04.宵闇に瞬くひと
窓の外には月が姿を現わしていて、時おり冷たい風が吹いてはカタカタと窓ガラスを揺らした。
「寒いので坊ちゃんのところに着くまではこれを羽織ってください」
ジャスミンは手に持っていたケープコートを着せてくれる。雪のように純白のコートの襟もとにはふわふわの毛皮がついており、それらを留めるために上品な珊瑚色の大きなリボンがついていて可愛らしい。
温もりに包まれながらさらに歩き進めるけれど、自分がお屋敷のどこにいるのかは全くわからず、ただひたすらに通り過ぎてゆく扉を目で追った。
すると前を歩くリリーが、金色の月や蔦模様の美しい装飾が凝らされた扉の前で立ち止まる。
「ここは星の間です。坊ちゃんは毎夜ここで星詠みの仕事をしています」
そう言って扉を叩いて名乗ると、中からクロード様が返事をした。
リリーが扉を開けた先には執務室のように机と本棚のある部屋になっており、その奥は大きな窓がバルコニーへと繋がる出入り口になっている。
窓の先に広がるバルコニーは広く、大広間ほどあるように思えた。
部屋のつくりに見惚れていると視線を感じ、振り向くとクロード様に見つめられていた。
今から星詠みをするクロード様は王国魔導士団の漆黒のローブに身を包んでいて、正装姿だと輝きがさらに増して眩しくて目を瞑りそうになる。
王宮でこんな姿のクロード様を見たらきっと誰だって恋をしてしまうかもしれない。
そう思ってしまうくらい破壊力があって、きらきらとしている。
するとリリーがすすっと隣に立って。
「アデル様、失礼しますね」
そう言ってコートを脱がしてくれると、クロード様が息を呑む声が聞こえてきた。顔を見ると、クロード様は片手で口元を覆っている。
「綺麗だよ、アデル。すごくよく似合ってる」
お世辞だとわかっているけどそう言ってくれると頬が熱くなる。
「あの、ドレスを用意して頂いてありがとうございました」
「お礼なんていいよ。アデルがここに住んでくれる記念に、どうしても贈りたかったんだ」
「そんな……私なんてドレスに着られてしまうだけですのに」
「いいや、すごくよく似合ってる。本当に綺麗だよ、アデル。眩しいくらいだ」
クロード様は私を励ますためなのか、もう一度「綺麗だ」と呟いてくれた。
「もうっ、坊ちゃんったらそれしか言っていませんわね。もっと語彙力をつけてくださいませ」
リリーが頬を膨らませて見せるとクロード様は弱ったような顔をして後ろ首を掻いた。困っている姿を見るのは初めてで思わずじっと見つめてしまう。
そうしているうちにリリーがもう一度ケープコートを着せてくれて、ジャスミンが手に持っていたブランケットをクロード様に渡すと、二人は部屋から出て行ってしまった。
リリーたちがいなくなったしんとした部屋で、クロード様と二人きりになってしまう。
勝手がわからずまごつく私に、クロード様がそっと手を差し伸べてくれた。
「行こう」
「……はい」
手を載せるとクロード様はゆっくりと歩きだす。大きな窓を潜り抜けてバルコニーに辿り着き、満天の星空に迎えられた。
「懐かしいでしょ? 小さい頃は父上たちが星詠みをしているのをアデルと一緒に見ていたんだ」
「ええ、何度か見せて頂いたのを覚えています」
真夜中に起きているのが楽しくて、はしゃいでいるうちに眠ってしまっていた。そんな私をいつもセルヴィッジ侯爵がクロード様の部屋に運んでくれて、私はそこでクロード様と一緒に眠っていた。
子ども時代の話だけど、思い出すと頬が熱くなる。
そのままバルコニーの中央に辿り着くとそこには天鵞絨張りの肘掛椅子が置かれている。
クロード様はその椅子に座らせてくれた。
「寒くない?」
聞いてくれる一方ですでに手に持っている大きなブランケットを広げると膝に掛けてくれる。そんなクロード様の優しさで心の中にじんわりと温かいものが広がった。
「いいえ、とってもあたたかいです」
「よかった。寒かったらいつでも言って」
小さく頷くとクロード様は目の前で膝を突く。なにが起こったのかわからなくて慌てているとクロード様の手が私の両手をぎゅっと握りしめる。
そのままの状態で星詠みの仕事を教えてくれた。
星詠みたちはみんな、夜空に輝く星々に話しかける。
空に浮かぶ星たちは気まぐれだけど交渉に応じて知りたい真実を教えてくれる。そこで星詠みたちはこれから起こり得る未来を聞いてそれを国王に報告しているのだ。
星に語りかけるのは容易ではない。それは幼い頃、セルヴィッジ侯爵から教えてもらったことがある。星たちに話しかけるのには星と同じ場所に意識を送らなければならず、遠くにいる星に話しかけるのにはそれなりに危険が伴うらしい。
星たちがいるのは暗くて広い神聖な場所。
人間は彷徨いやすく、過去には戻ってこれずに眠ったままになってしまった星詠みたちもいるのだとか。
しかしある星詠みが恋人に手を繋いでもらって星を詠んだところ、帰り道を示す金色の光が現れたそうだ。
試しに同僚と手を繋いでみたがなにも起きず、そこで彼は愛する者との繋がりが道標になるのだと気づいた。
それから星詠みたちは仕事中は伴侶に手を握ってもらうのだという。
私なんかがそんな大役を担っていいのかと、心配になった。
もし、手を繋いでいてもクロード様の前に道標が現れなかったら。
そんな想像をしてしまい肝が冷える。
だけどクロード様は不安げな表情で私を見上げる。
「アデル、手を握っていてくれないかな?」
握ってくれている手に力が込められるとそれに応えたいと思う。
こくりと頷くと彼はほっとした笑みを見せてくれる。膝を床に突いたまま瞼を閉じ、握りしめている手に額をつけた。
すると金色の光りの粒子がクロード様の周りに集まり始めた。光り輝く中でクロード様はゆっくりと体を起こす。
「クロード様……」
クロード様の瞳は仄かに光を帯びていて、美しいけれど同時に不安を感じた。今のクロード様には表情がまったくなくて、感情が抜け落ちてしまったように見えるから。それに星空の、どことも言えない一点を見つめていて、こんなにも近くにいるのに遠くにいるように感じてしまう。
さっきまで人懐っこく微笑んでいたクロード様とは別人のようだ。それでも、縋るように握りしめてくる手が震えていて、守りたいと思った。
「私はここにいますから……」
そう呟くと、クロード様の唇が微かに動いて、「ありがとう」と呟いた。
゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜
どれくらいこうしていたかわからない。
暗闇の中で光に包まれるクロード様をじっと見つめ続けていた。
金色の髪も瞳も、目を縁取る長い睫毛さえ、宵闇によく映えて美しい。
どうしてこんな美しい人が私と結婚しようとしてくれているのか、まだわからない。だけどそんな気持ちが暗闇を進むクロード様の道標を消してしまってはいけないと思って、頭の中から追い出した。
ただクロード様の無事を願って、クロード様の手を握りしめる。
すると微かにクロード様の手が動いた。
そのまま見守っているとクロード様は力なく倒れて、その拍子に膝の上に顔を伏せられるとさすがに心臓が跳ねた。
「クロード様……?」
思わず声をかけるとクロード様は飛び起き、顔を赤くして「ごめん」と謝る。そんなクロード様を見ると表情が戻ってきたのがわかって胸を撫で下ろした。
慌てているクロード様が新鮮で笑ってしまう。するとクロード様ははにかんだように微笑んで、「怖くなかった?」と聞いてきた。
「いいえ、幻想的で綺麗でした。でも、クロード様が帰ってこなかったらどうしようかと、不安にはなりましたが」
「アデルのおかげでちゃんと帰り道を見つけられたよ。眩くて温かくて、ホッとする光の道だった。アデルが示してくれていると思ったら嬉しくて、ついつい遠くにいる星まで話しかけてしまったよ。素敵な婚約者を迎えたんだってね」
冗談めいたことを言って笑わせてくれたクロード様は、紙とペンを取り出すと今度は真剣な眼差しになって星詠みの結果を書き記す。
カンテラから零れる光に照らされてなぞられるクロード様の輪郭をじっと見つめた。
やがて書き終えたクロード様が隣に座る。リリーとジャスミンを呼んで、温かい紅茶を運んでもらって二人で飲んだ。
ティーカップから立ち昇る湯気をぼんやりと見つめていたクロード様が、ぽつりぽつりと昔話をしてくれた。
「幼い頃、父が星詠みをしているところを見て俺は怯えてしまったんだ。なにかに憑りつかれているようなあの状態に自分がなるなんて嫌だとね、ずいぶん駄々をこねて父上を困らせてしまったよ。俺は星詠みになりたくないと反抗していた時期があったんだ」
意外だった。
クロード様は出会った頃から星詠みの家の子として夜空の星のことを教えてくれていたから、そんなことは考えた事すらないと思っていた。
「だけど、アデルが遊びに来て一緒に父上の星詠みを見た時に、アデルは父上を見て綺麗だと言ったんだ。だから俺は思い切って星詠みをしてみた。アデルが恐怖を取り払ってくれて、前を向けるようにしてくれたんだよ」
「そんな……たった一言呟いただけですのに」
「俺を助けてくれた大切な一言なんだ」
本当にただの一言なのにそう言ってくれると逆に申し訳なくなる。
それなのにクロード様は星に負けないくらいきらきらとした金色の瞳を向けてくれる。
「だから俺はこれからも、もっとアデルの声を聞きたい」
「っ私なんかの声でよければ」
甘く優しい声で言ってもらえるとどうしようもなく頬が熱くなった。視線から逃げるように星空を見上げれば、青白い星が並んで瞬いている。
「あ、あの星の並びは冬の星座とクロード様が教えてくださったのを覚えています」
「覚えてくれていて嬉しいな。それじゃあ、今からまた授業を始めようか」
クロード様は星空に散りばめられた星々を指でなぞりながら教えてくれる。
夢中になって聞いていたのに、クロード様の声が心地いいためか強い眠気に襲われてしまった。
ちゃんと起きていたのに、意識が途切れとぎれになる。クロード様にも気づかれてしまい、「アデルは寝てていいよ」と言ってくれた。
「あ、でも……」
ここで眠ってしまったら寝室に戻れない。そう訴えようとしたのに瞼は閉じていく。
するとクロード様が柔らかく笑う声がした。
「大丈夫、何も心配いらないから……おやすみ」
優しい声に誘われるまま意識が遠のいていく。ふわりと温かな何かに覆われるのが心地よく、そのまま夢の世界に落ちてしまった。
舞踏会の夜にクロード様が貸してくれた上着から香ったのと同じ、爽やかな香水の匂いに包まれながら。