濡れた魔王は臭い
別のペンネームで、本作(改題しました)で某ライトノベル新人賞最終選考を落選しました。
ぜひ、本作をお楽しみください。
夕方になり、曇り空もいよいよ暗さを増している。郁乃は、高級住宅街を本城の後ろ姿を追って歩いていた。
「家まで案内する」と告げて彼は、後はこちらのことを気にすることなく移動している。
学校を出て地下鉄に乗って三十分、お金持ちが住むことが有名な町で電車を降りた。
それまでの彼の態度に不審なところはない。
けれど、郁乃は警戒していた。
一昨日、天使に襲われたばかりなのだ。彼が、天使の仲間ではないかと疑うのは当然のことと言える。それに普段の、彼の掴み所のない変人ぶりはそれだけで不審を誘うものだ。
でも、大丈夫――ちょっと怖気づく自分を奮い立たせる。
ベルゼブブが、遠くからこちらを見守っている。はずだが、蝿なんぞ遠くにいたら視認できるはずがない。
ちなみに、学生鞄やスカートに彼がとまっておくという案もあったが、生理的に蝿を身体にまとわりつかせるのが受け入れられないということと、下手をすると人にぶつかった拍子に潰してしまうという理由で却下になった。
こっちを一切かえりみることのなかった本城が、立ち止まって振り返る。
若干、身体を緊張させながら、郁乃は彼の傍らに立った。
本城の家を見て、思わずため息が漏れた。
両親が大学教授の郁乃の家は、平均的な家屋と比べればそれなりに大きい部類に入る。
だが、彼の住居はそんなものとはレベルが違った。庭だけで、普通の一軒家が敷地ごと収まりそうだ。
何しろ、玄関にたどり着くまでにだいぶ歩かなければならない。
家そのものも、採光用の丸窓がシャボン玉のように配置されるなど、かなりお洒落な外観をしている。まさに、『THE 上流階級』という感じだった。
ここに、神秘のヴェールに包まれた彼の生活の一端が露わになる。
「本城」と郁乃にはよく判らないが、高そうな感じの石でできた表札の門扉を彼は押し開けた。
そのまま、歩いていく。
こちらのリアクションに対する反応はなかった。
それがまた、「勝者の余裕」という感じで、昨日今日金持ちになった人間、正確には、高収入なのは親なのだろうが、とは違う感じがした。
って違う違う――郁乃は、かぶりを振った。
本城家の威容に圧倒されて、テレビのお宅拝見の気分に陥っていたのだ。
軽い散歩のノリで庭を横切り、玄関にたどり着く。
本城は、扉の脇の機械に手首を押し当てた。機械的な音を鳴り、ガチャッと玄関のカギが自動的に開いた。
静脈認証かあ、郁乃はいかにも金持ちの施錠に感心する。本城が家の中に姿を消した。
「え?」
カギが閉まる音がした。
ああ、そうかお金持ちの家なんだから、家屋にオートロックシステムが採用されていてもおかしくないか、と頭の中の妙に冷静な部分がそう分析する。
「えーと」
どうすればいいのか分からず、郁乃は後頭部を掻いた。
しばらくして、
「何をしてるんだ?」
本城が、彼にしては珍しく感情を表した怪訝な顔で扉を開けた。
「ちょっと、ぼーっとしてたから」
あなたの家のお金持ちぶりに圧倒されてました、とは言えず、恥ずかしさから歯切れの悪い口調で応える。
「そうか」
彼は背を向けて扉の向こうに消えた。
今度は、締め出されないように郁乃は扉に手をかける。家の中へ入った。
天井、高ッ――開放的過ぎて、落ち着かなくなる広さの玄関だ。
玄関の壁には、何やらまた高額そうな絵画がかかっている。その絵は、大型液晶テレビの画面ほどの大きさがあった。
「お帰りなさい、功貴さん」
エプロン姿の初老の女性が、廊下の奥から姿を現す。
「ただいま、三嶋さん」
本城が、顔も見ずに挨拶だけ返した。
靴を脱いで、正面左手の方に位置する階段を上る。
取り残された郁乃と、女性の目が合った。
「あら、お友達の方ですか?」
女性は、笑顔を浮かべて訊く。えくぼのできる優しげな笑みだった。
「え、ええ、そうです」
アタシ、友達だったかな、と戸惑いながらもとりあえず肯いた。
「どうぞ、上がって下さい」
彼女に促され、郁乃は靴を脱ぐ。きちんと踵を揃えて並べた。
「家政婦の三嶋淑子です」
彼女は、白髪混じりの頭を軽く下げる。
か、家政婦を見たあああああああああッ――一文字違いで、昔の国民的な覗き魔の登場するドラマのタイトルになる叫びを、郁乃は胸中で上げた。
上体を戻した彼女は、小首を傾げる。一瞬、その仕草の意味を郁乃は図りかねた。
ああ、そうか自己紹介――。
「本城くんのクラスメートの麻縫郁乃です」
「そう、郁乃さん、いい名前ね。功貴さんをよろしくお願いします」
三嶋は、再び頭を下げる。
その様子に、郁乃は恐縮した。
だが、ふと脳裏に疑問が浮かぶ
よろしくお願いしますって――深い意味にも取れるが、彼女の微笑からその真意を読み取るのは困難だった。
「こっちだ」
郁乃が、三嶋とやり取りを交わしてる間に、本城は着替えを済ませたらしい。
Tシャツにジーンズというラフな姿の彼が、姿を現した。
背中を向けて再度、階段を上る彼を郁乃は早足に追う。
初めて訪れる他人の家は、どうも落ち着かない。
必死に警戒心を保とうとするが、何だかそわそわしてしまう。
大丈夫、ベルゼブブが――心のうちでその事実を反芻しようとして、はたと郁乃は気づいた。
ここは家の中だ。彼は、遠くからこちらを見守っている。イコール、家の中に入れなかったのではないか? 郁乃の背中を、悪寒が走った。
しかし、気づいたときに遅い。部屋数いくつだ! という廊下を歩いて、彼の部屋の前にたどり着いていた。
本城が足を止めて、扉のノブに手をかける。
「クソ野郎、帰ってきやがったか! ここから出しやがれ!」
ドアが開いた途端、罵声が飛んできた。
アラストルの声だ。そう思ったら、郁乃の身体から力が抜ける。
安堵の息が漏れた。
無事だったんだ――元気(過ぎ)な声を聞いて、胸をなで下ろす。
本城と連れ立って、彼の部屋に入った。
部屋の隅に小型犬用のケージが置いてあり、その中にアラストルの姿があった。
ケージには、何やら幾何学紋様があちこちに施されている。
図書館の一部を移築しかかのような立派な作りつけの本棚があり、ぎっしりと難解そうな本が並んでいた。
本城の部屋は、よくホームドラマで目にする「夢のマイホームのリビング」より断然広い。壁際には本棚が並び、ぎっしりと難解そうな本が並んでいる。
窓際には、シングルサイズのベッド。その反対側には、勉強机とデスクトップパソコンが置かれた専用のデスクが配置されている。
「ちょ、お前、どういうことだ?」
アラストルが、尻尾をぶんぶん振って驚いた。
「本城くんに保護してもらったあんたを、迎えに来たのよ」
呆れた声で告げる。
「保護ォ? ちげーよ、こいつは俺を魔法陣で閉じ込めやがったんだ」
アラストルが歯を剥き出しにして彼を睨んだ。
「主人のもとから逃走したと聞いていたからな。悪意はない」
本城は、淡々と理由を述べた。
「ガード、魔法陣を解いてくれ」「はい」
彼の声に応え、勉強机の上に置いてあった革表紙の本から人影が姿を現す。
「おぉ」郁乃は、小さく声を上げ驚愕した。
その反応に、本城はちらりと視線をこちらに向ける。訝しげな色が浮かんでいた。
悪魔――ガードは、小学校中学年ほどの少年だった。理知的な風貌の悪魔だ。背中が大きく開いた黒い装束に身を包んでいる。なぜ悪魔と分かるかというと、背中に蝙蝠の羽が生えているからだ。
頭の片隅が痒くなるような、かすかな既視感を覚える。だが、その原因となる記憶が思い出せない。
何なの? スッキリしない気分だ。
まあ、ともかく――たどるのが困難な記憶なら、そんなたいした事ではないだろうと思考を切り替える。これで、本城が天使の仲間であるという線は完全に消えた。
連中は家に悪魔を保護しているだけでも、潔癖なことに襲いかかってくる輩だ。まず、悪魔を従える人間を仲間にしたりしないだろう。
それにしても、本物の魔法使だったんだ――郁乃は、その事実に驚いた。
イギリス人のハーフの祖母は魔法使いだったが、まさかそれ以外の魔法使いとこの現代において出会うとは思ってもみなかった。しかも、その人物は偶然にもクラスメートだ。
まあ、冷静に考えたら、悪魔や天使がいるぐらいだから、魔法使いがいてもおかしくないよね――。
郁乃は、今までの出来事を思い返し一人納得する。
こちらを視線でとらえたとたん、ガードの表情が強張る。
? どうしてそんな表情をするのか、郁乃は分からなかった。
「どうした、ガード?」「いえ、何でもありません」
本城の言葉に首を横にふって、彼はケージに歩み寄る。
ガードが何やら郁乃の知らない言葉を唱えると、ケージの紋様が掻き消えた。彼がケージの扉を開くと、アラストルが憎々しげな顔をしながら飛び出してくる。
閉じ込められたことが、腹に据えかねているようだ。
「元はといえば、あんた保健所の人に捕まるから悪いんでしょ」
「ウルセェよ。腹が減ってた上に、魔力が切れてたんだ」
郁乃の言葉に、アラストルは悔しそうに応える。
「ありがとね」
郁乃は、本城の方を向いて礼を言った。まだ、礼を述べていないことに気づいたのだ。
「いや、同志だからな」
本城は、当然という口調で応じる。




