生徒会長はどうでしょう
「――界斗に見せよっか」
思考に浸り無意識のうちに周りの音を遮断していた界斗だったが、自身の名前を呼ばれ、周囲の音がかたちを取り戻す。
目の前のカーテンが引かれ、中から姿を見せたのは、白のシャツにゆったりとした紺のニットカーディガンを羽織り、カーキ色のスエードスカートを履いた少女だった。
「どうよ?」
隣に立つ伊予が渾身のコーディネート(着せ替え人形)を自慢するように胸を張る。
紺やカーキといった落ち着きのある色を纏った彼女は大人びて見えたし、腰ほどまである流れるような白い髪は一層輝きを放っている。
「ほらほら、あんた彼氏でしょ。ボケーっとしてないで何か言いなさいよ」
実際は彼氏という《《設定》》にすぎないのだが、
「あ、うん、……似合ってる」
女の子の服装を見て感想を言うのは生まれて初めてだった。よくアニメや漫画なんかで主人公の男子が待ち合わせで女子に服の感想を述べるシーンがあって、いつも界斗は観るたびに「なんでそんなありきたりな感想しか言えないんだよ。もっと他になんかあるだろ」と上から目線で思っていたわけだが、彼もまた空想上の彼らと同じ穴の狢だったらしい。
だが、ここから先の展開がアニメや漫画とは違っていた。
普通それらのエンタメ作品では感想を受け取った女子が「……ありがとう」と頬を赤らめながら感謝を述べたり、あるいはツンデレキャラだと「ちょっとやめてよ、気持ち悪い」と絶対零度の返答があったりといった何らかの反応が見られる。
しかし、天使はきょとんとしているだけで全くの無反応だった。
もしエンタメ作品でそんな展開があれば読者としたら肩透かしもいいところだろう。肯定的か否定的かによらず女の子から何らかの反応が返ってくることを期待して読んでいたのに……と。
服装を褒められるのがどういう意味を持つのか、そしてどう反応したらいいのか、そもそも何かしらの反応を返すべきなのか、まるで分からない――天使の気持ちを代弁するとしたらこんなところかと界斗は思った。
アキバに棲息するオタクであれば、新ヒロインの誕生に諸手を上げて喜んだに違いないが、あいにく界斗はオタクではなかった。
「杏ちゃんももうちょい反応してあげてもいいと思うんだけど……」
女の子でオタクでもない伊予にも新ヒロインの良さはからっきし伝わっていないようだった。
そんな風に刹那沈黙した空気を打ち払うがごとく、界斗たちの横から声が飛んでくる。
「会長!」
振り返れば、先ほど埋まっていた一番奥の試着室から一人の女の子が出てくるところだった。彼女は驚いたようにこちらを見つめ、靴を履こうとして屈み込んだ姿勢で固まっている。赤いショートスカートに黒のニーソックスを履き、白のリブニットセーターを身に着けた彼女は、試着し終わったと思われるこの店の服を片手に持ち、もう片方の手で履いた編み上げブーツのファスナーを上げようとしていた。
彼女が固まっていたのは一瞬で、すぐさまブーツを履き終えると、パタパタと足音を鳴らしながら近づいてくる。
界斗は初対面の女の子から「会長」などと呼ばれるような人生は送ってきていない。天使も日本に来たばかりだ。となると、誰が「会長」なのかは明白で――。
「舞歌じゃない、久しぶりね」
試着室から顔を出していた伊予が、舞歌と呼ぶ少女に声を掛けた。
「お久しぶりです。まさかこんなところで会長にお会いできるなんて夢のようです。服を買いにいらしたんですか? よければ私にも一着、いや二着と選ばせていただきたいのですが!」
舞歌は伊予たちのいる試着室の前で急ブレーキをかけるように立ち止まると、試着室の中にいる伊予に向かってぐいぐいと身を押し付けるように迫る。彼女の目には天使も界斗も映っていないようだった。
「私はもう会長じゃないって何度言ったら分かる……。まあいいか、それよりも今日は別に私の服を買いに来たわけじゃなくて、この子の服を買いに来たの」
そう言って伊予は後ろにいた天使にちらりと目をやる。ここにきてようやく舞歌も彼女のことに気がついたようで、
「すごい美人さん! もしかして外国の方ですか、ホームステイで先輩のうちに泊まっているとか。あ、ひょっとして会長の親戚とかですか――羨ましい!」
一人で色々と想像を巡らせる舞歌を見て苦笑する伊予は「また始まったか」とでも言いたげだったが、その瞳にはどこか懐かしいものを見つめる優しげな雰囲気が感じられた。
「違う違う、杏ちゃんは弟の彼女。――舞歌の後ろに立ってるでしょ」
体は伊予に向けたままで舞歌はぐるんと顔だけを後ろに向けると、「……本当だ」と独り言のように呟く。
「こんにちはです、会長の弟さん」
それだけ言うと彼女は再び顔を元に戻し、伊予に話しかける。
「会長がいなくなってからというもの、学校はカオスですよ、カ・オ・ス。暴走族に入っている男子生徒が体育館の物品を勝手に持ち出したり、元ヤンの女子生徒がピアスをして登校してきたり、ほんとめちゃくちゃですよ……」
彼女はズドーンと今にも効果音がしそうな風に肩を落とす。
「何を弱気なこと言っているの。そこは生徒会長である舞歌の力の見せ所でしょ」
「そうですよね……。分かってはいるんですけど……」
どうやら舞歌は生徒会長をしているらしい。……って、ちょっと待てよ。
「でも、そうは言っても、もうそろそろ次の生徒会長を決める時期でしょ。舞歌の代でそれらのいざこざを丸く収めるのは難しいでしょうね。だけど、そこにいる私の弟が学校を変えてくれるかもしれないわよ。何せ私の弟だからね」
面白い企みを思いついたときに見せる笑みが、界斗に向けられる。
そう、伊予は今高校二年だが、中学のときは界斗と同じ高坂中学に通っていたのだ。舞歌は伊予と同じ中学に通っていて、なおかつ今の生徒会長を務めているということはつまり、舞歌は界斗の一つ上で、高坂中学三年生で、そして高坂中学の現生徒会長ということになる。
そう言われてみると、確かに学校で見たことのあるような……。
私服と制服ではだいぶ印象が変わるものだし、学校では一応化粧は禁止されている(伊予曰く多くの女子生徒はそれとなく化粧をしているようだが、男子で化粧をしたことがない界斗から見て、相手が化粧をしているのかいないのか、その違いがよく分からない)から、その辺の理由で舞歌のことを初対面だと思ってしまった、というところだろうか。
うん、そんなことを考えているうちに、確かに舞歌を見るのは初めてじゃない気がしてきた。そう思いたいというただの自己暗示かもしれないが。
舞歌は再び顔だけを後ろに立つ界斗へと向けると、
「弟さんは何年生ですか?」
となぜか年下に対して敬語で問うてきた。敬語は彼女の癖みたいなものなのかもしれないと取り敢えずそれらしい理由をつけて界斗は彼女の質問に「二年生です」と答える。
「二年生さんですか、それは確かにちょうどいいですね」
彼女は何やらよく分からないことをこれまた独り言のように呟くと、再度伊予のほうに顔を戻すと、真剣な顔つきで、
「会長も一肌脱いでくれるって考えてもいいですか?」
「伊予も試着するのか」
誤解した天使が何やら言っていたが、それにツッコミを入れている場合ではなさそうだと界斗の直観が告げていた。彼の知らないところで勝手に取り返しのつかないところまで話が進められようとしている気がしてならない。
「ちょっと待て、何の話をしているんだ。僕を巻き込んで何かをするつもりじゃないだろうな」
伊予のことだ。界斗が何も言わないでいると、これ幸いと話を決定稿に持っていくだろう。それは断じて阻止しなければ。……せめて何かに巻き込まれるにしても、彼自身の意見は最低限でも反映させておきたい。
巻き込まれる際の被害は最小限に。
それは、伊予と十四年間付き合ってきた界斗が心掛けていること。
伊予の前に考えなしに無防備に立つことは、荒波に自ら飛び込む行為に等しいことを、彼はこれまでの経験から学んでいた。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
そんな言葉もあるが、こと伊予と関わる際には愚者も大いにご満悦。高らかな笑い声を上げることだろう。
しかし、今回はこれまでのものとは一味違っていた。つまり、かなりひどい荒波だった。
伊予は界斗を見て、にやりと悪魔のような笑みを浮かべて、――信じられないことに、こう言ったのだ。
「界斗、あんたが次の生徒会長になるのよ」




