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濡れた魔王は臭い

●● ●


 その日の昼休みのことだ。

 屋上の一角には、険悪な空気が流れていた。不機嫌に黙り込む郁乃。桜子を挟んでその反対に座る人間の姿イヌミミのアラストルも、顔をしかめてパンにがっついている。

「ねえ、何があったの?」

 気まずそうにしていた桜子が、意を決してという顔で郁乃に尋ねた。

 至近距離で彼に聞こえないはずもなく、アラストルがこちらを一瞥するのを感じる。

「別に」

 アラストルの視線を意識して、冷たい口調で尋ねた。

「なーにが『別に』だ。人のこと思いっきし殴りやがって」

 郁乃の言葉に、アラストルが噛みつく。

「あんたが悪いんでしょ。お父さんが大事にしてる梅の木を燃やしちゃうから」

 導火線に火がついて、郁乃は怒鳴りつけた。

「わざとじゃねえ」

 アラストルが、立ち上がって郁乃を睨みつける。負けじと、郁乃も真っ向からその視線を受け止めた。

「まあまあ、郁乃ちゃん。何があったのか、なんとなく解ったけど、彼も『わざとじゃない』って言ってる訳だし」

 桜子が困った顔で、どうどうと郁乃をなだめる。

「あーちゃんもさ、郁ちゃんが悲しむようなことをしたんだったら謝ろうよ」

 彼女は、首を曲げてアラストルにも告げた。

 ちなみに「あーちゃん」とは桜子がつけた彼のあだ名だ。

 アラストルも、彼女のようなタイプの人間を怒る気にはなれないらしく、放置している。

「まず謝るのはソイツだ」

 アラストルが、憎々しげに応じた。

「誰がよ? 悪いのは、全面的にあんたでしょ」

 郁乃は、眉根を寄せて言い放つ。

「そうだぞ、お前が悪いのだから謝ってしまえ」

 どこともなく飛んできたベルゼブブが、アラストルに言った。

 彼は、郁乃が学校に行っている間は自由行動をしており、昼休みに姿をみせる。

「ふざけんじゃねえ。守ってやってるってのに、何で俺が文句を言われなきゃならねえんだ」

 アラストルは、彼に向かって不満をぶつける。

「だが、その原因となっているのは、彼女の家で厄介になっている我々だ」

 ベルゼブブは、だだっ子じみた彼の主張を一言で否定した。

 アラストルは言い返す言葉が思い浮かばないのか、舌打ちしてベンチに腰を下ろす。

「謝りなさいよ」「うるせえ」

 郁乃は、追及の手を弛めない。彼は、顔を背けて応じない姿勢を示す。

「意地になるな。郁乃殿も、『謝れば、それで許す』と言っておられるのだ」

 ベルゼブブが、郁乃の言葉をいいように拡大解釈した台詞を口にした。

謝ったら、許してあげるわよ――彼の言葉に、内心うなずく。

 悪気がなかったのは、郁乃にだって分かっているのだ。だからといってしていいことと、悪いことがある。

「誰が謝るか」

 こちらを向いたかと思うと、アラストルは唇を歪めて言った。

 郁乃の中で、確実に何かが切れる音がする。

「もう、家に上げてあげない」

 怒りに任せて、宣言した。

「誰が、あんな犬小屋に帰るか」

 そう言い放ち、彼は立ち上がる。そのまま、屋上を猛然と去っていった。

「ねえ、いいの?」「いいの」

 桜子が、心配そうに訊く。郁乃は不機嫌に応えた。

 アラストルに拳骨を喰らわせた拳が痛い。それは、物理的な痛みのはずなのに、胸が苦しくなっていた。

 頬を、冷たい雫が濡らす。

「あ、雨だ」

 桜子が空を見上げてつぶやいた。

 数秒後、土砂降りの雨が降り出し、郁乃たちは屋上から校舎に退避した。


    2


 放課後にもなると、頭に上っていた血が下がり郁乃は冷静さを取り戻した。

言い過ぎたな――下駄箱からスニーカーを取り出しながら、そんな思いを抱いた。

 自分の行いを悔いる。登下校口から見上げる空からは、相変わらず雨が降ってきている。

 桜子は、何とか部――要はボランティアをしようという趣旨の部活だ。非常に地味な存在なので、名前をすぐに忘れてしまう――の活動で今日は一緒に帰れない。

「奴なら、腹でも空かして帰ってくるでしょう」

 よほど郁乃が昏い表情をしていたのか、雨をものともせずに飛ぶベルゼブブが言った。

「うん」

 うなずいて、傘をさして雨の中に歩きだす。

 傘を、雨がリズミカルに叩いた。

夜になってもアラストルは帰ってこなかった。

 ただ、夜になる前にひとつの出来事があった。近い公園なら探してやっともいい、と訪れた公園のひとつでのことだった。

 雨が降りしきる公園の一角、頭上を枝葉が遮るベンチに妹の姿を見つけたのだ。その隣に半透明の少年の姿があった。何だか、ふたりは楽しげだった。そこには家では見せない妹の顔がある。

 あの子――化生、幽霊の類は出会うなり祓う主義だったはず、と郁乃は怪訝に思った。怪訝に感じた。でも、嬉しくもあった。あの男の陰の薄かった妹が少年と、人間ではないが楽しげにやり取りしているのを見ると。

 どうしたものか、と思っていると妹の視線がこちらをとらえるのを感じた。

 そうなると、こちらも腹を決めるしかない。

 郁乃は傘をさしたままふたりに近寄って行った。

「初めまして」

 郁乃は幽霊の少年に向かって軽く頭をさげる。

「はじめまして」

 少年が生真面目な顔で挨拶を返した。

「千佳と仲良くしてくれてるみたいね」

「ええ、まあ」

 郁乃の問いかけに少年がうなずく。

「よかったね、千佳」

 顔を向ける姉に、

「何がよ」

 妹は顔を思い切りしかめる。

 色々と聞きたい気もしたが、ふたりの時間を遮るのも悪く思えて、

「それじゃ」

 ふたりに告げて背を向けた。

 少年からもの言いたげな空気を感じたがあえて無視して歩き出す。



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