悪魔は少年と邂逅する
「帰ろっか」
家に向かって歩き出そうとする佐久間の横に並ぶため、身を翻そうとした悪魔だったが、校門から出てきた少年を見て、驚きのあまり足を止めた。
「どうしたの?」
突然に動きを止めた悪魔に、佐久間が小首をかしげてそう言った。しかし悪魔の意識は完全に少年に向いており、彼女の言葉は耳に入っていなかった。
校門から出てきた少年は二人いた。
一人は身長百八十センチのひょろりとした少年で、手入れの行き届いたストレートの茶髪をしていて、顔は容姿端麗といった言葉が霞むほどのイケメン。もう一人は百七十センチと隣の彼よりは低めだが、それでも平均よりは高く、こちらは黒の短髪で、顔立ちはかっこいいというよりも可愛いといった感じだった。佐久間と同じ部活のジャージを着ていることから、彼らもバドミントン部の生徒だろう。
彼らは校門を出るや否や自転車に跨って、並走を始めた。
おしゃべりしながら悪魔たちのいるほうへとやってくる。
悪魔が凝視していたのは、黒の短髪の少年だった。
「界斗っち、まさやん、またね」
彼らに気づいた佐久間が声をかけると、
「おつかれーっす、部長」
「……おつかれ」
茶髪の少年はチャラい口調で、黒髪の少年はかろうじて聞き取れるほどの小さな声で答え、そのまま悪魔たちの横を自転車で通り過ぎようとする。
すれ違う際に、黒髪の少年の瞳が、佐久間の隣にいた悪魔へと向けられる。
――少年の左の瞳の奥に、燃えるような赤い炎が宿っていた。
それは、天使しか持たないはずの赤い炎。
……まさか、彼がこの世界の天使なのか。
悪魔は警戒レベルを最大限に引き上げる――と言っても、人間の体でできることなんてたかが知れている。
悪魔は目の前の少年に殺されることを覚悟した。
だけど、そうはならなかった。
少年はそのまま悪魔から視線を外し、何事もなかったようにすぐ横を通り過ぎて行った。
……見逃された? いや、たとえそうだとしてもあまりにも無反応すぎた。まるで悪魔だということに気づいていないようだった。
悪魔は困惑したが、すぐに別の可能性に思い至る。
ひょっとすると彼は天使ではない? だが、だとするとどうして彼が「天使の眼」を持っていたのか……。
天使の眼と悪魔の眼はその性質はどちらも同じで、対象の天使度と悪魔度を視ることができる。しかし、宿す炎の色が異なる。
天使の眼に宿る炎は赤く、悪魔の眼に宿る炎は青い。
虹彩の色は様々だ。宿す炎と同じ赤い虹彩をした天使もいれば、彼のように虹彩は黒い悪魔もいる。
この事実は天使と悪魔にとって当たり前のことで、彼らが初めて対象を目にするときは、まず対象の瞳の奥に炎が宿っていないかを確かめるのが常識である。天使がその常識を身に着けていないはずがなかった。先ほどの少年が天使なら、悪魔の瞳に宿る青い炎を見落とすなんてあり得ないし、彼の正体が悪魔であることが分からないはずがない。
あの少年は天使ではない。
悪魔はそう結論づけた。
だとするとあの少年の瞳が赤い炎を宿していたのはどうしてか、という話になるわけだが、それについて悪魔は一つの仮説を持っていた。
その仮説というのが、天使から譲り受けたというものである。天使や悪魔を問わず、その行為がとても珍しいものであることは知っていた。現に悪魔は未だかつて誰かに炎を譲渡したことはない。しかし、先ほどの少年が左の瞳だけに赤い炎を宿していたことを踏まえると、天使から授かったと考えるのもあながち間違っているとは思えなかった。
隻眼に炎が宿る天使や悪魔などもひょっとするといるのかもしれないが、今その可能性についてとやかく考えても無駄だろう。この世界で例えるのなら、「どこかに白いカラスがいるのではないかと考える」のと同じことだ。
次に考えるべきことは、あの少年が「どの」天使から赤い炎を授かったのかという点だろう。
この世界の天使なのか、あるいは――アタンの天使なのか。
後者であれば、天使もまたこの近くに飛ばされたということになる。
天使が日本にいることは知っていたし、それが何かの偶然という可能性もあるかもしれないと考えていたが、飛ばされた地域(秋葉原)までが一緒だったとなれば、もはや神がわざと近くに飛ばしたと考えるのが妥当だ。神の思惑は不明だが、早いうちにガチンコ対決を見たいという思いがあったのかもしれない。
もし本当に先ほどの少年の近くにアタンの天使がいるのなら、三年後の日本と言わず、近いうちに狭いフィールド(秋葉原)で正面から数を競い合うことになるだろう。
「あっくん? どうしたの、ぼんやりしちゃって」
考えに耽っていた悪魔の顔を下から覗き込む佐久間に、
「……いや、何でもない」
悪魔は首を振って、彼女と並んで帰り道を歩き始めた。
「私も自転車通学にしよっかなー」
彼女の家である喫茶店「ベルモント」から学校までは、徒歩で二十分ほどの距離がある。確かに自転車という選択肢もありだと思う。
「徒歩でも通えるから別にいいかなと思って一年半くらい徒歩通学してたんだけど、自転車にしたら通学の行き帰りに不審者に襲われにくくなるでしょ。そうしたらあっくんが送り迎えしなくてもよくなるし。私の通学時間も短くなって一石三鳥? だよね」
「自転車は持っているのか?」
「持ってたら自転車で通ってるって」
彼女はそう言って苦笑し、続けて、
「まあ、小学生の頃の子ども用自転車、見た目がピンクピンクしているのならあるけど、中学生にもなってあれに乗るのは恥ずかしいし、サイズ的にも小さすぎてペダル漕ぐの大変だろうから……お父さんとお母さんに新しく自転車買ってもらえるか要相談かな」
午後から部活の練習なのか、道の向こうから三人の女子中学生が歩いてくる。彼女たちはそのまま佐久間の横を通り過ぎて学校のほうへと向かっていった。互いに声をかけなかったところを見るに、別の学年か、あるいは声をかけ合うような間柄ではなかったのだろう。
「あ、でも自転車にすると、陽子や穂香と一緒に帰れなくなっちゃうのか……あ、陽子と穂香っていうのはさっき私と一緒に帰っていた女の子ね」
佐久間は残念そうに肩を落とす。
「一緒に帰るときは単に自転車を押して帰ればいいだろう。一人で帰るときに徒歩だと誰かに襲われやすくなるっていうのが、自転車に乗ろうと考えた元々の理由なわけだから」
「お! あっくんの言う通りだね、ナイスアイデア」
彼女は親指を立ててウインクした。賞賛を送った相手の正体が悪魔だと知ったら彼女がどんな反応をするのか少しばかり興味があったが、もちろん彼が自身の正体を明かすことはなかった。




