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濡れた魔王は臭い


 朝、まどろみの中にいると、階下から物音がする。

そういえば、お父さんとお母さん、帰ってきたんだっけ?

 温かな毛布に包まれ、ぼんやりとした意識で考えた。記憶を遡ろうとするが、眠気がそれを妨げる。開きかけた瞼が、重いシャッターが下りるようにして閉じた。

 数十分後、目覚ましの騒音が鼓膜を叩く。

「うーん、うるさい」自分でかけといて五月蝿いも何もあったものではないが、眠りを妨げるその音が煩わしかった。

 なるべく毛布からはみ出ないようにして、目覚ましのスイッチを切る。

 そのまま、一〇秒ほど至福のときを味わう。

ああ、二度寝もいいな――と思うが、それは考えるに留めておいた。

 思い切って毛布を跳ね飛ばし、朝の空気に身体をさらす。カーテンの隙間からは、白い光りの筋が差し込んでいた。

「今日は晴れたんだ」

 呟いて、その事実を噛み砕いて飲み込む。梅雨の時期に訪れた晴れ間に、何だかそれだけで嬉しくなった。

 学校があるが、どこかへ出かけたい気分だ。大きく伸びをすると、強張った背中の筋が弛んで気持ちがいい。

「よし」意味もなく気合を入れて、部屋を出た。

朝食は、何にしようかな――。

 そんなことを考えながら階段を下りていると、リビングの方からテレビの音が聞こえてくる。

誰? そういえば、三十分ほど前にまどろみの中で、そういえば、お父さんとお母さんが帰ってきたんだっけ? などと思った記憶があるが、そんなはずはない

 両親は、今日もアフリカで猛烈な勢いで野生の動物を追いかけまわしているはずだ。

あっ――脳裏に、喋るチワワの記憶が甦る。

 犬のしわざ? などと一瞬思うが、いくらなんでもアレは夢の中の出来事だ。

 チワワが柄の悪い口調で喋るはずがない。

 よしんば話したとしても、主語は「ぼく」で可愛らしい声のはずだ。

 間違っても「俺様」などという尊大な言葉遣いはしないと思う。

 テレビを点けっぱなしにしていただろか、と訝りながらリビングの扉を開けた。

「昨日の未明、○×区□△町で空が晴れ渡っているにもかかわらず、落雷が観測されました。なお、原因は今のところ不明で、気象庁は『過去にこのような気象現象は観測された例がない』とコメントしています」

 朝のニュースが誰もいないリビングに垂れ流されていた。郁乃は、テレビの前のソファを避けて音量を下げに近づく。

「ん?」ソファに小柄な影が鎮座している気がして、首を横に曲げた。

「チワワ」

 見たものズバリそのままが、口を勝手について出る。

 白い毛とつぶらな瞳は、夢に見たそのままだった。

(っていうより、夢じゃなかったんだ)

 幾分、驚いた気分で思う。

(だったら、本当に幻聴を聞いてたんだ……)

 絶望的な気分になった。つまりは、自分は疲れ切っているか、病気だということになる。

「おい、ニンゲン。何を目を丸くしたり、暗い顔をしたりしている。一人で何やら忙しいな」

 チワワが、皮肉げな口調でしゃべった。

 郁乃は絶句する。

 今日の体調は絶好調だ。疲れなど、その片鱗さえ感じていない。ってことは、アタシ、病気? 茫然とそんな思いを抱いた。視界に暗幕がかかった気分だ。

「何を驚いている?」

 先の口調のまま、チワワが訊いた。

 郁乃は、足もとがおぼつかなくなってその仔の隣に座り込む。

「昨日も、俺様は散々喋ったはずだがな」

 喉の奥でチワワが笑う。

どうしよぉ――暗澹とした気分で、両手で顔を覆った。幻聴と思えない。ということは一目惚れは郁乃は家に魔性を連れ込んだことになる。妹に見つかったからチワワを全力で抹殺にかかるという修羅場が勃発しかねない。

「お前、俺様がしゃべっているのが幻聴だと思ってるだろ?」

 その言葉に、郁乃は顔を上げる。

「それは違うぞ。昨夜、俺様が語った話は本当だ」

「あの、破壊神がどうのって話?」

 思わず、聞き返した。

「そもそも、自分が異常だって思う異常者がどこにいる?」

 問う声は嘲笑に満ちている。

確かに――言ってることには一理あった。郁乃の中に冷静さが戻ってくる。チワワ殺害事件を避けるためにも気を落ちつかせなければ。

「でもだったら、何で破壊神がダンボール箱に詰められて捨てられてたのよ?」

 その点が納得できなかった。

う、チワワの外見の破壊心、アラストルが苦しげにうめく。そんな仕草も愛らしいのが複雑な気分にさせられる。

「それに、何で犬の姿なの?」

「うう」

 彼は顔をうつむける。もともと潤んでいた瞳が、さらに湿り気を帯びた。

 やがて、涙がその目から流れ落ちる。

うわ――悪いことをしちゃったかな、と郁乃は思った。

「ごめん」

 素直に、手を合わせて謝る。

「う、五月蝿いぞ、謝るな。余計に惨めになるだろ」

 アラストルは泣きながら叫んだ。その台詞の中で、自らが惨めだと認めてしまっている。器用に、犬の身で肩を震わせた。

 郁乃は、しばらくそれを見守り泣き止むのを待つ。

可哀想だなあ――事情は分からないが同情せずにはいられない。


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