3話:さすらう者ととある監視人
それは、突如として現れる。
黒き鎧を身にまとい、白銀の大剣を携えて、それは現れる。
音も無く、兆しも無く、気づけばそこにいる。
それは騎士のような格好で、人々の前に姿を表すとされている。
漆黒に彩られた装甲は、あらゆる攻撃を弾いてきた。剣を、あるいは魔法を、時にはドラゴンのブレスさえもその装甲は引いてみせた。
白銀の大剣は、彼が握るとまばゆい光を解き放ち、敵対者はその一閃すらも捉えること無く息絶える。切られた事も、痛みすら感じずにその生涯を終わらせてしまう。彼は、さすらう者。ナニカを探し、ナニカを求めて現れる。しかしまだ、彼は知らない。己が何を探し、どうしてそうなったのか。彼はまだ、さすらう理由を知らなかった。今日もまた、彼はさすらうのだろう。己を蝕む強い意思によって。
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1階層~10階層を管理する監視人はいつもと違う光景を目にして驚愕の表情を浮かべていた。それは1階層である区画にゴブリンウォーリアが一匹も居なくなっていることに気づき調査を始めたことから始まった。魔物が枯れることはこの迷宮ではよくあることだ。特に上位層になればレベルをあげるために積極的に魔物を狩る魔王が現れる。24時間が経過すれば魔物は再び生成され蘇るため、監視人も魔物の乱獲について介入することは無い。しかし、この初級階層においてはそんなことは一度も起こったことが無い。そもそも初級階層に送られるような魔王など本来存在しないはずなのだ。
今まで確認されている魔王で最も脆弱な魔王ですら60階層スタート。1階層など
魔王が踏み入るような場所では無いのだから。故に監視人は記録された映像に目を通し異質な連中の姿を確認することになった。ゴブリン3匹を引き連れた『犬』
それが最初、魔王であるなどと考えもしなかった。しかし音声解析を行った結果
それが魔王であると周囲のゴブリンたちが証明していたのだ。魔王が『犬』
その事実だけでも少し驚かされたものだ。本当にただの犬であるから笑えないのだが。
そもそも犬がなぜ魔王核を有しているのか、なぜそんな魔王がこの大迷宮にいるのか、疑問が尽きることがなかった。何よりも驚かされたのは『犬』が行使した複数の魔法である。監視人はあらゆる分野で最高の教育を施された者が到達する職業である。つまり現時点でこの世界に存在するありとあらゆる知識を監視人は身につけているのだ。それは最高の魔法技術も例外ではない。監視人の中ではまだ新参の身ではあるが、私は魔法構築に関しては他の監視人よりも秀でていると自負している。研修過程を終えれば、私は上位階層へ配属されることになるだろう。教育機関での成績はトップクラスであり、魔法学においては新たな魔法すら作り出して見せた。そんな私から見てもあの『犬』の魔法は出鱈目であった。なぜ初級魔法であるプチファイアーがあれ程の威力を発生させることができるのか。なによりあの火の質は神魔の魔法ではないのか?神の火をただの下級ゴブリンが放つなど理解ができない。誰でも使える魔法では無いはずだ。そして、あの身体強化の魔法もおかしい。ゴブリンが一刀で格上のゴブリンウォーリアを切り裂く様や、なんの変哲もない矢が、熟れた果実を貫くようにして脳天を吹き飛ばす様、これが本当に下級の魔物のちからなのか疑問に思うのだった。そもそも、身体強化魔法とは多くて2倍程度の上昇効果しか無いはずだ。2倍という数値もなにかを犠牲にしてようやくたどりつける域といっていいだろう。だが見るからに彼らにそういった負担は課せられていないようだ。それどころか、その身体能力を5倍近く引き上げている。おかしい、出鱈目すぎる。あの魔力増強の魔法も然り、神でも無い存在が、なぜ魔力の器を拡張できるのだ。ありえない。ありえない。私は夢でも見ているのだろうか。私は彼らの軌跡を追って2階層へ足を踏み入れた。そこは、普段であれば植物系の魔物、プラントフラワーが縄張りとしている区画で、魔草が生い茂る緑豊かな森が存在しているはずの場所である。だが、しかし、今、目の前にあるのは緑一つ無い荒野であった。
何一つ残っていない。あの美しかった森がもはやその見る影も無いのだ。
森に思い入れがあったわけではないが、ここまでできるものなのか。彼らには躊躇という言葉が存在しないのではないのだろうか。ここでも映像を確認することになった。この荒野を作り出した原因であろう者たち。やはり奴らだ。魔物を焼き払いながら笑顔で虐殺していく彼らを見ていると、魔王という一族がどれだけ残忍なのか理解できた。彼らからしてみれば、ただ、目の前にある邪魔な木々を燃やしているだけなのかもしれない。しかし、それは魔物なのだ。
何度も、何度も聞こえてくる魔物たちの叫び声。しかし彼らはそんな声に耳を傾けること無くものの数分ですべての木々を焼き尽くしたのである。恐ろしい連中だ。
仮にも命あるものをなんの躊躇もなく虐殺して見せたのだ。あれが魔王か、新任の監視人は魔王という存在を改めて認識したのだった。
3階層の虫系の魔物、ウォータアントや、4階層のファイアーウルフなど、その階層に存在するすべての魔物を狩り尽くし、彼らは進んでいく。まるで虐殺を楽しむようにして笑顔で進んでいくのだ。狂っている。私はそう思わずにはいられなかった。まるで殺害を楽しんでいるかのような笑顔。あれは魔王の皮をかぶった悪魔に違いない。階層を進むごとにその思いは強くなっていった。ふと考える。
この先のフロアーはたしか第5階層。この迷宮では5、15,25といった階層ごとに中ボスモンスターが生成されるようになっている。ここは監視人の間ではスライム天国と呼称される区画だ。赤や青、緑や白といった色とりどりのスライムが地面を埋め尽くすほどに繁殖し、そのボスもスライムキングと呼ばれる巨大なスライムだったはずだ。中ボスであるスライムキングは間違いなく討伐されているだろう。しかし、流石に他のスライムは根絶やしにはされていない、いないはずだ。
なぜならスライムは無害なのだ。攻撃しなければ襲ってこない。このエリアボスであるスライムキングは別として他のスライムは皆温厚な性格をしている。この5階層は言わばボーナス階層。通常のモンスターが攻撃してこない温和な階層なのだ。
色とりどりのスライムたちを見て和む、そんな場所なのだ。私はそう自分を言い聞かせ5階層に足を踏み入れた。
「馬鹿な……」
膝から崩れ落ち、そして涙する監視人。彼が何を見たのか、何を感じたのか、彼は話そうとはしなかった。その日、新任の監視人は静かに辞表を提出し、大迷宮から姿を消したのである。
最後に彼はこう言い残したという。
「スライムたちがいたんです。楽しそうに遊んでいる風景が私は好きだった。赤や青、白や黄色、本当にきれいでした。幸せそうなスライムたち。楽しそうに花々の中で遊んでいる彼らを見るのが私は好きだったんです。アハハ、あは」
後に彼を見送った同僚は語る。
『正義感が強く、優しい人物でした。だからこそあの惨劇を目に当たりにして心が折れてしまったんだと思います』
その惨劇とはどのようなことなのか?映像が消去された今となっては知るよしも無いのであった。