少女とオタクの休日
時間は遡り、界斗が自転車に乗って嫌々ながらも舞歌の家に向かおうとしていた頃。
「み、美衣香ちゃん、待ってよ~」
両手両肩に大量の紙袋を持った少年、田辺藻武男はふらふらとした足取りで秋葉原の大通りを歩いていた。それぞれの紙袋には女性に人気の高級ファッションブランドのロゴが刻まれている。
「もう、モブオくん、早く早く。のろのろ歩いても許されるのはカメさんだけなんだから」
田辺の前を身軽な格好で歩いていた少女、東雲美衣香は身を翻してため息をつき、腰に手を当てて呆れた調子でそう言った。
二人は都内の高級ファッションブランド店を色々と回って買い物をした帰りだった。二人で買い物と言っても、買ったのは美衣香の服だけで、しかもそのお金はすべて田辺の財布から支払われたわけだが……。
そして今、買った諸々《もろもろ》の服もすべて田辺が運んでいるという有様である。
「せっかくモブオくん家に寄ってあげようとしているのに、こんなに遅いペースなら私もう家に帰っちゃうよ」
服を買ってもらってばかりでは申し訳ないという気持ちからか、美衣香はこの後田辺の家に寄って、彼の好きなアニメの話を聞いてあげる予定だった。田辺は学校にそういうことを話せる友達がいないのか、そもそも友達すら一人もいないのか、アニメのことを好きなだけ話せる相手を求めていた。そのことを美衣香は見抜いていたので、アニメの話を聞いてあげる代わりに、彼には色々と普段から貢がせていた。田辺の家は金持ちで、彼自身も今の関係に不満を持っている風ではなかったので、周りから見れば歪んだ関係に見えるだろうが、二人の間ではwin-winな関係が成立していた。
「そ、そんな~」
季節は秋で、今日は気温が低めの日であるにも関わらず、田辺は全身汗だくだった。荷物を抱えて長時間歩かされたことに加え、彼自身がぽっちゃりとした体型の汗っかき体質であることも影響していた。……それでも、彼の顔にはどことなく愉悦感が漂っている。
そばで田辺のことを見ている人がいたら、彼の性格はMだと断言したに違いない。
そんな風にして美衣香の数歩後ろをおぼつかない足取りで歩いていた田辺が、ふと視界の端に目をやると、見知った人物が目に入った。
「――あ、あれって」
「ちょっとモブオくん、しゃべってないで足動かしてよ」
今度は顔だけで後ろを振り返った美衣香は、不満を言いながらも彼の視線の先を何気なく目で追って、
「で、《あれ》って?」
ぞんざいに尋ねた。
そんな風にあしらわれても彼が全く不快に思った様子はなく(むしろどことなく嬉しそうだ)、
「ああ、うん。あの男の人なんだけど、……黒髪で身長の高い、スーツを着た人ね。あの人、僕の学校の先生なんだ。待平先生って言って、マッツンってみんなからは呼ばれてるんだけど。それで、見知った人だったから、つい……」
そんなしょうもないことを気にしている暇があったら足を動かしなさい――と彼女に再び叱られるとでも思ったのか、消え入りそうな声だった。
けれど、彼女が彼に浴びせたのは罵声ではなく、
「……隣にいる女の子は? モブオくんの知り合い?」
質問だった。その口調は穏やかだったが、田辺には彼女が努めて感情を抑え込もうとしているように感じられた。加えて、彼女の表情からは微かに諦念の匂いが漂っていた。
「え、えーっと、隣の女の子は、……見たことない、かな。あの部活ジャージは、校内で着ている人を見かけたことがあるから、うちの学校の生徒なのは間違いないと思う。……それと、一年生か三年生だと思う。同学年じゃ見かけたことのない顔だったから」
「そう、……ならいいわ」
彼女はそれだけ言って、待平たちから目を離そうとしたが、今度は彼女も知っている人物が待平たちの後を追うようにして自転車を押して走っていく姿が目に入った。
「あ、あれは、古遣くん、だね」
田辺も走る界斗の姿を見つけたようだった。
「な、何してるんだろうね」
田辺は呑気な風にそう言って、それで話を終わりにするつもりだったのだが、前に立つ美衣香の顔を見ると、彼女は険しい表情を浮かべていた。これほど真剣な顔をする彼女を見るのは初めてだ、と田辺は思った。
「ど、どうかしたの?」
「モブオくん、この辺りのオタク仲間に界斗さんを追跡するように頼んでもらえる?」
「そ、それは構わないけど……。僕たちで追いかけたらいいんじゃない?」
「モブオくんは顔が割れているし、気づかれるかもしれないでしょ。……それに、私が追いかけるのもあんまりだし」
「そ、そうだよね。分かった、連絡してみるよ」
「ありがとう、モブオくん」
美衣香は洗練された笑みを田辺に向ける。彼がオタク仲間に連絡を取るために「え、えーと、とりあえずこの辺りにいるメンバーは――」と携帯の画面と睨めっこを始めるや否や、彼女自身も携帯を取り出して、
「私もできることをしなきゃね。……この借りはあとでしっかり返してもらうんだから」
と呟き、頼りになる人物に電話をかけた。




