことか』と尋ねたらその多くが頷くでしょう。我々は、我々という種族が栄華を極めるためだけにその生涯を捧げなければならない」


 ネコパーティーは話し続けた。どんなにスピードを上げてもついてきた。


「逆に言えば、合理的でないものなど無意味で不必要なのです。恋もときめきも、友情も」


 ロボットみたいな声が私を追いかけてくる。もう声も聞きたくない。汗が目に入って沁みる。暑い。苦しい。


 ああもう、どうしてこんなことに。


「けれど私は、『ネコパーティー』になれてよかった」


 一瞬だけ、蝉の声が止んだ。生暖かい風が頬を撫でていく。


「ときめきをもっと感じたかったから、私はこの星に来ました。そのおかげで、可愛らしい名前をもらえました」


 いつの間にか、ネコパーティーと初めて出会った空き地が目の前に広がっていた。


「ニックネームをつけられたのは初めてだったのです。足蹴にされたのも初めてでしたが」


 もう一回蹴られたいんだろうか。


 そう思って、背の低いネコパーティーを睨みつける。

 人二人分くらい離れたところに佇むそれは、静かに言った。


「あなた以上にセンスの良い地球人など存在しないのでしょうね」


 ツヤツヤだったはずの体にほんの少しだけ砂が付いていて、喉の奥が詰まる。


「……知ってるし。うざ」

「おや、それは失礼しました」


 このノンデリ宇宙人を許してあげるほど、私は器が大きいわけじゃない。

 だけどなぜだか、これ以上怒る気力は湧かなかった。


「『誕生させること』の是非には様々な意見があります。しかし、『存在していること』は否定すべきではありません」

「……さっきの話の続き?」

「はい」


 感情がない生き物って、恥ずかし気もなくクサいセリフ吐けちゃうんだからびっくりだ。


「話が長いってよく言われない?」

「我々はこういう生き物なのです」


 なんだそれ。


「一緒に読みませんか。『ときめきシンデレラ・マリィ』を布教させてください」


 私を見上げるネコパーティーの瞳がキラリと優しく光った。


「先ほどの押し入れで、とあるものを見つけたのです」

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