05.まどろむお星さま
小鳥たちのさえずり声が聞こえてきて目が覚めた。
瞼を開けた向こう側には天蓋が見えていて、美しい模様が描かれたカーテンが目に映る。
「あれ……ここは……」
どこからどう見ても、室内だ。
昨夜の記憶は星の間でクロード様と話していたところで途切れており、話をしている途中で眠ってしまっていたのは明らかで。
そう結論が出ると頭が真っ白になった。
私は一日目から失態を犯してしまったのだ。つくづく、自分のことが嫌いになる。
クレアだったら絶対にこんな失敗なんてしないのに。
頭を抱えて落ち込んでいると扉が開いて、ティーセットを持つリリーとジャスミンが入ってきた。
目が合うとリリーはにっこりと元気いっぱいな笑顔を見せてくれる。
「アデル様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ、とっても……その、ここには誰が連れてきてくれたの?」
恐るおそる聞いてみると、クロード様が運んでくれたのだと教えてくれた。
クロード様には全力で謝りたい。眠っている私はとても重かっただろうし、寝顔を見られてしまったのが恥ずかしくてしかたがない。それらよりももっと気になるのが――。
「あ、あの……着替えは?」
「私たちがしたのでご安心ください。もし坊ちゃんがしようとたら私たちが命に代えてもアデル様をお守りしますからね」
「ありがとう……って、ええ?!」
「大丈夫です。坊ちゃんがなにか不埒なことをしようもんなら鉄槌を下して見せます!」
ふんふんと鼻息を荒げて力こぶを見せるような仕草をするリリーが可愛らしい。
クロード様にはお礼と謝罪をしよう。そう考えながら食堂に行くとお義父様とお義母様がにこやかに挨拶をしてくれた。しかしクロード様の姿はなく、席に置かれているナプキンも食器も綺麗なままで、使われた形跡がない。
「クロード様は眠っているんですか?」
「そうなんだ。星詠みの力を使うと疲れやすくてね。朝はいつもこんな感じだよ。だから星詠みはほかの魔導士より出勤時間が遅いんだ」
そう零すお義父様は現役で働いていた時のことを思い出したようで眉尻を下げる。
たしかに昨夜のクロード様は星詠みの後にぐったりとしていた。疲れやすいのなら、床に座らない方がいいのかもしれない。
そんなことを考えているとお義母様が両手をぱんっと合わせて、顔はきらきらと輝いている。まるでパーティーの準備でもしているかのような浮足立ったような様子で。
「いいこと思いついたわ。アデルちゃんに起こしてもらいましょう?」
「え?」
「クロードの寝室に行って起こしてあげて」
聞き間違いかと思ったけどそうではないらしい。
しかも、お義父様は顎に手を当てて思案を巡らせていたけど、そうだなと答える。
「クロードの理性が試されそうだが、目が覚めて目の前にアデルちゃんがいたら喜んで飛び起きるだろう」
「ええ?!」
そんなことはない。
むしろ安眠を邪魔されたら、優しいクロード様だって怒るはず。
だけど使用人たちはにこにこと微笑んでいるだけで誰もお義父様たちを止めてくれない。
特にお義母様が乗り気で、ナイフとフォークをお皿の上に置いてしまって朝食はそっちのけだ。
「大丈夫よ、アデルちゃん。リリーとジャスミンをつけたら安全だから」
「え、えーと……」
話が飛躍してついていけず、助けを求めてリリーとジャスミンに視線を向けると。
「「お任せください! クロード様からアデル様をお守りします!」」
と二人は胸を叩いて言ってくれる。
そのまま話はとんとん拍子に進んでしまい、朝食を終えるとリリーとジャスミンを伴ってクロード様の寝室を訪ねることになった。
゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜
「さあ、アデル様、ノックしてあげてくださいませ」
ジャスミンに促されるけど触れるのには勇気がいる。
ひとまず深呼吸して、そっと扉を叩いてみた。
もしかしたらもう起きていて身支度をしているかもしれない。いや、そうであって欲しいと一抹の期待を胸にして耳を澄ませてみたけどちっとも返事は聞こえてこなかった。
そのままリリーが扉を開けてくれたから、一歩だけ中に足を踏み入れてみる。
クロード様の寝室は私に用意してくれた部屋と変わらない内装だった。ただ一つ違うのは、クロード様の寝室には壁一面を覆う大きな本棚があるということ。
本は隙間なく収められていて、形も多きさも様々だ。
馬車の中で楽しそうに本の話をしていたクロード様の表情を思い出す。
どんな本があるのか見せてもらおうかな、なんて図々しくも考えてしまった。
窓辺にある寝台に目を向けると眠っているクロード様の顔が見えて心臓が早鐘を打つ。
眠っている姿を見てしまうと改めて罪悪感が湧きおこる。
後ろめたく思うのにその美麗な寝顔を見るとどうしようもなく惹きつけられてしまう。
改めて見るクロード様の鼻筋はすっと通っていて、伏せられた睫毛は長くて美しい金色で、微かに開かれた唇は形が整っていて少し艶やかな雰囲気を醸し出している。
ただ見ているだけで顔が真っ赤になってしまいそうになる。
こんなクロード様を前にして、どうしたらいいのかわからなくてまごついてしまった。
肩を叩くべきなのか、でも、それはやっぱり失礼に当たるから声をかけるべきなのか。
リリーとジャスミンに相談しようと思って振り返ってみると二人とも少し離れた場所からじっと私の様子を見守っていて。
「ジャスミン、アデル様が可愛すぎて悶え死にそうですわ」
「リリー、そんなことを言ったらアデル様が恥ずかしがってしまうからお口を閉じなさい」
それどころかこんな会話が聞こえてくるとさらに恥ずかしくなる。
このまま二人にじっと見られているのは酷だ。だけど状況を打開するにはクロード様に起きてもらうしかないようで。
こんなことをしていいのだろうかと迷いつつ、体をかがめてクロード様に話しかける。
「クロード様、」
「うん……」
「クロード様、起きてください」
もぞりと寝返りを打って薄目を開けたクロード様の瞳は、今日も星のように輝いている。だけど、いつもの精悍な眼差しはそこになく、どこかぽわぽわとしていて無防備だ。
そんな姿を見ると、失礼なのはわかっているけれど、可愛らしいと思ってしまった。
まどろむ金色の瞳がゆっくりと動いて、視線が絡み合う。
「これは……夢?」
クロード様は舌足らずな話し方でそう口にすると私の頬に手を伸ばす。触れそうになったその時、リリーが素早く現れてクロード様の手を音がするほど強く叩いた。
「いいえ、現実ですよ。アデル様がわざわざ足を運んでくださったんですから、しゃっきりしてください」
「……っは」
クロード様の手は真っ赤になって、見るからに痛そうだった。それなのに手の痛みなんて全く気にも留めず、瞠目して私の顔を見ている。
「ア、アデル……おはよう」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ああ、この通り、ぐっすりだったよ」
そう言って恥ずかしそうに口元を手で覆うクロード様。
勝手に部屋に入ってきたのに怒らないなんて、本当に優しい人だ。それどころか、「こんな姿を見て幻滅した?」なんて訊いてくる。
「そんなことないです。か、可愛らしいと思いました。……すみません。そのようなことを言われても不快ですよね」
「可愛いのはアデルだよ。まったく、父上か母上の仕業だな」
クロード様は眉尻を下げて前髪をくしゃりと乱すと、起き上がって私の手を取る。そのまま長椅子に座らせてくれた。
「アデル、すぐに着替えるから終わったら出勤まで話そう」
「私なんかと話すよりも、朝食を摂りに行った方がいいですよ」
「お願い、ちょっとだけ」
甘えるような声で頼まれると首が勝手に縦に動く。
舞踏会の会場では颯爽と歩いていたクロード様がこんなにも無防備で昔のように微笑みかけてくれているとくすぐったい気持ちになる。
クロード様は宣言通り、身支度を終えるとすぐに来てくれた。
居間で本を読みながら待っているとリリーに出してもらった紅茶に口をつける前に現れたのだ。
クロード様は魔導士団の制服を着ていて、漆黒に金糸の刺繍が施された上下を着た姿も素敵で見惚れそうになる。
じろじろと見てしまっては良くないと思って少しだけ視線を外すと、クロード様が長椅子の背もたれに手をかけて顔を覗き込んできた。
顔を傾けると夜空に瞬く星のように輝く金色の髪がさらりと揺れる。
「アデルはゆっくり眠れた?」
「ええ、おかげさまで。……その、運んでくれてありがとうございました」
「いいや、こちらこそ、夜遅くまでつきあってくれてありがとう。アデルがいてくれたから、今までで一番安心して仕事ができたよ」
迷惑をかけてしまったというのにクロード様はとても嬉しそうにお礼を言ってくれる。心まで綺麗な人だ。
「アデルのおかげでうんと遠くの星まで話しかけられるよ。婚約を受け入れてくれて本当にありがとう。一生、幸せにするから」
「クロード様……」
身に余るほどの言葉だ。
私がもらっていい言葉じゃない。
そんな気持ちが溢れてしまう。
どうして私なんかを迎えたいと思ってくれたのか、聞いてみたい衝動に駆られたけど、言葉は出てこなかった。
クロード様の気持ちを知りたいと思う一方で、知ってしまうのが怖かった。
本当は、誰でも良かったんだけど、と言われたらどうしようかと、不安になるのだ。
クロード様はそんなこと言うような人じゃないのにそう思ってしまう。
最低だ。
こんな私なんて嫌い。
ぎゅっと拳を結んで自分を諫めた。
すると不意にクロード様の手が髪に触れる。驚いて跳ね上がってしまい、長椅子ががたりと音を立てた。
だけどクロード様はちっとも動じなくて。
「アデル、明日は一緒に出かけよう。結婚式の準備をしないといけないでしょ?」
「え、ええ。そうですね」
何気ない顔で話しかけてくれるけど私はまったくそうなれなくて。
しどろもどろに答えた。
「もちろん、アデルが好きな店も見に行こう。どこに行きたい?」
「あの、敷物やクッションを見たいです。星の間を模様替えしたくて……」
「模様替え?」
「はい。居心地がいい空間にしたらクロード様の疲れが減るんじゃないかと思ったのですが……余計な事ですよね……」
「ううん、そんなことない。すごく嬉しい」
クロード様の声が弾んでいてホッと胸を撫で下ろした。
「俺の事考えてくれてたんだ」
「はい……。星詠みの妻としてできることを考えてみたんです」
思い切って口にしてみた言葉は言ってみるとなかなか恥ずかしい。
だからクロード様の顔が見られなくて、手元をじいっと見つめていたところ、どさっと音がして背もたれに衝撃を感じた。
振り向くとクロード様が両手で顔を覆って背もたれに伏せている。
「クロード様、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……かも。それ以上嬉しいことを言ってくれたら心臓が持たない」
そう言うと顔を覆っていた手を離す。
姿を現わした金色の瞳が揺れていて、見入っているうちに気がついた。
クロード様の顔が目と鼻の先にあるということを。
間近に迫る双眸に身を絡めとられてしまったように体が動かせないでいると、リリーが腕を引いてクロード様から離してくれた。
「坊ちゃん! アデル様に妙なことをしたら許しませんわよっ!」
ジロリと睨むリリーの気迫は筆舌しがたく。
そのまま部屋を追い出されたクロード様は王宮に向かった。
アデルにハートを撃ち抜かれたクロードです( ˘ω˘ )