第1章:決壊の始まり──悔恨の日々作戦とアサド政権崩壊
かつて中東は、
「火薬庫」と呼ばれるにふさわしい場所だった。
燃える火種は、イランから、ヒズボラから、フーシ派から、
絶え間なく供給され、世界を揺るがし続けた。
しかし──
2024年10月26日、その時代に終止符を打つ一撃が放たれた。
イスラエル国防軍による**「悔恨の日々作戦」**。
それは、ただの報復ではなかった。
イランが発射した180発を超える長距離弾道ミサイルへの、
単なる応酬ではなかった。
イスラエルは、「受けに回っていては持たない」と覚悟を定め、
空軍の総力を挙げた、前代未聞の長距離大爆撃作戦を敢行した。
F-35I戦闘機を含む100機以上、
標的はイラン国内20カ所以上──防空網、ミサイル製造施設、無人機工場。
その全てを一夜にして叩き潰した。
この作戦の帰結は明白だった。
イランの防空力は破られ、
長距離ミサイル製造能力は麻痺し、
アメリカの調査報告は「復旧に最低1年を要する」と結論づけた。
そして、それを裏付けるように、
間を置かずウクライナに向けて「ペトリオットミサイル90基」の供与が表明された。
これは単なる支援ではない。
**「もはやイランに長距離攻撃能力は存在しない」**ことの、静かな宣言だった。
だが、それだけでは終わらなかった。
悔恨の日々作戦からわずか1か月後──
2024年12月7日、シリアでアサド政権が崩壊した。
この崩壊の意味は計り知れない。
アサド政権は、中東におけるイラン唯一の同盟国であり、
同時に、ロシアが地中海・中東・アフリカへと影響力を広げるための生命線だった。
それが、消えた。
文字通り、地図から消えた。
この二重の衝撃──
「イラン本国の軍事的手足の切断」
「シリアという地政学的拠点の消滅」
それは、イランという国家の戦略的存立を、根本から破壊した。
以後、イランは、
過激派を支援する力も、
遠方に火種を撒く力も、
自らを守る軍事的基盤すらも、
失った。
この時点で、イランの命運は尽きたのだ。
それはまだ表立って語られてはいなかったが、
火薬庫と呼ばれた中東の中心核は、
この瞬間、実質的に、灰になった。
──そして、世界は静かに次の局面へと歩み始めることになる。
次章では、その後に訪れた、
代理勢力の燃え尽きと、
中東の火薬庫構造の完全崩壊について見ていく。