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濡れた魔王は臭い

某ライトノベル新人賞、最終選考落選作です。

ぜひ、お楽しみください。

  第2章 テルテル坊主のコサックダンス


   1


 アラストルたちが家に住むようになって三日が経った。その間、能天使(パワーズ)の力持は体調を崩したという理由で学校を休んでいて、何事もなく日々が過ぎていく。

問題は、元の身体に戻るために召喚者を捜しているのに見つからない、そのことにアラストルがいい加減、いら立ってきているということだ。

 しかし、平穏は突如として打ち破られた。


 始まりは、梅雨の雨が鬱陶しく降る朝だ。すべてを押し流すような雨音が、途切れることなく続いている。雨音は機械音声を掠れさせたようにひびいていた。

 郁乃は、布団を干せないことに軽い憤りを感じながら、朝食を用意していた。

 食卓に、ドッグフードの盛られた深皿、砂糖水の入ったガラスのコップ、ご飯と味噌汁と鯖の味噌煮二人分が並ぶ。あらためて眺めると、何とも奇妙な光景だ。椅子の上に、雑誌を重ねその上にチワワが座っている。そうしないと、テーブルに届かないのだ。テーブルの上に、止まり木が用意されそこに一匹の蝿が羽根を休めていた。郁乃は、その向かいに腰を下ろす。

 血圧の低い妹がゾンビみたいな声、動きでやって来てソファを一時滞在所に選んで横になる。千佳の理屈からいえば、まずは朝食に摂れる場所までやって来たことで一段落ということらしい。妹ゾンビは虚ろなようすで、テーブルの異様な面子を認識できているようすはない。

「いただきます」

 郁乃の声を合図に、それぞれが手(そういえば、アラストルとベルゼブブは前脚だ)を合わせた。

うーん、今日も一段とキュート――心のうちで感想を漏らす。

 チワワが人間みたく手を合わせる姿は、見た者を卒倒させかねないほど可愛い。これで性格がよければ、もはや言うことはなかった。

 郁乃は料理を口に運びながら、アラストルに話しかける。

「ねえ、今日も学校に行くの?」

「当たり前だろ。俺様は、召喚者を捜し出すまで諦めねえ」

 彼は、口のまわりにドッグフードの食べこぼしを盛大につけたまま顔を上げた。

「ぶ、ふう」郁乃は思わず吹いてしまう。ご飯粒が、アラストルの顔に飛んだ。「あ、コラ、キタネエ」彼は、前脚で今更ながら顔をガードする。当社比3倍ほど可愛さが跳ね上がった。

「いいんじゃない、そのままで」

 郁乃は、明るい口調で告げる。

「ああ、なんで俺様がこんな犬っころの姿でいなきゃならねえんだ」

 不満気に、アラストルは問うた。

「だって、可愛いし。可愛いし、可愛いし」

 郁乃は確固たる信念を込めて断言する。

「ダーカーラー。俺様が、それが嫌だって言ってんだろ」

 アラストルはテーブルを叩いて(るつもりかもしれないが、悲しいかなそこはチワワ。どう贔屓目に評価しても、迫力がない)吼えた。

「まあ、わたくしはこのままでは構いませんが」

「えー、ベルゼブブはこのままでいいって言ってるじゃん」

 郁乃は、口を尖らせて抗弁する。

「こいつは蝿の王だからいいんだよ」

 隣で砂糖水を舐めているベルゼブブを前脚でさし、アラストルは訴えた。

「いいじゃん、目指しちゃいなよ『犬の王』」

 郁乃は、弾んだ声で提案する。まるでそれが最善の策だという口調で。

「ガアアアアア、誰が犬の王だ」

 犬歯を剥き出しにして、彼は抗議した。

「賑やかでよろしいですな」

 ベルゼブブが、微笑ましげな調子で二人のやり取りを評する。

「俺様が楽しんでいるように見えるか、王子」

 アラストルが、低い声で応じた。

「少なくとも、魔界にいたころよりは口数が増えましたね」

 ベルゼブブが臆することなく応える。

 この二人は(二匹? 二柱?)、仲が悪いようでいて相手を無視しないので、郁乃は彼らの関係を映画なんかでよく出てくる相棒(バディ)のようなものだと解釈していた。

「へえ、アラストルって無口だったの?」

 意外な気がして、郁乃は尋ねる。

「ええ、魔界にいた頃は、無口で乱暴者ですぐに周囲と問題を起こしていました」

 ベルゼブブは、スラスラと悪評を並べ立てた。

「今も十分、乱暴者だと思うけど」

 という郁乃の言葉に、

「いやいや、もっと酷かったんですよ」

 と彼は首を横に振る。

「乱暴者で悪かったな」

 不機嫌な口調で、アラストルは吐き捨てた。そのまま、ソファの方へ行こうとする。

「あ、コラ、待ちなさい。口を拭いてからにしてよ、ソファについちゃうでしょ」

 郁乃は、布巾を持ってアラストルのもとへ近寄った。

なんか、幼稚園の先生になったみたい――。

 嫌がるアラストルを無理やり捕まえて、口もとを拭った。

「よーし、いい仔」「俺様は犬じゃねえ」

 子供や犬を相手にするような言葉遣いに、彼は怒声を上げる。

「少なくとも、肉体は犬でしょ」

 悪戯っぽい口調で告げた。

「クソオオオオッ」

 ぽふぽふぽふ、とアラストルは地団駄を踏む。

「きゃー、可愛い」

 その様子が、さらに郁乃の悪戯心を刺激するのだ。アラストルにとっては、完全に悪循環としか言い様がない。今度こそぐうの音も出なくなり、ソファに走りより、千佳が寝ていないスぺ―スを確保して不貞寝を始めた。

 それを見届けた郁乃は、食事を再開する。

 調子に乗っていて、家を出るまで時間があったはずなのに余裕がなくなっていた。

「千佳、そろそろ食べないと朝ごはん抜きだよ」

 郁乃はテーブルから妹に声をかける。

「抜きならワサビにして」「どこの家庭が朝から鮨だ」

 妹のボケに郁乃も半眼で言葉を返した。

 そこに、

「おい、悪魔共。出て来い」

突如として庭の方から怒鳴り声が聞こえてくる。

この声――聞き憶えがある声だった。

郁乃は、庭に面する大きな窓の厚手のカーテンを開け放つ。

 そこには、ガラスの向こうには二人の男が立っていた。一人は予想通り、生活指導の教師にして能天使(パワーズ)、力持巌だ。その隣に立っているのは、

うわっ、ヤクザだ――。

 スキンヘッド、三白眼、口もとと顎に髭、首下に光る金のネックレス、そしてラフ派手な服装と典型的なヤのつく自由業の人。

「我々天使は、貴様ら邪悪の者共に天誅を下しにきた」

 力持は、こちらが姿を現したというのに、なおも大声を出す。

 まったくもって、迷惑この上ない。

「ちょっと、近所迷惑になるから止めてよ。天使は、人間の常識さえ守れないの」

 郁乃は、窓を開けて食ってかかった。

「ぐぬ」郁乃の剣幕に負けて、力持が鼻白む。彼を押しのけて、ヤクザ風の男が前に出てきた。むう、と郁乃は身構える。

「テメエじゃ話にならねえ、悪魔共を出せ」

 低い、ドスの利いた声で彼は言った。

 その背中には白い羽根が生えていて、郁乃はビックリする。

こ、こんな天使もいるの? 個性と言えばそれまでかもしれないが、余りにもイメージと違い過ぎた。

「俺様なら、ここにいるぜ」

 郁乃の足もとで、アラストルが声を上げる。彼の頭の上には、ベルゼブブがとまっていた。

「どういったご用件でしょうか?」

 ベルゼブブが冷静な声で尋ねる。

 ヤクザ風天使は、目を丸くして彼らを見ていたが、やがて気を取り直した様子で、

「ああ? しらばっくれるんじゃねえぞ、ボケが。人間界は、天界の縄張り(シマ)だ。薄汚ねえ悪魔が、居ていい場所じゃねえんだよ」

 抑えた、それでいて敵意が際立つ声でヤクザ天使が言った。

「しかし、我々はこの家の主から居住を許可されています。あなた方にお伺いを立てる義理はありません」

 紳士的な口調で、ベルゼブブは相手の意見を切って捨てる。

「だったら、交渉は決裂だ」

今のが交渉だったの? 郁乃は、ヤクザ天使の言葉に驚いた。明らかに喧嘩を売っていたとしか思えない。

「覚悟しやがれ」力持は、拳を鳴らす。

 黒い塊が、郁乃の視界を過ぎった。

「ブッ」力持が引っくり返る。どうやら、ベルゼブブが音速の蝿を顔面にぶつけたようだ。

「へっ、やるじゃねえか」

 嬉しそうに言うアラストルの視線の先には、庭の端に退避したヤクザ天使の姿がある。

「これで、どうだっ」

 アラストルが、雷を相手に向かって放った。間一髪で、それを敵は避ける。焦燥の表情を浮かべる。

「くそ、話と違うじゃねえか。どこが雑魚悪魔だ」

 毒づくと、力持のもとへ跳躍する。地面を思いっきり蹴りつける。土砂が舞い上がり、視界が閉ざされた。

空気を震わせる音を立て、ベルゼブブの「蝿弾丸」が飛んでいく。砂埃が掻き乱され、郁乃の目にもそれと判った。しかし、悲鳴も衝突音もない。

「どこへ、行きやがった?」

 アラストルが、楽しくてたまらないという面持ちをする。

 五秒が経ち、一〇秒が経ち、やがて一分が経過した。

「な……逃げやがった」

 アラストルは、愕然とした声で叫んだ。

 砂埃が収まる。そこに残されているのは、無残に荒らされた庭だけだ。

そして原因の一端を担っているのは、アラストルの放った雷だ。

 郁乃は、胃が縮み上がる気がした。視線の先では、父親が大事にしていた梅の木が炭と化している。

「アラストル、周囲のことを考えてよ」

 郁乃の全力の拳骨が、アラストルの頭部を襲った。

 鈍い音がする。自分の手に、確かな手応えがあった。

 空を黒い雲が覆っている。昨日の天気予報では、午後から雨になると言っていた。

 千佳は相変わらずソファで呻いていて一連の出来事に気づいたようすはない。冬眠中の爬虫類異ぐらいの鈍さだ。


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