執事は悪魔の天職か
先ほどの女性客に呼ばれて、悪魔はテーブルへと向かう。
悪魔は記憶喪失という設定だったが、記憶喪失にも色々と種類があり、悪魔の場合は喫茶店の仕事に支障がないレベルの記憶喪失であったため(何とも都合のいい話だが……)、佐久間の両親たちは喫茶店での仕事をする分には問題ないと判断し、悪魔をアルバイトとして採用した。さらに悪魔が二階を住み込み先として使うことも許可していた。
悪魔(熊谷阿久多)の捜索願が出されていないか、戸籍登録はされているかなど警察のほうで調査が行われているようだが、連絡がないところをみると結果は芳しくないようだ。まあ、それも当然ではある。熊谷阿久多なんて偽名だし、捜索願や戸籍があるはずもない。あったら逆にビックリである。
「お嬢様、ご注文はお決まりでしょうか」
文句のつけようがないほど綺麗なお辞儀に、その女性客は一瞬言葉を失った。
「……ええ、パンケーキとカフェラテをもらえるかしら」
ここに来る女性は好んでお嬢様言葉を口にする人が多い。それもそのはず。そもそもここはそういう客のための場所なのだから。
「かしこまりました、お嬢様」
だからこそ悪魔もまた当たり前のように恭しく受け答えをする。
息をするように嘘を吐いてきた悪魔にとって、執事喫茶での仕事は気楽なものだった。
口先だけでは嘘はつけない。
目元や口元、頬の筋肉などありとあらゆる顔の筋肉を使って嘘をつかなければ、相手に簡単に見破られてしまう。
それだけじゃない。
声音や手足の動きなど全身をもって身体を制御下に置いて、偽って、そうして初めて嘘は紛れもない本当の嘘になる。
数千年を生きてきた悪魔だからこそ身につけられた嘘の極み。
そんな彼にとって執事喫茶で執事を装うなど造作もなかった。
もちろん悪魔は始めから執事なる職業を知っていたわけではなかった。佐久間の両親から資料(アニメや漫画)を渡されて勉強し、執事とは何ぞやを学んだ。
「お嬢様、パンケーキとカフェラテをお持ちしました」
トレーに乗ったそれらを音もなく彼女の前に差し出す姿はまさに執事の鏡であった。
「お望みでしたらパンケーキにメッセージをお書きしますが、いかがいたしましょうか」
蜂蜜のボトルを片手に持ち、もう一方の手でメニューを開いて色々なメッセージの定型文が記されたページを示し、執事は主の言葉を待つ。
「そ、それでは、これでお願いするわ。――久美子、でお願い」
ほんのりと頬を染めた女性客が指差したのは、「親愛なる〇〇お嬢様」というものだった。○○には好きな名前を入れることができる、人気のメッセージだ。
「かしこまりました、久美子お嬢様」
メッセージを選んでもらうというこの工程には、客の名前をさりげなく聞き出すという目的もある。このような場所で客が自分から名前を告げるのは中々に勇気がいることだからだ。もちろん自分の名前を言いたくないという客のために、○○の部分がないメッセージも用意されている。このように様々な客を受け入れるための配慮を欠かさないことによって、執事喫茶「ベルモント」は秋葉原の人気喫茶店の一つに名を連ねていた。
久美子の前にあったトレーを悪魔はさりげなく自らの手元に引き寄せ、蜂蜜のボトルを優雅に構えたかと思うと、流れるように金色の文字をパンケーキに刻んでいく。
その光景はまるで氷の上を舞うスケーターのように美しく、久美子は思わず息をのんだ。
あっという間に演舞は終わり、再び彼女の前に黄金のパンケーキが差し出された。
「お待たせいたしました、親愛なる久美子お嬢様」
爽やかなイケメンボイスで決め台詞を告げた悪魔に、久美子のハートはあっさりと射貫かれた。
「それでは、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
放心状態の久美子の隣で悪魔は優美に一礼すると、ゆるりとその場を立ち去った。




